第4話 魔眼の少女

走っていたせい―――というだけではなさそうなぼさぼさに乱れた灰色の髪。

眠たげに落ちたまなじりから覗く紫色の瞳は、今の今まで拳銃を持つ男たちに追われていたというのにまるで宝石のように静かに澄んでいて、どこか薄ら寒くすら思える。

その表情の希薄きはくさゆえにかどこかはかなげな印象こそ感じさせるが、目鼻顔立ちはきりりと際立って自然と印象に残った。

齢は二桁には届いているといった程度だろうか、体躯は幼子のようなやわらかさを持ち、しかし四肢は成長途中の少女特有の不釣り合いさも兼ね備えているように見える。


その髪といい身を包むしわだらけのローブといい、身だしなみさえ整ってはいないものの誰がどう見ても美少女と呼称したくなるような―――そんな、少女だった。


女は少女にまじまじとぶしつけな視線を向けてしまい、慌てて取りつくろうように笑みを浮かべるとしゃがみ込んで目線を合わせた。

少女の無表情を警戒によるものと解釈したらしい、すこしでも警戒を解けるようにと心がけるせいで、むしろ笑みはぎこちなくなる。


「少女よ。怪我はないだろうか」


問いかける女に応えず、少女はゆっくりと瞬いた。

そうしてその手がゆるりと女の頬に触れる。

おどろくほどに冷ややかな指先。それこそいましがたまで走っていたとは思えないほどで、女はおどろきに瞬いた。


少女は言う。


「あなたに、興味が湧いた」


これはまた初対面でおかしなことを言うものだと首を傾げる女は、その瞬間硬直する。


少女の瞳が―――変質した。


まるで紫色の水晶玉のように一体化する色彩。

その球中に、星の瞬くように踊る複雑怪奇な図形。

透き通って見えるはずなのに、その眼球は永遠と続く深淵を覗かせた。


―――魂が見透かされる。


「ッ!」


とっさに飛びのく女の視線の先で、少女は目を抑えよろめいた。

ふらふらとバランスを崩し近くの建物の壁にもたれかかる少女の手の隙間から、ぽたぽたと赤色が落ちていく。


「なにをしたッ!」


警戒と驚愕に自然鋭くなる視線。

腰に差したマチェットの柄にすら手をかけた。


少女は顔を上げる。


そして―――そのるると血涙を流す紫色・・・・・・・が女へと向けられた。


絶句する女。

少女はぜぇぜぇと息を荒げ、もはや身体を支えることすらできずずり落ちながらも女から目を離さない。


「視え、る、次は、」


そう言って、少女はぐっと瞳に力を込めた。


「愚か者めッ!」


とっさに女は外套を翻す。

少女の視線を遮るように隠し、そのまま彼女の背後へと回り込むとすっぽりと顔を包み隠した。

もがく少女だが、その力は英傑からすればそよ風ほどに脆弱なものでしかない。

やがてそうするのも疲れたのか、少女はくたりと力を抜いた。


「貴様は死ぬ気か?」


ふぅふぅと力なく吐息する少女に女は険しい視線を向ける。

先ほどのほんの一瞬でさえ、どう見てもただごとではない影響を受けている少女である。もしもまた同じことをすれば、今度は血涙だけで済むとは思えない。


自分が不快な感覚を向けられたことさえどこかにほっぽって叱る女に、けれど少女は容易く言った。


「それでも、きっと視えた」

「……いったいなにを見たというのだ貴様は」


揺ぎなく、己が命すらかえりみる様子のない少女。

なにがそこまで彼女をかたくなにさせるのかとため息を吐く女に、少女はどう表現すればいいのか分からないようすで何度か言葉を探すように口を開閉し、それからぽつりと答えた。


「―――竜、?」

「ッ!?」


少女から放たれたまさかの言葉に女は絶句する。

それに気がついたようすもなく、少女はぽつぽつと言葉を続ける。


「なにかとても、強い力、だった。今まで見たことがないような、今まで視たどんなものとも違う、強い、まるでたとえば、嵐の日に、とぐろを巻く雷光を見上げるような―――違う、雷雲の向こうに、雷光は眼差し、暴風は吐息だった、そう、竜、竜! 竜ッ! あなたの中には竜がいる! 竜がッ! 竜が……ッ!」


語るにつれて思い出したように興奮する少女。

じたばたと暴れ出すその身体を強引に押さえつけながら女は険しい表情で考え込む。


―――魔骸まがい、と。


先ほどの少女の目は、そう呼ばれる類の代物だ。あるいは神髄、邪印と。

神の祝福か悪魔のいたずらか、国や地域によってはそのどちらとも語られる、生まれつき魔術そのものによって造形された体の一部―――埒外の異物。


その眼は、だから魔眼とでも呼ぶべきだろう。


あの魂を見透かされるような感触。

間違いなく少女はなにかを、ただひとの目に映らぬなにかを視たのだ。


そう思えばこの消耗具合にも納得がいく。


なにせ、竜だ。

前に立ったことのある女だからこそ理解できる。

その外側を直視するだけで魂が挫ける絶対なる者。

あんな存在を、その残渣とはいえ見透かそうだなどとすれば、むしろ今まだ生き永らえていることが奇跡とすら思えた。


このさい、恐らくは自分の秘密が露見したことなど二の次だった。

さすがにせっかく助けた少女が目から血を流して死ぬのを直視したくない。


女は少女の目のあたりを外套の上から押さえ重々しく口を開いた。


「少女よ。なにを見たのかは知らないが、止めておけ。視えぬどころか、次は本当に死にかねん」

「……」


いっそ確信的な重さを乗せた女の忠告に、少女はぴくりともがくのをやめる。

力なくその手が落ちる。

やれやれとため息を吐いて、女はそっと外套をど戻した。


ギンッギンの魔眼だった。


うっそだろこいつ、と女は頭を抱える。

一応警戒していたおかげであの感覚はなかったものの、もしうっかりしていれば今頃少女は物言わぬ死体になっていてもおかしくはなかった。


「チッ」


それなのにこいつ舌打ちまでする。

女は少女の正気を疑った。

もしかして脳みそまで魔術製かな?とか思う。

 

「おい?」

「死んでも本望」

「滅多なことを言うんじゃない」


てちっと叩くはたくが、少女は負けじと外套をはがそうとしてくる。

それを押さえつけながらまた盛大にため息を吐く女の耳が不意に足音を捉えた。


大通りのざわめきの中に紛れ、彼女たちに迫ってくる明らかな団体行動の音。


「おい、また追手が来たぞ」

「ならその前に一目視る」

戯れるざれるのはいい加減にしろ。逃げるのか? 逃げないのか?」


次にふざけたことを抜かしたら置いていくつもりで女が問えば、どうやらさすがにそれを察したらしい、きわめて不承不承といったようすながらも少女は「……逃げたい」とそう言った。

それに頷いた女は外套をそっと外し、その眼が元に戻っているのを確認してから少女を抱き上げる。


ぱちくりと見上げてくる彼女を見下ろし、女はにやりと笑んだ。


「少し飛ばすぞ。舌を噛むなよ」

「なにを」


そう告げた女は少女の言葉を待たずぐっと膝を曲げ、そして次の瞬間いきおいよく跳躍した。

その脚力のすさまじさたるや、足元の石畳が隕石の落ちたようなありさまに砕け散ってしまうほど。

一息の間に宙を舞った女はさらに建物の壁を蹴って加速、たった一歩で街を見下ろし、そして三角屋根の上に降り立った。


「やはりあなたはおかしい」


口からちょっと血を流しながら、しかしそんなことを気にした様子もなく興味津々といった様子で瞳をうずかせる少女。魔眼を行使したいという思いと葛藤しているのか、ぐぐぐと眉根を寄せて難しい顔をしている。


「……するなよ。腕の中で死なれてはたまらん」


女はびみょうな顔をして少女の口元を拭ってやり、それから屋根の上を伝って移動し始める。

幸いにして方向感覚には優れる女である、とくに迷いもなく駅を目指して屋根を継ぐ。

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