第5話 追走者

「ふむ。さすがに撒いたか」


あまり屋根の上を走るのも目立つため、てきとうに降りた路地裏。

少女を抱っこしながら周囲を警戒していた女は、やれやれと安堵の息を吐くと少女を見下ろす。


「ひとまず軍警察で保護してもらうのがいいだろう。さすがにいつまでも付き合ってはいられんからな」

「……」

「隙あらば見ようとするな」


なにかよからぬことを企む気配を見せる少女の目をふさぐ。

これも竜のせいか、それともこの少女が無表情なわりに分かりやすいからか、女は少女の表情の細かな動きだけでなんとなく感情を読み取れるようになってきていた。おそらく今までで一番いらない能力である。


ともあれこの少女ともそろそろお別れだった。

大通りに出れば、ちょうど見つけた軍警察の駐屯所があるのだ。

いちおう自分もお尋ね者であることなど忘れて、とにかく今は少女を安全な場所に避難させたかった女はさっさとその建物へとやってきた。


「もし。迷子を保護したのだがいいだろうか」

「迷子だって?それは大変だ」


建物の奥から現れたいかにも好青年風の警察が、少女を見てほんのわずかに眉を弾ませる。

なにせ少女は特徴的な見た目をしている、大したことがないと見過ごしてもいいほどのささいな反応だが―――女には妙に気にかかった。


わずかに警戒をにじませる女に気がついた様子もなく、警官はにこやかに女へと視線を向けた。


「その子が迷子かい?ここまで連れて来てくれてありがとう、君は市民の鑑だね」

「……いやなに。とうぜんのことをしたまでだ。それよりこの少女は何者かに追われているらしい。先ほども拳銃を持った物騒な輩に襲われそうになっていたのだ」

「なんだって!? わかった、そういうことなら本部に応援を求めてもいいかい?」


そう言って小型の無線機を手に取る警官に、女はすっと目を細めた。


「やけに簡単に信じるのだな」

「……それは、どういうことかな? もしかしてその襲われていたというのはジョークだったのかい?」

「いいや、事実だ」

「それならやっぱり応援は必要だろう? 突拍子もない話だけれど、君は嘘をついているように見えなかったんだよ」


こんどこそ無線機を操作しようとするその手を掴んで止める。

にこやかな笑みを浮かべる警官の、笑っていない目が女を見た。


「なにかな?」

「警官よ。その本部とやらは、小型無線で通じるほど近くにあるのか?」


軍人であるがゆえに、女は無線のシステムについてはある程度知っている。

基本的に軍警察で正式採用されている小型無線は中継基地も兼ねた駐屯所からの電波を利用して通信を行っているが、その範囲はせいぜいが数百メートルといったところで、それぞれの駐屯所の管轄範囲をカバーできる程度。

ほかの駐屯所などへの連絡には有線の電話機を使用しているのが現状であり、街の中央付近に位置することの多い警察本部になど無線機で届くわけもない。


そんな女の言葉に、警官はすっと表情を失った。

それが答えだった。


迷いなく拳銃を引き抜く警官を蹴り飛ばし、女は少女を見下ろす。


「お前は一体なにに追われているのだ」

「分からない……けど、たぶん、マフィア」

「多分で語るべきではないと思うのだが」

「じゃあ、マフィア」


マフィア、ということになったらしい。

“まったく分からない”ではないあたりなにかしらの心当たりはあるということなのだろうが、まるで他人事みたいに淡々としている。


「……まあいい」

 

いずれにせよ、相手は軍警察にさえ権力を及ぼせるということだ。

これはとんでもない厄介ごとに巻き込まれたものだと女は嘆息し、それから駐屯所を出てみれば、大通りの人混みの向こうにスーツ姿の追っ手らしき集団が遠目に見える。

舌打ちをした女は視線をめぐらし、ちょうどそこにバスが来ているのを発見したのでいそいそと乗り込んだ。

二人分の代金を集金箱に投げ入れて、三人分くらい開いている奥の席に少女を座らせる。はしに座っていた紳士が、人好みする穏やか笑みとともに会釈するのに笑みで返した。


そうして振り向けば、コートを着た男がバスに乗り込もうとしているところだった。

一見とくにおかしなところはないどこにでもいそうな男だが、女の鋭くなった聴覚はコートの中で金属のこすれるような音を捉えていた。そして注意深く見れば、その何気ない立ち居振る舞いに一切の余分がないことに気がつく。

おのれの行動すべてを意識的に行うという、訓練することでのみ培うことのできる技術だ。

そういった細かなところを積み重ねれば、明らかにその男は、ただの一般人と呼ぶには異質だった。


警戒する女になんの気なしに視線を通り過ぎさせ、それからまるで席を探すように視線をさまよわせながら男は女へと近づいていく。

そして女の目の前にやってきて「すまない」と軽く会釈をしながらその脇を通り過ぎようとする。


「悪いが後ろは空いていないのだ」


女が、男の左腕を掴んで止めた。

その手中に握られる細く濡れた針。

コートから滑り出したそれを、男はすれ違いざまにきわめて自然な動作で突き出していた。


ひととき、ふたりの視線が交差する。


「そうは思わないが」


男はまるで意地悪をされるのが気に入らないとでもいったようすで顔をしかめながら、もう片方の手に握った針を女の側頭に突き刺そうと振るう。

女は掴んでいた左腕を強引にひねり上げるとその手に持つ針を右腕に突き刺し食い止める。さらに触れる間近で止まった針をその右手ごと掴んだ女は、それを男の左肩へと突き刺した。


「言われてみればそうかもしれないな」

「そうだろう」


男がどうやったか女の万力のような握力をすり抜けて左腕を引き抜き、肩を刺されているとは思えない流れるような手つきで女の喉に突き込む。

女は一歩横にずれるようにしてそれとすれ違い、肩に突き刺していた針を男の右腕ごと抜き取ると、こんどは下あごから脳に向けて突き刺した。


びくん、と震えて白目をむく男。


「なんだ、気分が悪かったのなら先に言ってくれ」


崩れ落ちるその身体を抱き留めた女は、男を後ろの席の端っこに座らせて自分はその隣に座った。ちょうど端から、男の死体、女、少女、そして目の前で起きたとんでもない光景に目を見開き震える紳士というような並びでまるでなにごともなかったかのように腰を落ち着ける。


そして一息ついた女は少女に問いかける。


「少女よ。確認だが、専業の殺し屋に狙われる心当たりもあったりするか?」

「マフィアが雇った、とか?」


まるで世間話でもするような女の問いかけに、少女は同じくなんてことないようすでこてんと首を傾げる。紳士はなるべくふたり(あるいは三人)から距離を取ろうと縮こまった。


「そこまでして狙われる心当たりはあるということか」


なるほどと頷き、ちょうどそこでバスが動き出す。

前を向いて静かにバスに揺れていると、ふと少女が口を開いた。


「オノ」

「む?」


とつぜんどうしたのかと女が視線を向けると、少女はおもむろに女を見上げて言葉を続ける。


「名前。オノと呼んでほしい」

「オノ、か」


どうやらいまさらながらに自己紹介ということらしい。

正直そこまで長い付き合いになるつもりもない女なのでそんなものを聞いてもどうするのか、といったところだが、たしかに毎度少女少女と呼ぶのもおかしな話かもしれないとそう思う。

そこで女はしばし考え、そして答える。


「了解した。では俺のことはアルトと呼んでくれ」


竜に名を奪われた彼女のそれは、いわば偽名というものだ。

この前宿で考えていたものであり、すでに竜に食われ記憶のどこにも見つからない自分の名前と、なんとなく似ているような気がしなくもないので採用した。


オノはぱちぱちと瞬くと「アルト」とその名を復唱し、そうしてこくりと頷く。


「善処する」

「できないことがあるのかよ」

「名前を覚えるのは、苦手」

「なるほど」


なんとなくそんな雰囲気がするなと、そんな失礼な納得を覚える女。

オノはそんな女になにか物言いたげなようすを見せるが、けっきょくなにを言うでもなく口をつぐむ。

しかししばしの静寂を挟んでオノは前を向いたまま口を開いた。


「列車が、いいと思う」

「なに?」

「列車で街の外に逃げてしまえば、マフィアの手は伸びてこない……多分」

「ふむ。名案だな」


マフィアという組織は、良くも悪くも閉鎖的で、縄張り意識が強いことが多い。

そのため根城にしている街から出て縄張りから逃れてしまえば下手な手出しはできなくなる可能性は高かった。そのために列車で長距離移動を狙うというのは、なるほど理にかなった方法かもしれない。


強いて問題があるとするのなら。


「それは、つまりそこまで俺に付き合えという相談に相違ないか?」

「アルトも、列車を目指している」

「ほう?」


興味深げに眉を上げ視線を向ける女に、視線を返すことなくオノは淡々と推理を語る。


「明らかに意識的にこの方向を目指している。この方向には、列車くらいしかないのに」

「ふぅむ」


推理と呼ぶにはあまりにも暴論だったが、しかし結論自体は間違っていないので女は唸った。

それを肯定ととったか、オノは女に視線を向けて首を傾げる。

 

「それに、ここまで来てか弱い少女を見殺しにはしない」

「……お前は、」

「オノ」

「…………オノは、なんとも、はぁ」


頭痛をこらえるように頭を押さえ、女は盛大にため息を吐く。

なんというか、きわめて小憎たらしいやつである。

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