第70話 カフェ『炎の剣亭』、ただ今準備中なのだ その四

 こっきゅ、こっきゅ、こっきゅ……。


 わたしは、ウル翁の淹れてくれたアイスコーヒーを一気に飲み干す。


 ぷはーっ、うめーっ!


 たんっと、グラスをテーブルに置いたわたしは、袖口で口元を拭う。

 あー、もちろん想像の中でね。現実のわたしは、そんなお行儀の悪いことはしないのだ。


 ことりと静かにグラスをテーブルに置き、しずしずとハンカチで口元を拭う。

 ふっふっふ。どうだ、お嬢様っぽいだろう。わたしは立ち振る舞いだけは自信があるのだ。


 こんなところで、なにを呑気に一杯やっているかと言えばだよ。


 先ほどまでは、当てどもなく歩いていたのは確かだ。

 マティアスくんや、ルドルフさんたちも、今日は忙しいみたいだし。


 相談相手に困っていたら、自然と足が向いたのはウル翁のお店。

 ウル翁は、なにかわたしを引き寄せる魔法でも使ったのかしら?

 というくらい、いつの間にかアイスコーヒーまでご馳走になっちゃってるわたしなのだ。


 しかるのち、本題へ。


 わたしは、せつせつとウル翁に『炎の剣亭』の現状を訴える。


 やっぱり、わたしのコダワリが良くなかったのかしら。


 ウル翁のアイスコーヒーは淹れたてを魔法で冷やしているので、香りもコクも、もちろん味までも、氷によって薄まっていないので美味しいのだ。


 でもやっぱり、夏は汗のかいたグラスに氷のからん……だよ。


 とすれば、無粋なマグカップか? 原因は?

 でも『炎の剣亭』には、ガラス製の器はないらしい。


 それにマグカップで饗されるコーヒーは、夏でも冬でも、アイスでもホットでも、味わい深いことこの上ないのだ。決してグラスに負けてないと思うんだけど。


 いいえ、現実から目を背けるのはやめましょう。

 原因は、わたしなのでしょう。


 道往く人々、この世界の方々から見れば、見慣れないヤツがナニか変なモノを飲んでいる。

 などとでも思われているに違いないのです。




 ふむふむと話を聞いてくれたウル翁は、自ら淹れたコーヒーを一口飲むと、傍らの杖を手に立ち上がる。


「さて……と、出掛けるとしようかのう」


 どこへですか?


「決まっておろう。ミヒャエルのところじゃ」


 あ、『炎の剣亭』ですね。


「自分の足で、外を歩くのも久し振りじゃ。散歩ついでにあのバカ弟子の顔を見にゆくのも、また一興じゃな」


 ぜひぜひ。ウル翁にも、わたしの淹れたコーヒーをお披露目したいです。


「ご安心召されい。話を聞く限り、ミヅキちゃんのせいではないように思えるかのう」




 町中を、てくてく歩いて『炎の剣亭』を目指すわたしたち。


 店の前まで来てみれば、おっちゃんがコーヒーのマグカップを前に、うとうととうたた寝をしていた。


 なんだか幸せそうな表情なのがちょっと可愛い……、けれども今日ばかりは、その呑気な表情さえ、ちょっとだけ恨めしい。


 その頭を、いきなり杖の先でポカリと叩くウル翁。


 ウル翁の杖っていうのは、かなり長い。

 以外にも高い、ウル翁の背よりも長い。

 なんかこう、いい感じに曲がりくねっていて、頭の方なんか蛇がトグロを巻いたような形をしている。

 要するに、魔法を発動する際の重要アイテムというより、物理攻撃に長けているようなカタチ。


 魔法少女のステッキであるとか、あんなに可愛いものでもない。

 あんなんでポカリとやられたら、それはもう、かなり痛いに決まっている。


「こら、起きんか。ミヒャエル」


 おっちゃん、うーんとか唸るだけで起きないよ。物理攻撃耐性が高いのか? それとも、見た目より痛くはないのか?


 なおも、おっちゃんの頭を何度も叩くウル翁。


「いててててっ」


 ついに目を覚ますおっちゃん。やっぱり痛いんだ。


「ミヒャエル、そこに正座じゃ」


 気持ち良くお昼寝していたところを無理矢理起こされて、仏頂面のおっちゃん。

 だけど、起こしたのがウル翁だと分かると、即座に真剣な表情となり、背筋をぴっと伸ばした美しい正座を決める。


 おー、おっちゃん正座ができるのか。外人さんにしては珍しいな。

 と言うか、ウル翁も正座なんて良くご存知ですな。親日派の外人さんみたいで、ちょっとうれしい。


 あー、ウル翁は昔の友達に聖人様がいたんでしたっけ?

 それで土下座までご存知だったし。正座もご存知でもおかしくはないね。


「師匠……」


「喝っ」


 おっちゃんが何かを言おうとすると、その頭をポコンと杖で叩くウル翁。

 思ってたより、おっちゃんにとってウル翁の影響は大きいらしい。

 ネーナさんの時には、しぶしぶといった感が丸出しだったおっちゃん。

 でも今は、借りてきたネコのように大人しい。

 なんだかやっぱり可愛いぞ、おっちゃん。


「心を静めよ。そしてミヅキちゃんの言葉に耳を傾けるのじゃ」


 突然、話を振られたわたしは、焦りながらもコーヒーが売れない悩みを訴える。

 ついでに『炎の剣亭』の懐事情を、大々的に心配していることなんかも思い切って打ち明けてみた。

 本当は、この前聞いたお姫様とのコトも、根掘り葉掘り詳細に聞き出したいところなんだけど、そればっかりは我慢した。


「そうか」


 じっと何かを考え込むように、わたしの話を聞いていたおっちゃんは、たった一言だけ、そう言葉を発するのでした。

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