フラれて→死んで→また恋をして→

北条新九郎

『死に甲斐』

 ある春の夜。十八歳の少年、尼子晴詮あまご はるあきは一人公園のベンチで佇んでいた。時間は既に深夜。都心郊外の街とはいえ、子供がこんな時間にぶらつくのは良くない。勿論、本人もそれは分かっている。けれど……どうでも良かったのだ。


 彼には、もう何もなかったから。


「はぁ……」


 勉強は上手くいかず、両親から度々呈される苦言。運動も何とか並を保つ程度。交友関係はほとんどない。何かしらの才能もなければ、運すらなかった。平凡以下。普通以下なのである。モブのようなスペック。誰も興味を示さない、存在する意味がない人間だった。


 それでも今まで頑張ってこれたのは、恋をしていたから。年頃の少年らしい淡い初恋である。


 ……だが、その最後の拠り所も遂に破れてしまった。


 彼はもう生き甲斐を見い出せなかったのだ。


 当然か。


 何故なら、死んでいるのだから。



 幽霊なのである。



 初告白が玉砕したその日、事故で命を落としていたのだ。それから三ヵ月間、誰とも話さず、誰にも気付かれず過ごしてきたのである。


 それは想像以上に辛い生き方? だった。何度も自分の存在意義を問うていた。存在していないのだから、当然か。ともかく苦痛過ぎた。頭がおかしくなるほどに。


「死にたい」


 晴詮、阿呆なことを言う。それを馬鹿にするかのようにカラスが鳴いた。


「消えたい」


 次いで、うつ伏せになった。もう何も見たくないと……。


 誰もいないはずの公園。なのに、聞こえてくるは啜り泣き。本来なら心配をして、誰か声を掛けてくれるかもしれない。けれど、晴詮に限っては有り得なかった。


「どうせ、生きてても良いことなんてなかったさ」


 自分を慰める。言い訳とも言うが、そのせいか彼の耳に「大丈夫ですか?」なんて気遣ってくれる女性の声まで聞こえてきた。


「幻聴まで聞こえる」


 やはり、彼の頭はもう壊れてしまったのか。密室に閉じ込められた人間が発狂してしまったなんて話も聞く。ただ、それが女性の声というのは、捨て切れない色欲のせいか。


 念のため晴詮が顔を上げてみると、そこには若い女性が立っていた。


「幻覚まで」


 その女性が美人なのも、色欲が原因。彼も己の邪念に呆れかえり、笑ってしまった。


 一方、女性は期待外れだったかのように溜め息を吐いていた。そして去っていく。


 ……しかし、それにしても幻覚には見えない鮮明な美しさだった。ふちの広い麦藁帽子。それに隠れた長髪をかき上げる姿は、実に艶かしい。肌は白く美麗だったが、身に着けているワンピースはそれ以上の純白さを醸し出していた。彼女自身の純潔さを表しているかのよう。


 晴詮には全く縁のない類の女性。……縁のない? 縁がなければ幻覚として作り出せるものだろうか? テレビ越しでは味わえないこのリアルな輝きを。つまり……、


「あ、あの!」


 晴詮は慌てて声を掛けた。今を逃してはならないと、短い人生経験が訴えたのだ。そのお陰か、彼女は振り向いてくれた。嬉しそうに。晴詮は請う。


「俺のこと、見えるんですか?」


「はい。貴方も」


 それは三ヶ月ぶりの『会話』だった。生が吹き込まれた言葉。意味のある語らい。彼の止まっていた心臓が、再び動き出した瞬間だった。


「……す」


 すると彼女が何かを言った。晴詮が「え?」と聞き返すと、


吉川久枝きっかわ ひさえと申します」


 彼女は笑いながらそう名乗った。


 そして、涙を流した。同じだったのだ。晴詮と。


 孤独は辛い。それを知っているから、彼もすぐに泣いた。枯れていたはずの涙が、勝手に溢れ出てきた。


「尼子……晴詮です」


 出会って早々泣き合う二人。言葉は交わさない。それだけで十分なのである。とても幸せだったから。




 月明かりに照らされる中、男女はベンチに腰を掛けていた。


 女性と公園のベンチに座るなんて、晴詮にとって当然初めてのこと。しかも、決して誰にも邪魔されることはない。死んで良かったと、彼はこの時初めて思っていた。


 そして、彼女もやはり幽霊だった。興味津々に晴詮のことを訊いてくる。


「尼子さんは最近死なれたんですか」


「はい、つい三ヶ月前、トラックに轢かれてしまって」


「お気の毒に。それは痛かったでしょう」


「いやぁ、一瞬のことで自分は覚えていないんです。痛みもほとんど感じませんでした。今は家族の守護霊をしています」


「それは立派なお仕事を」


 幽霊同士、実に独特な会話である。元来口下手だった晴詮も、請うに請うた人との談笑が叶って、この時はすこぶる饒舌になっていた。


「吉川さんは生前何をされていたんですか?」


 彼女を知りたいという欲求が、晴詮にそう質問をさせた。……が、その返答は予想外のもの。


「それが……覚えていないんです」


「え?」


「全く……。覚えているのは自分の名前だけ」


 申し訳ないことを訊いたと、晴詮の口が止まってしまう。生前なら、そのまま気まずい雰囲気に突入。距離を置いて、さようなら……と、なっていたであろう。


 だが、これは最後のチャンスである。孤独から逃れられるよう神から与えられた機会。彼は会話を途絶えさせないよう、口を無理やり動かした。


「そういえば……聞いたことがあります。浮遊霊は記憶をなくしていることが多いとか」


「そうなんですか?」


「地縛霊は生前に関わったモノに執着している。だから、記憶はなくなり辛いそうです。だけど、浮遊霊というのは当てもなく漂っている霊のこと。それは記憶がないからだと聞いています」


「物知りなんですね」


「守護霊だけはあの世公認でこの世に留まれて、幽霊界隈の知識を得られるんですよ。悪霊など邪なものから護るのが仕事ですから」


 すると、久枝はもう一つ教えられることを見つける。


「実は……私は尼子さんが初めてなんです」


「初めて?」


「私はもう何十年もこの辺りを漂っていました。そして今日、初めて人と話すことが出来たんです。貴方と」


 改めて彼女を見直せば、確かに古めかしいワンピース姿だった。少なくとも昭和中期くらいのファッションか。久枝という名前も、どちらかといえば古風である。


「だから……。本当に、久しぶりに人と話せたから、思わず涙が……。ごめんなさい、驚かれたでしょう?」


 苦笑する久枝。その外見から察するに、歳は二十に届くか届かないか。ただ断言出来るのは、彼女は生前以上に『死後』を過ごしていたということ。一人っきりで。


 晴詮の悩みは軽かった。軽過ぎた。僅か三ヶ月で泣き崩れていたのだ。彼女は五、六十年である。彼は自分が情けなった。だから、ついこんなことを言い出してしまう。


「なら、記憶を取り戻してみませんか?」


「え?」


「もし……良かったらですが」


「でも、そんなこと出来るんですか?」


「断言は出来ませんが、俺は幸運にも幽霊の知識も生前の記憶もあります。もしかしたら、吉川さんの手助けになれるかもしれません」


 立ち上がる晴詮。男らしさを見せつけるべく、少し痛いくらいに胸を叩いてみせた。しかし、出会ったばかりの相手に頼むのは久枝も気が引ける。それでも彼は駄目押しに叫ぶ。


「これも何かの縁です。是非、協力させて下さい!」


 久枝の晴詮に対する第一印象は良いものだった。信用出来そうな気がしたのだ。それに、彼からはどこか心地良さも感じる。


 託しても良い――。


 微かに残っている生前の想いが、彼女の背中をそう後押しした。


「では、宜しくお願い致します、尼子さん」


 久枝がそう言って頭を下げると、晴詮は大喜びした。同情心もあったが、彼にとって死んで初めて出会えた女性である。その枯れた心に息吹を与えてくれた女性。そして、死を受け入れさせてくれた女性……。無能な自分でも、誰かの役に立ちたい。生前叶わなかった、自分の存在を意味あるものにしてくれる女性なのだ。


「はい、こちらこそ」


 何より、可愛かったから。


 ……但し、久枝を救うということは、同時に晴詮自身を大きく傷つけることにもなる。それでも、彼女の幸せを望む気持ちに偽りはない。


 こうして、晴詮は生き甲斐ならぬ『死に甲斐』を見い出したのであった。




 翌日は雲一つない晴天だった。正にデート日和。公園にて、晴詮は彼女の到来を待ちわびていた。彼も守護霊という仕事があるため、一旦家に帰らないといけなかったのだ。


「早く来過ぎたかな」


 まだ予定の一時間前である。その様相は落着かず、服や髪を弄りながらキョロキョロと辺りを見回していた。分かりやすいデート初心者である。いや、ただの不審者か。


「まさか、来ないってことはないよな」


 昨日のことすら忘れてしまう。そういう霊もいるらしい。けれど、それも初心者の思い過ごし。


「おはようございます。すみません、遅くなりましたか?」


 久枝がやってきた。昨日と変わらないお淑やかさを身に纏って。


「いや、俺が早く来過ぎたんで。じゃあ、行きましょうか」


 心浮かれ、少年の笑顔が輝く。多少不都合があった方が、飾らずに楽しめるもの。


 まず二人が向かったのは、近くの商店街。晴詮にとって見飽きたその光景も、今日はとても新鮮に見えた。


「今日は任せて下さい。伊達に守護霊をしてるわけではないですから」


「お願い致します」


 小心者とは思えない自信満々ぶり。隣に女性がいるというだけでこうも変わるのか。彼の目に映る全ての光景が、別世界の如く煌きを見せる。あの自転車の主婦も、あの肉屋のオバちゃんも、あの電柱の猫も、全部、全部が、動物園で初めて見る珍獣のような目新しさがあった。


 これがデート。これが彼女。ただ一緒にいるだけで全てが変わる。正に人生の最高の調味料。今の晴詮は天にも昇る気持ちだった。……まぁ、実際に天に昇ったのだが。望むらくは、生きているうちにしたかったか。


「天気が良いですね、吉川さん」


「そうですね」


「散歩日和ってやつですかね」


「はい」


「ピクニックにでも行きたい気分ですね。何か、子供の頃を思い出すような」


「はい……」


「ちょっと遠出してみましょうか?」


「……」


「前、俺が通っていた学校がありましてね。そこの桜が……」


「あの……」


「はい? ……あ」


 少年は今気付いた。彼女が気まずそうにしていることに。更に本題を問われる。


「それで、私の記憶の方は……」


「あ、はい。そうですね」


 浮かれるのは仕方がなかったが、その姿は実に見っともない。晴詮は頭を落着かせて、守護霊として得た知識を漁る。


「記憶を取り戻すには、未練を解決させるのが一番らしいんです。恐らく、吉川さんはこの街で何かを探しているんだと思います」


「未練ですか……。心当たりは特に」


「それと、幽霊には見えるものと見えないものがあるそうです」


「見えるものと見えないもの?」


「幽霊が見える人間、見えない人間がいるように、幽霊の中にも人間が見える霊、見えない霊がいるそうなんです。それは幽霊同士でも同じで、それらは相性によるものとか」


 ただ例外として、守護霊は全ての人間、全ての霊が見える。それらから護るのが守護霊の務めだからだ。それを聞いて、久枝も何か納得したかのように大きく頷いた。


「ああ、そういうことですか。不思議に思っていたんです。街中はいつも人が疎らだったので」


「今も少ししか?」


「ええ、一人、二人ぐらいしか。それに薄っすらとで、顔もハッキリとは」


 晴詮は確認する。駅前の商店街だ。しかも日曜日。老若男女、少なくとも百人以上は目に入った。


 彼の胸が引き締められる。そういえば、晴詮は人ごみを避けて歩いていたが、彼女は気にせず直進していた。本当に見えなかったのだ。久枝は本当に一人だった。


 晴詮は平然を装って続ける。


「見えている人間は霊感が強い人なんでしょう。若しくは、吉川さんと縁がある人間なのか」


「私と?」


「相性が良い者。それが吉川さんの未練と繋がっているかもしれないんです」


「成る程」


「一つ一つ確かめるには時間が掛かりますが、地道に進めていきましょう」


「はい」


 こうして、二人は早速作業に入る。しかし、その確認というのが少々面倒だった。無関係な相手には申し訳ない方法でもある。


 ……。


 ……。


 ……。


「うっ」


 その青年は突然悪寒を感じた。背中からである。ゲームセンターに向かっている途中の出来事だった。危なそうな道は通っていないはずと、彼は考えを巡らす。その末に、方向転換し足早にその場を去っていった。


 気付いたらすぐに帰宅し塩を浴びて寝る。これが、霊感持ちであるその青年の霊対策であった。


「あの人は、ただの霊感の強い人でしたね」


 そんな彼を晴詮たちが見送る。実際は、晴詮と久枝が青年の背中に張り付いただけ。その途端態度を変える人間は、ただの『霊感の強い人』。久枝とは無関係の人間である。


 こうやって久枝が見える人、一人一人の背中に憑いて確認していく。そして全く反応しない人が、『霊感がないのに、久枝が見える人間』ということで、彼女と縁がある人物と断定出来るのだ。だが、中には中途半端な霊感人間もいるので、確実性は低い。


「相手を怖がらせてるみたいで、申し訳ないですね」


 心優しい久枝がそう言うと、晴詮も同意する。


「でも、幽霊になると出来ることが限られてきますから」


 その後も、二人はそれを続けた。


 そして十人目のこと。相手は中年女性だった。背中に張り付いても全く反応を示さず、歩みを進める。


「吉川さん。もしかして」


 晴詮が目線を送ると、彼女も嬉しそうに頷いた。


 三十分近く経った。帰路についてるのか、場所は住宅街。やがて女性はある一戸建てに入って行った。


「ここか」


 昭和に建てられたであろう砂壁の家。久枝とは時代が多少ズレているかもしれないが、もし本当に縁のある人間なら何か感じ取ってくれるはず。晴詮は祈るように彼女を見るも、


「どうですか? 吉川さん」


「はい……。あまり」


 反応は宜しくない。すると、また女性が出てきた。……塩を持って。


「っ!」


 それは霊に対してあまりにも危険な行為だった。狙いも定めず、ただ乱暴に撒き散らす。清めるには塩。素人でも思いつく手段なだけに、効果は大きい。


 晴詮は考える間もなく、久枝を抱き寄せて避けさせた。


「だ、大丈夫ですか?」


 触れてはいないはず。念のため晴詮は彼女の肌を確認するも、綺麗な白のままだった。


「はい。ありがとうございます」


 突然引っ張られて、彼女も目を丸くしていた。けれど、事が事なだけに、例え男に抱かれていても丁寧に礼を示す。晴詮もまた、彼女に触れて興奮しつつも紳士的に手を離した。


「いえ、ここもハズレみたいでしたね。でも急に塩を撒くなんて、物騒なオバサンだなぁ」


「仕方ないですよ。……ただ、今ので一つ思い出したことがあるんです」


「何です!?」


「今の飛沫みたいな……光景。それに……水を……大きな水を見ていた気がするんです」


「水?」


「一面、水ばかりの景色です」


「飛沫に、一面の水。……海か!?」


 大きな前進だ。しかし、ここから海まではかなり距離がある。幽霊にとっては大旅行になろう。…………だが、幽霊の旅行とは?


 それは電車だ。その後、二人は生前と同じように駅に行って、電車に乗った。違うところといえば、無賃乗車ということぐらいか。


 しかも、


「離れないように気をつけて下さい」


「はい」


 奥手の晴詮が久枝と手を握っていた。生前ならあり得ないこと。尤も、これには理由がある。


「すみません、浮遊霊と見知らぬ土地で離れ離れになると、二度と再会出来なくなるので」


 記憶を失っている彼女は地理も分からない。つまり、自分で電車に乗ることも出来ないのだ。しかも、今回は電車を乗り継ぐほどの遠出。どこかではぐれてしまえば、彼女は二度とあの街に戻って来れないだろう。


 だから、晴詮は丁寧に慎重に旅をした。


 そして日が暮れ始めた頃、やっと海に辿り着いた。江ノ島を望める湘南の砂浜。地元から最も近い海水浴場だ。


 広大な海原を眺める晴詮。美しくも圧倒されるその雄大ぶりは、人間などちっぽけなものと思わせてしまう。人間一人の人生なんて些細なものなんだと。その気持ちは、幽霊になっても変わらなかった。


 久枝も似た気持ちだったかもしれない。彼女もただ海を見つめていた。


 淡々と、懇々と、延々と……。


 やがて夕陽が二人を照らすようになると、やっと口を開いた。


「尼子さん、今日はどうもありがとうございました」


「もしかして……記憶が?」


「いえ、私の未練とはあまり関係なかったようです」


「……そうでしたか」


 そう都合よく解決するとは思っていなかったが、それでも落胆は避けられなかった。ただ、意外にも彼女は違うよう。


「何十年ぶりの海……。大きくて、広くて、心が洗われるよう。ここに来れたのも、全て尼子さんのお陰です。本当にありがとうございます」


 そう感謝されれば、晴詮も無駄ではなかったと喜べた。


「俺も海は好きです。生前も辛いことがあったらよく海を見ていた。自分の悩みなんてちっぽけに思えるから」


「尼子さんに会えて、本当に良かった」


「俺だって、吉川さんと出会えたことでやっと死を受け入れられた」


 久枝が笑みを見せてくれると、彼もまた微笑むことが出来た。


 ただ、彼女はこうも言った。


「……尼子さん、実は隠していることがあるんじゃないですか?」


「っ!?」


 その問いに、晴詮はつい言葉を詰まらせてしまった。図星だから。


「私のような浮遊霊がこの世に留まっているのは、未練があるから。それはつまり、未練を解決させるとこの世にいられなくなるということじゃないでしょうか?」


 その通りだと、彼は無言の返答をした。


「そうなると、私はどうなるんですか?」


「……貴女は成仏し、あの世で魂を清め、生まれ変わるのを待つことになります。いつになるのかは分かりませんが、新たな人生を歩むんです」


「それは、今までの記憶を失って、また一人で待ち続けるということですか?」


「はい」


「つまり、尼子さんとお別れってことですね」


「……はい」


「そんなの……嫌です」


 これまで従順だった久枝が初めて拒んだ。勿論、晴詮も同じ気持ちだ。


 彼女との別れ――。


 それが、彼が胸の内に仕舞っていた悲運だった。しかし、彼女にとってそれが幸せなのである。


「この世に留まっていれば、いずれ消えてなくなります。成仏するのが一番なんです」


「何十年も……何十年も待ったんです。折角、貴方と出会えたのに、お別れなんて……。そんなの耐えられないです。もっと話したい。もっと触れ合いたい。……もう一人ぼっちは嫌です」


「俺だって! ……俺だって。けど……」


 彼女の望みは自分の望みと同じ。だから、つい声を上げてしまった。けれど、続きが言えない。「俺と別れてくれ」と言えなかった。彼女のことを本当に想えば、そう言わなければならないのに。


 土壇場に来て彼女の幸せより、彼女といたいという自分の幸せが勝ってしまう。情けない男だ。本当に情けなさ過ぎる……。晴詮は心の中で自分に激怒した。


 しかし、


「未練探しなんて止めましょう。私はこのまま一緒にいたい」


 何と久枝の方から言い出してくれた。


「この海を見ていて思ったんです。命を落としたって、幽霊でいたって、こうやって感動を得られるのだって。私はもう一人じゃないんだって。……私は間違っているんだと思います。でも、もう我慢出来ないんです!」


 それは何十年も溜め込んでいた心の悲鳴。


「貴方が……ご迷惑でなければ」


 そして、最後はしおらしく請うてくれた。


 それを前に、下唇を噛み締める晴詮。こんなことを彼女に先に言わせてしまった。本当は自分が言うべきなのに……。その罪を償うため、勇気をもって、本心をもって彼は答える。


「君が俺を見ることが出来て、触れることも出来たのは、きっと俺自身が君の未練に関わっているからだ。俺の死は運命だった。そして、君との出会いも運命だったんだ。……なら、俺は君の望みに全力で応える」


 次いで、手を差し伸べた。


「もう、絶対に寂しい思いはさせない。もし、君が消えてしまうような危ない目に遭っても、俺が必ず護る。それが守護霊の務めだ。久枝さん、俺に君を護らせてくれ」


「晴詮さん……」


 そして、久枝が受け入れるようにそれに手を重ねると、晴詮は力強く握り締める。いや、抱き締めた。彼女も大人しくそれを受け入れる。……涙を流しながら。


「私は浮遊霊です。どこかへ行ってしまわないようしっかり抱いていて下さい」


「ああ、もう離さない」


 抱擁が二人の冷たい身体に温もりを与えてくれる。


 この温かさをもう失いたくない。そう決意しながら、晴詮はその『死に甲斐』を愛おしく抱き続けるのであった。


                                     了

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