第3話 都にて

夜明けの日差しを堪能する間もなく、実に三日三晩もほぼ休みなくひたすらに走り続けた女。

これも恐らくは竜の呪いなのだろう、体力の限界も眠気の一雫も感じないことを喜べばいいのか恐れればいいのか。そんなことをつらつらと考える余裕はあいにくとなかったが、そうして一心不乱に走り続けるうちに彼女はいつの間にかベングランスの都にやってきていた。


北方都市ベングランス―――女の住むヒューミッド王国の中でも三番目ほどに栄える都である。

たくさんの四角窓があいたレンガ造りの三角屋根が理路整然と立ち並ぶ赤褐色の街並み。

石畳の敷き詰められた大通りを行く馬車や、ホロのない馬車のような形をした自動車(※蒸気機関を動力に駆動する車)はもともと彼女がいた辺境では見られないほどに豪奢で、田舎者まるだしについつい視線で追ってしまう。

道行く人々の装いもどこか華やかに近代的で、ふだん軍服ばかり着ていた彼女にはあまりに新鮮だった。


「ふむぅ……と、いかんな」


あまり田舎者丸出しに視線を巡らしすぎるのもよくはないだろうと、道中の町で適当に見繕った外套のフードを深く被る。目立つまいと購入したものだが、こうして実際に人の多い場所にいると場違いすぎてかえって目立つような気もした。

それでもお尋ね者の身分で顔をさらして歩くわけにもいかないだろうと、周囲から向けられる視線はなるべく無視した。


そんな風に視線を避ける彼女が、それでもわざわざこんな人目の多い場所にやってきたのにはもちろん理由がある。


南を目指すにあたってさすがに最後まで自分の足でとは彼女は思っていない。

森林帝国までは実に数百kmもあるのだ。今の身体であれば踏破自体はできるという確信があるものの、そんな悠長なことをしている間に捜索の手が届いては困る。

だからこそ彼女はこのベングランスを目指していたのだ。


なぜならここには列車の駅がある。


列車。

ヒューミッド王国を巡る交通網のひとつ。

蒸気の力によって線路上を走る乗り物であり、ほんの十数年前に発明されて以降急速に普及している文明の利器だ。民間向けのものだと、首都を中心とした放射状の中央線と、王国外円を巡る環状線からなる。


それを利用し、王国南縁に触れる森林帝国領の手前―――妖精都市リルファまで移動できないかと女は考えていた。

徒歩では途方もない道のりではあるが、人類の叡智たる列車に乗ればほんの数日もあれば到着できる。公営の施設であるためリスクは相応に高いものの、内部はある種の閉鎖空間であり、試してみる価値は十分にあった。


それに―――女は今まで列車になど乗ったことがないのだ。

そもそもこのベングランスにさえ何度と来たことのない女にとっては、実はそれは密かな憧れだったりする。


「はてさて駅はどこにあるのか」


人生で初めて乗る列車に心弾ませながら人混みを歩く。

逃避行にしてはずいぶんとのんきなものである。


その途中、ふと目についた新聞店にふらりと立ち寄り、胡散臭うさんくさそうな目を向けてくる店主に硬貨を投げて今日の日付の新聞を一部購入する。歩きながらにそれを読み、すぐに欲しかった情報を見つけた。


『この顔に心当たりのある者は軍警察まで申し出るように。

・20代の女

・身長1.76m

・赤髪、碧眼

・細身ではあるが筋肉質』


そんな記述とともに記される人相書き。

いかにも目つきの悪い極悪な顔つきをした女だ。

なるほどこれはとんでもない大罪人に違いないと、きっと誰が見ても思うだろう。


それをまじまじと眺め、くつくつと笑う。


これは間違いなく彼女のことを指す記事だった。

けれど色彩といい顔つきといい彼女とは―――今の・・彼女とはかけ離れている。

たしかに元々は赤髪に碧眼を有していたが、それが黒く染っていることなど仲間たちは既に知っているはずだ。それにこの顔つきなど、まるで悪鬼羅刹の如くではないか。


「やつらめ。今度また徹底的にしごいてやる」


いつか再会したら、きっとあることないこと吹聴したのだろう仲間たちにしっかりと復讐してやろうと女は心に決めた。


ひとしきり笑った女は、適当な物乞いに硬貨を渡して駅までの道を聞き、ついでに新聞をくれてやると、ふらりと路地裏に足を踏み入れた。

人相書きはあの有様だったが、それでもできることならば人目につかない方がいいだろうと今更ながらに思ったらしい。ちょうどそこで、巡回をする軍警察が遠目に見えたというのもあった。


大通りとうってかわって薄暗く沈んだ路地裏。

浮浪者のたぐいが建物の影に座り込んでいるのもチラホラと見える。

じろじろと向けられる視線はきわめて不快だが、女はあくまでも毅然きぜんと胸を張って歩いた。

あわれとこそ思いはするものの、甘いところを見せれば集られる。あくまでも堂々たる振る舞いを見せていれば、権威を力を恨み恐れる彼らはにらみつけたりこそしても直接手を出してくることはない。


物乞いに示された方向を目指し、路地裏を潜っていく。

といっても大通りからひとつかふたつ奥まったところを併走していくような形で比較的歩きやすくはあった。人通りも少なく、これならばあっさりと駅まで着くことができるかもしれない。


―――そんなふうに、思ったのがいけなかったのだろうか。


「うん?」


女は不意に、ある光景と遭遇した。


幼い少女。

そして銃火器を持つスーツ姿の複数の男たち。


少女が追われ、男たちが追っている。

そんな光景が前方を横切って行った。


明らかな厄介事の気配である。

関わるべきではないと、彼女の勘がささやいた。


女は大きくため息を吐く。

無視をするのは簡単だ。自分も追われる身だというのに、よその厄介にまで首を突っ込むべきではない。


―――しかし。


たとえばこれを見過ごしてしまえば―――きっと次に会う時は本当に、戦鬼の刃は首を分かつことになるのだろう。もちろん愛おしい彼女との続きもなしだ。というかむしろ彼女にくびり殺されかねない。


仕方がないと肩を竦め、女は厄介事を追って走った。


とはいえなにせ英傑である―――追いつくだけならばほんの一息で事足りる。

犯罪臭しかしない集団の背後に追いついた女は、さらに驚くべき跳躍力でもって男どもを飛び越えてみせた。


なにごとかと男たちが空を仰ぐころには少女と男たちの間に着地していた女は、外套を翻しながら男たちを睥睨へいげいした。


「悪いが急いでいるのだ。―――手加減はできんぞ」


その傲岸不遜な物言いに激情するでもなく。

男たちはその手に持っていた銃火器を、あっさり女に向けて引き金を引いた。


続けざまに鳴り響く銃声。


その迷いのなさは明らかに人を撃つことに慣れている者のそれであり、だから彼らはその結果人間という脆弱な生き物がどうなるかなど十分に承知しているはずだったし、なんなら撃ちながらにして少女を追走せんと走り出そうとしていた。


ただし彼女は英傑だ。


竜に見初められた者が、銃弾ごときにその身を脅かされる道理などない。

女はそれを知っていた。

だからこうして身をさらしたのだ。


―――はたして銃弾は。


その一粒たりとも女の皮膚に傷を付けることはできなかった。


「問答無用、か―――いい返事だ」


皮膚に受け止められた鉛の弾丸がからんからんと音を立てて落ちる。

圧迫痕すら瞬きの内に消え去って、そして女は笑った。

そこに至ってようやく目の前の相手がまともな存在でないことに気が付いた男たちが恐れるように後ずさり、女は軽率に一歩を踏み出した。


「殺せ!」


先頭の男が発破をかけるように銃口を向ければ、慌てて後ろの男たちも銃口を向けようとして。

しかしそれはできなかった。

なぜならたった一歩の間に、すでに女は男の懐にいる。


「少々痛いぞ?」

「ごっ、お゛っ」


無造作に振るわれた拳が男の鳩尾に直撃する。

悲鳴すらなく―――腹を押さえ倒れ伏す男。

それに視線もくれず、当たるが幸いと振るわれる女の拳が蹴りが男たちをたった一発でねじ伏せていく。まるでただ歩いているだけという気軽さで最後尾にまでやってきた女は、恐怖にさいなまれるままに悲鳴を上げて引き金を引く男を、放たれる銃弾ごと叩き潰した。


もはやうめくことすらできないほど打ち据えられ、あるいは気を失い倒れ伏す男たちをぱんぱんと手を払いながら見下ろした女は、それから少女へと視線を向ける。


そして女は少し驚いた。

なにせ飛び切り見目麗しい少女である。

なるほど危なげな集団に追われるのもむべなるかな。

女は妙な納得をしつつ彼女に近づいていった。

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