幽幻亭2〜呪縛の狐~

倉谷みこと

第1話 依頼人は九尾の狐

(さて、どうしたもんかな……)


 二階堂にかいどうは思案する。


 隣にいる相棒の蒼矢そうやは、負傷してはいないものの、だいぶ疲弊しているようだ。


 対峙する妖怪はただ一人。だが、事前に聞いていた情報以上の術を使ってくる。誤算だった。強さを見誤ったのだ。正直なところ、ここまで苦戦を強いられるとは思ってもみなかった。彼女からを奪えば解決すると、かんたんに考えていた。


(こんなことなら、あの時に弱点聞いておけばよかったな……)


 そんなことが頭をよぎる。それは、今日の午前中のことだった――。


 正月気分も抜けた、一月のとある日曜日。遅めの朝食を終えた二階堂誠一せいいちは、リビングで二人分の紅茶を淹れていた。テーブルの上には、自室から持ってきた読みかけの小説が置かれている。いつもなら自室で読んでいるのだが、寒い室内を一から暖めるよりはと、すでに暖房で暖められているリビングを選んだのだ。


「あ、誠一。俺のもよろしく」


 ソファーに座っている銀髪の男が、テレビに視線を向けたまま言った。


「蒼矢の分も淹れてあるよ」


 二階堂はそう言って、自分の向かい側の席に彼の分のマグカップを置いた。


「おう、サンキュー」


 と応えるものの、蒼矢と呼ばれた男はソファーから動こうとしない。どうやら、見ているテレビ番組から目が離せないらしい。


 彼は二階堂の相棒で、長く艶やかな銀色の髪とモデルのように長身ですらりとしたルックスを持つ。ごく普通の人間に見えるが、その正体は九尾の狐である。


 二階堂は小さく肩をすくめると、自分も休日を満喫しようと気を取り直していすに座った。小説を手にして、しおりが挟んであるページを開く。テレビから聞こえてくる音声をBGM代わりにして、小説の世界に身を投じた。


 二階堂は、蒼矢とともに『幽幻亭ゆうげんてい』という便利屋を営んでいる。主に取り扱っている案件は、科学では解明できないような不可思議な事件だ。警察から依頼されることもあり、警察関係者からは退治屋と呼ばれている。今日は休業日ということもあり、二人ともラフな格好でくつろいでいた。


 しかし、そんな穏やかな時間は長くは続かなかった。


 唐突に、来客を告げる呼び鈴が鳴ったのだ。それも、一度や二度ではない。応対を急かすように、何度も執拗に鳴らされる。


「おい、誠一! あれ、なんとかしろよ!」


 いらだちを隠すことなく、蒼矢が二階堂に告げる。


 いつもなら呼び鈴が鳴る前に来客に気づく蒼矢だったが、今日は完全にリラックスしていてまったく気がつかなかった。


「わかってるよ。まったく……」


 と、鳴りやまない呼び鈴に多少の不機嫌さを滲ませながら、二階堂はあまり読めなかった小説にしおりを挟むと玄関へ向かった。


「どちらさまですか?」


 声をかけながらドアを開けると、そこには黒い厚手のジャケットに黒のデニムパンツ姿の男が立っていた。山吹色の髪に若草色の瞳を持つ彼は、一見派手ではあるがまだあどけなさが残る顔立ちをしている。外見だけを見ると、未成年なのだろうと思えた。しかし、彼が人間でないことは一目でわかった。二階堂には幽霊や妖怪が見え、それらの気を感じる能力があるのだ。


「助けてください!」


 二階堂が要件をたずねる前に、彼が慌てた様子で口を開いた。


 その勢いに気圧された二階堂は、


「……とりあえず、中へどうぞ」


 と、彼を招き入れる。


 リビングに案内していすに座るように促すと、二階堂はキッチンに向かい湯を沸かす。


 ちらりと彼の様子をうかがい見ると、いすに座っているがどこか落ち着かない様子だ。


 蒼矢はというと、彼を横目で見てからなにか考えているようである。


「どうぞ」


 紅茶を淹れてリビングに戻った二階堂は、そう言いながらティーカップを彼の前に置き、向かいの席に座った。


 二階堂が自分と蒼矢をかんたんに紹介すると、目の前に座る男は采牙さいがと名乗った。


「それで、助けてほしいというのは?」


 たずねる二階堂に、采牙はどう説明したらいいのか考えあぐねている様子だった。


「大丈夫。君が妖怪だってことはわかってるから、心配しなくていいよ」


 二階堂が優しく告げると、采牙は心底驚いた声をあげる。その拍子に、今まで隠していた耳と九本の尻尾が現れてしまった。それは、髪色と同じ山吹色の毛並みに覆われている。尻尾にいたっては、ふさふさしていて触り心地がよさそうだった。


「あっ! お前、あの時の……!」


 采牙の耳と尻尾を見て、蒼矢が思い出したように言った。


 その声に、二階堂と采牙は同時に蒼矢に視線を向ける。


「……よかった。覚えててくれた」


 ほっとしたようにつぶやいて立ち上がると、采牙は改めて蒼矢に向き直り深く頭をさげた。


「その節は、ありがとうございました」


「いや、いいって。べつに、たいしたことしてねえし。それより、成長したじゃねえか」


 優しい微笑みを浮かべた蒼矢はそう言って、采牙に歩み寄ると少し乱暴に頭をなでた。


「ありがとうございます。でも、まだまだですよ。びっくりすると、今みたいに耳と尻尾が出ちゃうし、かんたんな術さえ使えなくて……」


 そう言う采牙は、どこかうれしそうな表情を浮かべる。


「えっと……再会を喜んでるところ悪いんだけど、二人は知り合いなの?」


 と、蚊帳の外だった二階堂がたずねた。


「まあ、知り合いっちゃ知り合い……だな」


 蒼矢が歯切れ悪く告げると、


「俺、六年前に姉と例大祭に来たことがあるんですけど、その時に姉とはぐれて迷子になっちゃって。たまたま通りかかった蒼矢さんに助けてもらったんです」


 と、采牙が蒼矢のあとを引き継いで答えた。


 采牙の言う例大祭とは、幽幻亭の近くにある神社で毎年八月に行われている祭りのことである。県内外から多数の人が訪れ、毎年たいへんな賑わいを見せているのだ。


「へえ? そんなことが」


 言いながら、二階堂はニヤリとして蒼矢に視線を向けた。


「だから、たいしたことしてねえって! 一緒に姉さんを探してやっただけだよ。それにしても、よくここがわかったな?」


 幽幻亭の場所はおろか自分の名前さえ言ってなかったはずなのにと、蒼矢は当時を思い出しながら疑問を口にした。


「これのおかげですよ」


 采牙は、ジャケットのポケットから手のひらサイズの青い勾玉を取り出した。


「ああ、なるほど」


 つぶやく蒼矢には見覚えがあった。なにしろそれは、六年前に蒼矢が自身の妖気で作り出して采牙にあげたものなのだから。


 どうやら采牙は、その勾玉に残る妖気を頼りにここまで来たらしい。一度しか会っていない相手に助けを請うとは、よほどのことが起きていると見て間違いないだろう。


「……それで、なにがあったのかな?」


 再度、采牙に座るように促すと、二階堂は本題に入るためにたずねた。


「そうだった! えっと……」


 思い出したようにつぶやくと、采牙は再びいすに座る。話す前に気持ちを落ち着かせようと紅茶に口をつける。


 蒼矢も采牙の隣のいすに腰かけ、彼が話し出すのを待った。


 しばしの沈黙のあと、ティーカップを置いた采牙は口を開いた。


「実は、姉を助けてほしいんです」

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