プリン

プニぷに

第1話

 これはガラスもカラメルのように溶けて流れてしまいそうな夏のこと。

 プリンから始まる、僕のプリンのような思い出話だ。


「ただいまー」


 まだ僕が小学生だった時の話だ。

 学校から僕が家に帰るときはいつも自分で鍵を開ける。僕の両親は共働きで、夏の日に僕を暖かく迎え入れてくれるのは暑すぎる熱波。ムワっとした日本特有の熱波だ。


「プリンプリンプリリ~ン!」


 昔から僕はプリンが大好きだった。

 というのも、僕はあまり友達が多くない。加えて両親は普段から近くにいられないからと、大人がいない状況で僕が外で遊ぶのを禁止していた。当時の僕は「どうして僕だけ……」と思っていたけれど、大人になった今の僕なら分かる。

 親の知らないところで何かあっても助けに行けない。そんな心配があったのだろう。今の時代なら子供用のスマホなんかを渡して互いに連絡をすればいい。だけど、僕の時代にそんな便利なものはなかったし、あったとしてもウチにそれを買う余裕があったかどうか。


 どちらにせよ子供だった僕には分からない。


「プリン君ただいまー!」


 家に帰って手を洗う。そうしたらすぐに冷蔵庫を開ける。

 あぁ、今も鮮明に思い出せる。『金曜日はプリンの日』それがウチの決まりだった。


 学校がある月曜日から金曜日の内、金曜日を除く四日は僕が宿題を終わらせたくらいに母さんが帰ってくる。でも、金曜日だけは違う。この日は母さんが少し遅く帰ってくる。だから両親は外に行けず一人で寂しくしている僕を想って、僕が大好きなプリンを冷蔵庫に入れておいてくれるのだ。


「プリン君確認! よ~し、宿題頑張るぞ~!」


 じゃあ何故こんな日常が思い出なのかって? それはこの後の出来事にある。


「宿題終~わり!」


 宿題が終わった僕は、この日もいつも通り冷蔵庫からお皿に乗ったプリンを取り出そうとした……その瞬間。


「あっ!」


 その瞬間、一気に周囲の空気が冷えて暗く重くなったのを覚えている。

 足が絡まって倒れていく一秒間。衝撃と共に痛みを感じてからの数十秒。犯してしまった事の重大さを悟っているからなのか、あの時の僕は「痛い」とも言わずに天井を眺めていた。


 あぁどうしよう。

 そんな感情に支配された僕は視線を動かすことも体を動かすのも怖かった。それを自覚すると、今度はじんわりと涙が溢れてくる。僕はなんとか泣くまいと我慢して、我慢したから勇気が湧いた。


「ん……ぅ、ぐすっ」


 起き上がる。

 まず目に入ったのは開けっ放しの冷蔵庫。次に裏返しになったお皿。


「あ、」


 幸いにもお皿は割れていなかった。きっとプリンが守ってくれたのだろう。

 けれど、プリンは床にグチャっと横たわっていた。


「あぁぁぁぁ」


 横たわるプリンを見て、もう食べられなくなったプリンを見て、あの時の心みたいにグチャグチャになったプリンを見て、僕は幼いながらに気付いてしまった。


 僕は独りぼっちだ。


 大好きな人が帰ってくるまで、大好きなプリンと一緒に待つ。待っている間はプリンを食べる、これが大好きだった。それがどれだけ大切で、その『大好き』がどれだけ僕の孤独を紛らわしてくれていたことか。


 僕は泣いた。

 母さんが帰ってくるまで泣いた。

 母さんは僕を抱きしめてくれた。撫でてくれた。とても……安心した。


「もう、泣かないで? 本当にアナタはプリンが好きなのね」


 これが思い出の序盤。

 終盤は次の母さんの言葉から始まる。


「そうだ! 明日お父さんと一緒に三人でプリン作ろっか」


「えっ! プリンって作れるの!?」


「もちろん! 母さんに任せなさい」


 休日。僕たち家族はプリンを作った。初めてのカラメルはちょっぴり苦くって、いつものプリンとは全然違うとすごく驚いたのもよく覚えている。だからこそ特別なんだと感じたんだ。


 この話はプリンと似ている。

 最初のカラメルは甘くて魅力的だけど、実は苦い。だけれどそんなのはプリンの表面の中でもごく一部なんだ。大切なのはその土台で、優しい甘さと包み込んでくれる柔らかさがあるから、カラメルが輝く。

 そういう意味では家族とちょっと似ているかもしれない。


 これはガラスもカラメルのように溶けて流れてしまいそうな夏のこと。

 『大好きな』プリンにちょっぴり大人なカラメルが『大切』という色を付け、大好きな家族と作ったプリンという大切な思い出の話。

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