第21話 正義とかいいから殴らせろ
好きなだけオノに身体を検分させてやったあと、女はしばらく力の使い方に慣れてから村に戻った。
戻ってみると、村はこんな夜中だというのになにやら騒がしい。
相変わらずいじいじふにふにぐいぐいしてくるオノを抱きながら帰還した女は警戒とともに迎えられ、人垣の向こうからラクラの両親たちの不安げな視線を感じた。
「あんた、森から戻ってきたのかね」
「ああ、そうだが」
村長の息子である壮年の男からの問いかけに女はあっさりうなずく。
その反応は村人たちに困惑を広げ、男は表情を険しくしながら天を指さした。
「少し前に、なにかが空を切り裂いた。恐ろしい気配に誰もがこうして飛び起きたのだ。森にいたのならなにか見てはいないか」
どうやら彼らは竜の呪いの気配によって起きてしまったということらしい。
さすがは竜の力とでも言うべきか、ただの村人たちには衝撃的だったようだ。
女はひどく神妙な顔をしてオノを下し深々と頭を下げた。
「それは俺のせいなのだ。怖がらせてしまい申し訳なかった」
「お前はいったい……」
男の問いかけには答えず、頭を上げた女は再度オノを抱き上げる。
「俺は今日―――今、ここを去る。これ以上お前たちの安眠を邪魔するつもりはないのだ。安心してほしい」
もとより明日にでもここを発とうとそう考えていたのだ。
それが少し早くなった程度のこと―――女はそう笑い、森のほうへと踵を返す。
「アルト待って! なんで行っちゃうの!」
と、そのとき人垣の中からラクラが飛び出してくる。
勢いよく飛びついてくる彼女をオノをほっぽって抱きしめた。
見上げてくる愛らしい涙目をそっと指先で拭い、女はその頭を撫でてやる。
「すまないなラクラ。俺はもとより長居するつもりはなかったのだ」
「やぁだぁッ!」
「うむぅ……すまん」
竜の呪いに勝てても少女の拒絶にはなかなか勝てない。
女はただただ謝罪するほかなく、ぽんぽんと背中をなでてやりながらどうしたものかと頭を悩ませ―――
「ッ! ラクラッ! 離れていろッ!」
「ぴゃうっ!」
ラクラを置き去りに人垣を飛び越える。
女の睨み上げる月光に、翼持つ大型獣の影があった。
それは馬車のような形状のものを牽引している。
女はかつて見たことがあった。
教会の保有する飛行獣車―――教会が総本山たる西方、その山岳地帯に生息する魔獣『
彼らが生来より有する飛行の魔術を利用したそれは教会の象徴的存在であり。
そして。
そしてその車の中に、女はあの気配を感じ取っていた。
激烈な敵意はないが、それでも嫌というほど身に染みた気配―――絶対正義。
それが今、教会という権威そのものとして女の前に降り立った。
黒染めの木と、月と鐘をかたどった黄金の紋章。
その扉が開き、ひどく窮屈そうな巨体がのそりと現れる。
「―――久方ぶりだな、英傑」
絶対正義は、これまでの対話など考えようもない一方的な様子とは全く異なって、ずいぶんと穏やかにそう言った。
それでも並外れた威圧感に村人たちは後ずさって、女と絶対正義は向かい合う。
絶対正義はじゃれついてくるグリフォンの頭をなで、そうして警戒する女に背を向ける。
「ついてくるがいい。我は絶対正義―――神罰の使徒よ。信徒どもを害することなどありはしない」
「……うっかり信仰したくなるようなお言葉だな」
ドゥンッ! と地面を陥没させて跳び立って行く絶対正義に困惑しながらも追従する。
彼女としても村人たちに危害が加わるのは本意ではないのだ。
村から距離を取るのかと思う女だったが、絶対正義は村はずれの教会へと足を踏み入れた。
集会場として使われるような小さな教会だ。
これがあったから彼は村人たちを信徒として認めているらしい。
月と鐘のステンドグラスから溢れる月光を浴び、絶対正義は振り返る。
「―――汝、悪なるか」
絶対正義の問いかけ。
戦意も敵意も害意も感じられないその静かな問いに女は目を細める。
「さて。あいにく俺は貴様の言う悪を知らんからな」
せせら笑いながら、腰に提げていたマチェットを手の中で回す。
挑むように睨みつければ絶対正義は歯を噛み鳴らした。
「悪とは……敗北者、である」
「ほう」
ずいぶん素直に語るものだという軽口はさておき、女の脳裏によぎるのは、竜の呪いが昂るままに闘争を求めた自分自身の視界。
「須(すべか)らく生命はある種の『衝動』に駆られるもの。暴力、破壊、闘争、支配、優越―――それら悪しき『衝動』を克己するこそ我らが試練、正義たる者の生きざまよ」
絶対正義は目を細め、臨戦態勢の女から立ち昇る赤黒い竜を睥睨する。
「竜の加護とは……まっこと強大な力だ」
竜は威嚇の唸りを上げるようにその身を雷鳴させ、しかし女が肩をすくめれば大人しく体内へと収納される。
とたん女の身に走る脈。
竜の血を滾らすその動脈は、鼓動に合わせて拍動する。
「人身に余る力はもはや呪いのごとく衝動を引き起こし、その理性をさえ喰らい悪と堕とす」
彼は両足を広げ、そして前のめりに腰を沈めた。
「故に問おうッ!」
バグンッ!!!!!
空間をかみ砕くように両の拳が叩きつけられる。
吹きすさぶ威風が全てを薙ぎ飛ばし、粉みじんに破砕したガラスが甲高く音を立てる。
「汝ッ、悪なるか―――ッ!」
両腕を広げて構えをとった絶対正義の詰問。
返答によっては即座に神罰として振るわれる闘志が彼の法衣をはためかせ、陽光さえ眩むほどの黄金が女を捉えて逃さない。
吹き飛ぶほどの威圧を浴びて。
けれど女はかすかに笑い、緩やかに空を―――ステンドグラスのあった向こうに輝く望月を見上げた。
そうして語られるのは。
「―――俺がまだ新兵だったときはな、あの戦鬼の義娘として育てられたことがプライドで、自分で言うのもなんだが鼻もちのならないガキだったものだ」
返答でもなんでもない、単なる昔話だった。
「エリーゼ……つまり俺のこい……こ、しんゆ……ま、まあ同僚にして、ライバルみたいな女と出会ったのはそんなころだった」
彼女はまるで雑談でもするように続ける。
「ヤツは入団試験でトップの成績だというではないか。この俺を差し置いてだ。こう見えて俺は座学も苦手ではないのだぞ? その上戦闘においては同年代どころか先輩連中にさえ引けを取らぬと思いあがっていた―――だからまあ、必然的に俺はやつにケンカを売ったよ。彼女もまた戦鬼の義娘である俺にライバル意識を持っていたようでな。その日の模擬戦で、互いに相手をぶちのめすために全力でかち合い……そして、俺はその日初めて同年代の相手に負けたのだ」
女は視線を下ろし、先ほどから今にもとびかかってきそうな体勢のまま静聴するやや滑稽な大男に笑みを向ける。
「俺はその日からとても殊勝になり、それはもう戦鬼の義娘としても恥ずかしくない立ち居振る舞いを身に着け皆に尊敬されるようになった―――などということはなくだ。翌日、俺はやつを正々堂々とねじ伏せてボコボコにしてやったよ。通算では……どうだったか。2834勝までは数えていたが……恐らく俺が勝ち越していることだろう。うむ」
うむうむとうなずき、そうして女は構えをとる。
「ようは俺は大の負けず嫌いでな。正義だ悪だと御大層なことは知ったことではないのだ」
重要なのはそこではないと、女は言う。
絶対正義、なるほどどうやらその名に恥じないだけの道理に基づき、信念を抱き対峙しているらしい。
だからなんだと女は言う。
「これから貴様をぶちのめす。なぜなら貴様が気に食わんからだ。それ以上のことなどない」
きわめて暴力的かつ一方的な宣戦布告。
正義か悪かでいえば絶対的に悪である。
やっていることがチンピラと変わりない。
けれど女の返答は絶対正義の好ましいものだったらしい。
獰猛にひしゃげた頬が、かろうじて笑みと分かる形をとった。
「―――我こそは正教会大司教ッ! 天罰の具象『絶対正義』ッッッ!!! 我が神命に基づき、これより貴様に正義を執行するッッッッッ!!!!!」
怒号とともに正義は爆ぜる。
竜は猛り、かくして決戦の火ぶたは落とされる。
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