第8話 傷あと
二階堂は、蒼矢の声に弾かれるように玖遠の上から避難する。
断末魔をあげる暇も与えないまま蒼矢が玖遠の首を刈り取ると、彼女は霧散消滅した。その場に残ったのは、まだわずかに瘴気を放つ手鏡だけ。
蒼矢は冷めた瞳でそれを見ると、容赦なく大鎌を振り下ろした。しかし、コツッと軽い音がしただけで、壊れることはなかった。
「は!? なんでだよ!」
蒼矢は驚きの声をあげる。
そこにあるのは、瘴気を放ってはいるがごく普通の手鏡だ。武器で破壊できないなんてことは考えられなかった。
「蒼矢、なにしてるんだよ?」
肩で息をしながら、二階堂がたずねる。
「これ、壊そうとしたんだけど壊れねえんだよ」
蒼矢は、ムスッとした表情で答える。鎌の先端で手鏡を叩くが、硬質な音が鳴るだけだった。
そんなに頑丈なのかと思いながら、二階堂は地面から刀を引き抜く。軽く力を乗せて手鏡に刺した。さくりと、かんたんに刃が入る。鏡が割れる音がした直後、残っていた瘴気が霧散した。
「はあ!? なんでだよ!」
蒼矢の驚きの声が響く。自分がどれだけ壊そうとしても傷一つつかなかったのに、二階堂の一撃でいとも容易く壊れたのだから当然である。
「呪いなんて、割とそういうものなんじゃない?」
本当のところは知らないけれどと、二階堂が苦笑して告げた。
「納得いかねー!」
声をあげると、蒼矢は二階堂に背を向けてその場にあぐらをかいた。
その姿は、どこか拗ねているようにも見える。
二階堂は呆れたようにため息をつくと、「散れ」とつぶやいた。刀が瞬時に雪の結晶モチーフのブレスレットに姿を変える。
それを左手首につけた直後、視界が揺らいだ。
(あ、れ……?)
妙な浮遊感を覚えたかと思うと、ゆっくりと地面が近づいてくる。いや、そんなはずはない。二階堂自身が地面へと向かっているのだ。
(しっかり、しろ!
そう思ったところで、二階堂の意識は途切れた。
背後でドサリと音がして、蒼矢は勢いよく振り向いた。
「誠一? おい、しっかりしろよ! 誠一!」
そう言いながら揺さぶるが、二階堂は反応しない。
最悪の状況を考えながら、蒼矢は二階堂の首元に手をあてる。幸い脈はあった。かすかに呼吸もある。
「なんだ、気絶してるだけか……」
脱力したようにつぶやく蒼矢。
人の身で自我を失った妖怪と渡りあったのだ、体力が底を尽きてもしかたがない。
「……ったく、無茶しやがって」
お疲れ様と暗に告げる蒼矢は、めったに見せない優しい微笑みを浮かべる。
その様子を家屋の陰から見つめる人物がいた。
視線に気づいた蒼矢は、
「終わったから、出てきていいぜ」
と、声をかける。
そろそろと家屋の陰から姿を現したのは、采牙と
「蒼矢さん。二階堂さんは、まさか……!?」
采牙が青い顔で問う。
蒼矢は立ち上がると、
「いや、大丈夫だ。気絶してるだけだよ」
「そう、ですか。よかったあ……」
心底安心した様子で、采牙はそう言った。
「そういや、あんたの方は大丈夫なのか?」
蒼矢が吟慈にたずねると彼はうなずいて、
「ああ、こいつが治癒術かけてくれたおかげでな」
術はほとんど使えなかったはずなのにと、采牙に優しいまなざしを向けた。
「土壇場で使えるようになるとか、すげえじゃん!」
蒼矢がほめると
「ただ必死だっただけですよ。俺には、そのくらいしかできないから……」
采牙はそう言って、照れ笑いを浮かべる。
「それより、蒼矢さんも傷だらけじゃないですか! 早く治療しないと」
「俺はいいから、こいつを頼む」
と、蒼矢は倒れている二階堂に視線を向けた。
背中に広がる大きな血の染みが目を引くが、他にも裂傷が多数ある。
「こりゃ酷い……。采牙、この方達を俺の家まで案内してくれ。医療班を連れてくる」
吟慈は、采牙にそう告げると足早にどこかへと向かった。
「医療班……?」
蒼矢がつぶやくと、この九尾の里には治癒術に長けた九尾が数人いるのだと采牙が教えてくれた。
「とにかく、吟慈さんの家に行きましょう」
采牙の言葉に蒼矢はうなずくと、二階堂を抱えて歩き出した。割れた手鏡も一応回収しておく。
采牙の案内で吟慈宅へと向かっている途中、采牙が声をかけてきた。
「あの、蒼矢さん。ありがとうございました。姉のこと……」
「ああ、いや……。結局、俺が術でとどめ刺したみたいになっちまったから……悪い」
罪悪感からか、蒼矢の足取りは重くなる。
「謝らないでください! ずっとあのままよりはいいですから。それに俺、言ったじゃないですか。どんな結果になっても大丈夫だって」
そう告げる采牙の表情は、意外にも明るいものだった。無理をして笑顔を見せているのかもしれないが。
「……采牙は強いな」
蒼矢が素直に言った。自分が采牙の立場だったら、こんなふうに笑顔ではいられないだろう。
「そんなことないですよ。ただ、姉さんが誰かを傷つけてるの、これ以上見たくなかっただけなんです」
「そっか。……あ、そうだ。これ、一応持ってきたんだけどどうする?」
蒼矢は立ち止まると、瘴気は取り除いてあるけれどと注釈を添えて、上着のポケットから手鏡を取り出した。それの処遇は、他ならぬ采牙に委ねようと思ったのだ。
「姉の形見でもあるので、もらってもいいですか?」
わずかの逡巡、采牙はそう言った。
「ああ、もちろん」
蒼矢がうなずくと、采牙は手鏡を受け取る。それを見つめる彼の表情は、姉を思い出しているのかどこか優しげだった。
「あ……すみません。行きましょうか」
しばし思い出に浸っていた采牙は、謝罪を口にして歩を進める。蒼矢も彼に続いていく。
二人が住宅地をしばらく歩いていくと、一軒の邸宅に着いた。平屋建ての昔ながらの日本家屋といった印象である。
蒼矢が口を開こうとした瞬間、引き戸が開いて吟慈が姿を現した。
「遅かったな、二人とも。奥の部屋に準備してあるから、上がってくれ」
と、吟慈が二人を急かす。
二人は「お邪魔します」と言うのもそこそこに、吟慈の後についていく。
きれいな床張りの廊下を進んでいくと、純白のふすまに行きついた。
「ここだ」
吟慈は、そう言ってふすまを開ける。
室内の中央には、真新しい布団が敷かれている。それを囲むように三人の九尾が座っていた。三人とも女性のようで、白衣のようなものを着ている。
「その方をこちらに寝かせてください」
凛とした声で、布団を挟んで向かい側に座る栗色の髪の九尾が指示した。
蒼矢は彼女に従い、二階堂を布団の上に寝かせる。
「これより治療を始めます。皆様は、どうかご退室ください」
きっぱりと、有無を言わせぬ声音で告げられてしまえば従うより他にない。
蒼矢、采牙、吟慈の三人は、大人しくその部屋を後にした。
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