第26話 正義とは

「―――見事だ英傑」


厳かな声が女の足を止める。

まだやるかと振り向けば、しかしそこにあったのは月光浴でもするかのように倒れたままの絶対正義の姿。


そこにもはや戦意はなかった。


先ほどまでとのあまりの温度差に女は気味悪がるように眉根をひそめる。

そもそも絶対正義の寝台は火炎である。

そんなところで穏やかにされても気味が悪いどころか単純に気持ち悪い。


しかし絶対正義は気にせず続けた。


「認めよう。貴様は勝者よ」

「なんだ。ずいぶんと素直になったものだな」


女が憎まれ口を叩いても絶対正義はどこ吹く風ととりあわず、ひらりと風に舞い上がる木の葉のように立ち上がって女を見据えた。


「正義とはすなわち勝者。己の衝動をねじ伏せ信念を貫き通す者よ」


後ろ手に手を組み歩み寄る絶対正義。


「正教会大司教にして神罰の具象。この絶対正義が保証する」


女がわずかに警戒をにじませるのもお構いなしに目前までくると、女を見下ろし裁決を下した。


「貴様は正義である―――と」


そんな絶対正義の実質的な敗北宣言。


女は応えた。


「上から目線なのが気に食わん。『我の負けだぐぬぬ』とでも言え」


見上げながら見下すという器用なことをしながら尊大に言い放つ女。

絶対正義は眉を弾ませ、ぎちりと牙をかみ鳴らすと剣呑に視線を研磨した。


「調子に乗るなよ英傑。あくまでも今は、だ。もし仮に堕落することあらばその時は覚えていろ」

「ふっ。負け犬の遠吠えは聞くに堪えんな」


ビチィ、と張り裂けんばかりに浮かぶ青筋を女はあざ笑う。

勝ちは勝ちで、そして相手が認めたというのならば遠慮する必要ももはやない。

とはいえこの吸血鬼がいつ爆発するとも知れないので、女は適当に切り上げてオノの元へと戻った。

絶対正義は地獄のただなかでぎちぎち牙を鳴らしていた。


「終わったぞ。またずいぶんととんでもないことをしてくれたものだな」


遠く離れたところで、オノはラクラに覆いかぶさるように倒れこんでいる。

下敷きになっているラクラがむぐむぐともがいているのが哀れだったので、女はオノをひょいと持ち上げた。


「で、なんだこのありさまは」

「魔力が枯渇している」


女に吊るされてぷらんと揺れるオノはその体勢からは考えられないほどに臆面もなく告げる。

なるほど物質の創造だのなんだのとずいぶんはっちゃけたことを連続で行使したのだ、あの凄惨な有様を見れば妥当と思えた。

どうやら指を動かすことさえ億劫そうだったので、女は彼女を肩に担ぐと今度はラクラを優しく抱き上げた。


「待遇が違う。とても不満」

「あれを見て同じことを言えるのか貴様は」


あれ。

火を見るよりも明らか以前に明らかに火である。

オノはちらりと視線を向け、そうしてまた女を見やる。


「待遇が違う。とても不満」

「そういえばお前は言えるヤツだったな。だがダメだ」


例えばあれが純然たる支援としての攻撃であったのならば文句のつけようもない。

だが明らかに女もろともにやってしまおうという思考が透けていて、そんなことをしでかす相手に優しくしてやれるほどの善人では女もない。

それ以降はオノの抗議も何もかも無視して、とりあえず村にラクラを送り届けようと歩んだ。


その腕の中で、ラクラが「むゅ」となにか言葉をもぐもぐするようにして気が付く。

ぼんやりと開いた目が女を見やり、その肩でぬぼぉんとしているオノを見やり、それからまた女を、今度はその身体をじっくりと見やる。


そして少女の手が、ゆっくりと伸びて女の健康的な乳房を掴んだ。

彼女の小さな手のひらにも収まる小ぶりなそれは、鍛え上げられた胸筋によって凛と佇んでいる。


「……おっと」


ことここに至って自分が裸体であることに気が付く女。

炎と暴力にさらされて ぬののふく が耐えられるはずもなく、あいにくと彼女の身体とは違って再生もしないのだ。


そんな状態の女に抱かれている少女は。


「ひゃぷぁ……―――」


自分の現状に気が付くと、熱暴走してまた気を失った。


「……いや、まあ、なんだ。少しショックだな」


確かに恐ろしいだろうとは思うがそれにしても気を失われては悲しくもなる女。

どうやら恐怖だとか驚きだとかが理由だと思っているらしい。


「見た目は変態」

「言うなっ」


そしてそれはオノもまた同様であり、あまりにもあんまりな言葉に女は撃沈した。


実際のラクラがいったいどういう思いで気を失ったのかは彼女のみぞ知るとはいえ、どことなく満足げに緩んだ頬と未だ胸に触れたままの指先からしてさほど悪い気分ではなさそうだったが。


「どう説明したものか」

「証言台には立ってもいい」

「検察側の証人ではないだろうな」


そんなことを想像さえもしない女は答えのない問題に頭を悩ませ、待遇の違いが気に入らないオノにからかわれながら、結局どうしようもなく村へと帰還するのだった。

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