第67話 カフェ『炎の剣亭』、ただ今準備中なのだ その一

 とぽとぽとぽ……。


 わたしは挽きたての豆の上に「の」の字を描くように、そおっとお湯を回し掛ける。

 途端に辺りに広がるのは、コーヒーの良い香り。


 うーん、いい香り。

 続けてお湯を注ぎ足したくなるけど、そこはグッと我慢。

 ここで豆の粉全体に、お湯が染み渡るのをしばし待つのが吉。


 しばらくしたら、今度はたっぷりのお湯を。

 でも慌てちゃダメだよ。


 真ん中へんに、ゆっくりと。

 泡が出てきたら、やっぱり「の」の字を描くように。


 泡が膨らんできて溢れそうになったら、いったんストップ。

 今度も少しずつ少しずつ、丁寧にお湯を注ぐ。


 繰り返すこと、五〜六回。

 お湯を注ぎ終えたわたしは、空になったケトルを置いた。


 マティアスくんは、早くもまだ空のカップを手を伸ばす。


「こら、マティアス。はしたないぞ。ミヅキ殿が淹れてくれるまで待たんか」


 そう言うルドルフさんも、コーヒーを満々と湛えたポットに、その目は釘付けだ。


 こほん。

 小さな咳払いと共に、そんな二人を無言で軽く睨むのはネーナさん。


 ごめんね。

 注ぎ終わったら、ちょっと待ってから、軽くまぜて濃度を整えると美味しくなるんだよ。


 そうそう、魔力を全身の巡らせるのとおんなじさっ。




 ここは、騎士団のルドルフさんの執務室。

 初級魔導士に開眼したわたしは、自主練習のあと、講習会での指導を終えたルドルフさんたちにコーヒーをお披露目すべく押し掛けたのさ。




 ネーナさんが、いつもはお茶を飲んでいるであろうカップを用意してくれた。

 しかもなんと、そのカップは予め温められていたのだ。


 ちょっとだけ、わたしがネーナさんに、あれでこれでと説明しただけなのに。

 ネーナさんの女子力は、底知れないものがあるのだ。


 大きなルドルフさんが小さなカップを持って、うっとりとその香しい芳香を楽しんでいる。

 マティアスくんは慣れた風に、ふうふうと冷ましながらカップを口に運ぶ。

 ネーナさんはとても優雅に、おそらくは初めて口にするであろうコーヒーを味わっていた。


 ほー。


 美味しいね、美味しいね、美味しいね。

 みんなで飲むと、美味しいね。


 カップのコーヒーを飲み干したわたしたちは、みんなで一斉に大きく息をつく。


「どうでしょう。このコーヒーを『炎の剣亭』で出したいのです」


 おっちゃんは、許してくれるかな。

 みんな、飲みに来てくれるかな。


「これは良いものだな。食後にはお茶に代えて、これをいただきたい」


「執務の合間に一息入れる時にもよろしいかと」


 ルドルフさんと、ネーナさんの言葉に、ぶんぶんと首を縦に振るわたし。

 マティアスくんは、何故か得意気にお代わりをついで回っている。


 2杯目をみんなでいただくと、ちょうどポットは空になった。


「これを『炎の剣亭』で飲めるとなったら俺もできる限りの応援をしよう」


「私も微力ながらお手伝いをいたしますわ」


 うおー! ありがとう、ありがとう、ありがとう!

 わたし、がんばるよっ!


「しかし、ひとつ気掛かりなことがあるのだ」


「そうですね、私もひとつだけ懸案事項が……」


「実は、僕も心配していることがあります」


 うおっ? なに? なに?

 おっちゃんか? おっちゃんのことか?


 わたしの問いかけに、皆さん一斉にうなずく。


「ミヒャエルのやつ、これを……、このコーヒーを美味いと思うかどうか」


「僕も、ふと思い出してしまったんです。隣の国に行った時のことを」


「ミヒャエル様は、まだ姫……、いえ隣の国にわだかまりがあるのかしら」


 どうやら、お三方ともおっちゃんのことを心配しているようだ。


 確かにおっちゃんは、お隣の国には何やら思うところがあるらしい。


 おまけに隣の国でコーヒーを口にしたおっちゃんが、文字通り苦々しい顔をしていたらしいという未確認情報まで上がってきた。


 でもそれはルドルフさんもマティアスくんも、人づてに聞いただけらしいので個人的には否定的な見解を示そう。


 お姫様のこともあるし、なにしろ本人も、に関してはあまり語りたがらないのだ。

 わたしもコーヒー問題とは別にしても、は気掛かりなんだけど、今はどこかに置いときたい。


 わたしには、きっとおっちゃんはコーヒーを好きになるであろうという確信があるのだ。根拠はないけど。


「ならば、問題はない」


「そうですわね」


「僕には、個人的にまだ心配なことがあるんです」


 ほう、なんだねマティアスくん。言ってみたまえ。


「僕を始め、北国の生まれの者たちは、ここ王都の夏には弱いのです」


 マティアスくんが言うには、魔法やら魔導器やらを使って、できる限り快適に暑い夏を乗り切っているそうなんだけど。


「夏は汗をかくものでしょう。そうすると喉が渇いた時は冷たい水が飲みたくなるのです」


 うむ、もっともな意見だね、マティアスくん。

 夏の水分補給は大切だ。熱中症対策にもなるしね。

 乾いた喉を潤すには、わたしとしては麦茶が一番だと思う。


 だがしかーし、水分補給と嗜好品は、また別物であると思いたーい!

 お水はお水としてお出しして、それとは別にコーヒーを飲んでいただきたーい! のだよ。


「そこで、この前提案した冷たいコーヒーの出番なのです」


 そして揺るぎない事実、それは……。

 コーヒーは、冷やして飲んでも美味しいっ!(これはもう確信)

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