第52話 そして、町へ出るのだ
商店街マップとメニューに思いを馳せていたわたしであったが、はたと気がついた。
新しいお客さんを開拓するのは良いが、このままの『炎の剣亭』では、お昼に営業したところで、来てくれる人の顔ぶれはあんまり変わらないんじゃないの。
おっちゃんからして、陽気の良い季節になったら、自分が昼間っから一杯やりたいがためにお昼から店を開けたいってことみたいだし。
今までの常連さんを大切にするのは、今まで通りに夜だけにしておこう。
明るいうちは、お酒に頼らない新しい看板メニュー? 目玉商品? なんか、そんなものが欲しい。
なんかこう、もっと健全で、今までは来てくれなかったお客さんが来てくれるようになってくれそうなものだといいな。
——なんて思うのです。
「それは僕も賛成です。魔導士は魔導士的な癒しを求めているのです」
魔導士的な癒し?
なんなの、それは?
「今の『炎の剣亭』は騎士的な癒しすらも薄れ、冒険者的な癒しに特化してしまっているような気がしてしまうんですよ」
あー、なんとなく分かった気がするよ。
冒険者的な癒し、の方もなんとなく理解できる。
クエストを終えて帰って来た荒くれ者揃いの冒険者さんたちが、ギルドの酒場で乾杯! みたいなやつでしょ。
「賑やかなのも嫌いではありませんが、時には静かに、一人ぼんやりと物思いに耽っていたいこともあるのです」
静かで心癒されるお食事処かー。今の『炎の剣亭』からはほど遠いなー
近頃の勤務中のお店の風景を思い浮かべながら、わたしはため息をついた。
でも、いいよね。静かな心癒されるひと時。
和室で畳の上にでも転がって、窓から差し込むのは仄かな月明かり。
そよそよと夏の夜風が頬をくすぐり、どこからか鹿威しの音が、かっこーん……。
うっとりと和風な情緒を懐かしんでいたら、マティアスくんは不思議そうな顔をしていた。
和室も畳も鹿威しも、元いたわたしの国の文化なのさ。
大丈夫だよ。帰りたくなった訳じゃないよ。
わたしのいた世界の文化を、みんなにも見せたいなって思っただけさ。
「いえ、僕の師匠の別荘が、なにかワフー趣味とかいうものだったらしいのです」
ワフーって、和風のこと? この世界にも和風なものがあるのか。そいつは、ちょっとばかりビックリだ。
機会があったら、ぜひ一度伺いたいものだ。この世界の和風ってどんな解釈なんだろう? 興味深い。
でも、そうだね。腕を上げて、おっちゃんに免許皆伝を許されたら和風なお店をやろう。
なんのお店かなんて、まだ想像もつかないけどね。
のちにこの時の思いつきが、この国で大ブームを巻き起こすことを、わたしはまだ知らなかった。
なんちゃって。ウソです。ただの妄想です。
「この辺りには、僕の師匠がやっている行きつけのお店があるんですよ。ちょっと寄ってみませんか」
特にあてもなく、ぶらぶらと町中を歩いてきたわたしたちは、いつの間にか食材を扱うお店が並ぶ一角に足を踏み入れていた。
どうりで、さっきから良い匂いが、あちらこちらから流れてくるはずだよ。
でも、この辺りは食材を売ってるお店ばかり。
日本の古き良き商店街を彷彿とさせる八百屋さんだの、お肉屋さんだのばっかりだよ。
自炊しないマティアスくんの行きつけって、いったいどんなお店なんだろう。
わたしにとっては仕入れ先の違いなのか、同じお肉屋さんでも店先に並んでいる商品は、お店毎に微妙に違っていて覗いてみるのが楽しいんだけど。
お魚屋さんは、やっぱりない。干物屋さん、しかも魚類ばかりでなく謎の干物まで売っているところなら、さっき見かけた。
あとは乾物屋さん。さっきの干物屋さんともまた違う。もちろん元の世界の乾物屋さんとも、ちょっと違う品揃え。
あっちに見えるのはお茶屋さんかな。もちろん扱っているのは紅茶なんだろうね。
お茶って、半分発酵させたのが紅茶で、全発酵させたのがウーロン茶だって聞いたことがある。
あれれ? えーっと……、逆だったっけ?
全部発酵しちゃったのが紅茶で、半分だけ発酵がウーロン茶? だったかな?
ふむ、なんだかこっちの方が正解な気がするよ。
相変わらずわたしの知識はポンコツで、我ながらガッカリだ。
でもでも、どっちにしても元は日本茶と同じお茶っ葉らしいからねー。不思議なものだなー、発酵って。
だとしたら、お茶の産地に行って発酵前の茶葉を手に入れたら、日本茶も飲めるってことなのだろうか。
懐かしの緑茶に思いを巡らせているうちに、やってきたのは問屋街みたいな雰囲気のところ。
ぱっと見じゃあ、どこが何を取り扱っているお店なのかは良く分からないね。
ただ、お店の中に入ってみたら、きっと珍しい謎食材を扱っているんだろうな。非常に興味深い。
ところで食材街のこんな奥地まで来たけれど、マティアスくんのお目当ては何屋さんなんだい?
「薬草と香辛料のお店ですよ。少し離れた国にまで買い付けにいっているそうで、珍しい薬草や香辛料がたくさん揃っているんです」
マティアスくんは料理人ではなく、魔導士の顔でそう答える。
「ある種の魔法を開発する時、香辛料は良い触媒となるのです」
ええっ、香辛料って魔法の触媒になるの? 初耳だよ。
でもまあ、魔法自体がわたしにとっては謎技術なんだけどさ。
わたしは想像する。
漆黒のとんがり帽子に、やはり漆黒のローブを纏ったマティアスくんが、大きなツボを火にかけて、何かをぐつぐつと煮込んでいるところを。
煮込んでいるものを長い杖か何かでかき回し、唐辛子だの胡椒だのをふんだんに加えて、嬉しそうにさらにかき回し続ける……。
——美味しいスープが、出来上がりました。
ちょっと違うかな。
三角フラスコの中に入れられた謎の液体を、じっと観察しているマティアスくん。もちろん白衣を着用している。
熱せられたフラスコの謎液体に、試験管の中の飽和量いっぱいまでに溶かし込まれた、やっぱり謎の香辛料入りの液体を慎重に一滴ずつ加えていく。
だが次の瞬間、いきなり爆発が起こり、辺りにはもうもうと黒い煙が立ちこめる。
煙が晴れたとき、ご想像の通りマティアスくんの顔は真っ黒。髪の毛も爆発したようにチリチリに。
はっはっは。なにやってんの、マティアスくん。
「どうしたんです? 急に笑い始めて」
はっ、ごめんなさい。またもや妄想ドライブ。頭の中でマティアスくんが主役の楽しい小芝居が上演されておりました。
「そろそろ着きますよ。あの路地を入ったところにあるんです」
あー、いつの間に。
どれどれ、どんなお店だろう。
お店あるという路地に目を向けると、そちらの方からはなにやら良い香りが漂ってくる。
ややっ?! この懐かしい香り。この世界に来てからは、これが初めての香り。
わたしたちは、その香りに誘われるように、いそいそと路地を曲がるのでした。
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