神殿火竜隊のはみ出し部隊

綿野 明

一 配属



 アルンはそれまで特に変わったところも特別なところもない、ごく普通の「大地の神殿の神官さん」だったのだ。美しい森の神殿で歌を歌い、命の豊穣を願って祈る平穏な日々。そして彼女はそんな日常におおむね満足していた。


 十六歳になった日の朝、神殿長に呼び出されるまでは。


「――へっ!? あ、いえ、すみません」


 思わず変な声が出てしまって冷や汗をかいたが、幸いなことに猊下げいかは彼女を咎めなかった。地の神殿長は皺だらけの細い手で土色のローブのひだをゆったりと整え、淡々と繰り返す。


「アルン、あなたに火竜隊への入隊を命じます」

「い、嫌です……!」


 反射的に声を上げる。猊下が笑顔のままぴくりと片眉を上げた。


「嫌、ですか」

「私、畑を巡る『豊穣の使者』になりたいんです! さらさら揺れる金色の麦穂達に恵みの歌を歌ってやりたいんです! だから火竜には入れません!」

「麦畑へ恵みを授けるのは、麦の穂が青い時ですよ。熟してしまってから歌ってもどうにもなりません」

「……そ、そうですけど! そうじゃなくて! 火竜隊って、災害の現場とかで救助活動をする人達でしょう? それって火の神殿の仕事じゃないんですか? なんで私が……豊穣の使者がダメなら、せめて神殿孤児院がいいです。地の神官の奉仕職ほうししょくといえば孤児院の子供達と遊ぶことじゃないですか!」


 腕を振り回して訴えると、神殿長はいかにも慈悲深そうなやわらかな声で告げた。


「断じて、遊ぶことではありませんよ。あなたが訪れる度に子供達のお行儀が悪くなってゆくと孤児院から苦情が来ています」

「ひどい!」


 アルンは頬を膨らませ、神殿長は品の良いため息をついて言った。


「……あなたの希望は私も存じています。けれど、あなたを豊穣の使者へ加えてあげられない理由が、三つあります」

「三つも!?」


 アルンは目を剥いて叫んだ。猊下は少し嫌そうな顔をしてから「もう少し、おしとやかになさい」と言った。


「……すみません」

「一つ目は、あなたのその不器用さです。植物の成長には特別繊細に力を扱う必要がありますから」

「植物を育てるのは得意です!」

「そうですね。見上げるほど背の高い麦とか、小屋のような巨大カボチャとか」

「う……」

「畑の作物が全てそうなったとして、出荷できますか?」

「逆に高く売れるかも」

「一つ目は、不器用さです」

「……はい」


 アルンがしぶしぶ頷いたのに頷き返し、猊下は二本目の指を立てた。


「二つ目は、あなたのそのお転婆さです。裏庭の木に登る、虫を追いかけ回す、子供達を率いて孤児院長の背中に蛙をくっつける……豊穣の使者は各地の収穫祭へ招かれることも多いですから、礼儀作法の基本もできないあなたをそんなところには出せません」

「これから! 絶対ちゃんとします!」

「叫ばない」

「はい」


 アルンは両手で口を押さえて項垂れた。猊下はそれを愛おしそうに目を細めて見つめ、容赦なく三本目の指を立てた。見かけはおっとりして優しそうなおばあちゃんなのに、こういう時は絶対手加減してくれないんだ、この人。


「三つ目は……これを告げるのはかわいそうですが、十年努力してもついぞ身につけられなかった、あなたのその音感です」

「……最近、少し上達したんです。昨日だって『今日はそんなにおかしくなかったわ。うん、そんなにはね』ってユシエも言ってて」

「あなたが諦めきれないなら、絶望的な音痴、と敢えてきつい言葉を使いましょうか」

「うぅっ……」

「その点、火竜ならば音楽も礼儀作法も必要ありません」


 すっかり萎れてしまったアルンに、猊下は優しく言った。


「その多すぎて持て余している〈祝福〉の力を救助の場で生かしてほしいと、火竜の総隊長から直々に打診があったのです。そのままのあなたを部下に欲しいだなんて、こんな奇跡的なこともう二度とないかもしれませんよ」

「ひどい!」


 抗議の視線を送ると、にっこり微笑み返される。どう見ても、しとやかで慈悲深そうな笑顔だ。腹の中は結構黒いくせに。


「……でも! 私には武術の心得も医療の心得も全くありません。犯罪者の取り押さえとかに連れ出されても、役に立たないと思います!」

「きっと大丈夫ですよ、あなたなら」

「全然、だいじょばない!!」

「言葉遣い」

「わたくしには荷が重すぎましてよ!」

「それは敬語ではありません。『拝命いたします、地の神殿長猊下』」

「拝命いたします……あっ」

「よろしい」


 一応「今のなし!!」とは言ってみたが案の定覆らなかったので、アルンはすっかり悲しい気持ちになってとぼとぼと神殿長室を後にした。入り組んだ女子寝室塔の階段を上ってゆくと、自室の前に木箱が置いてある。これに荷物を詰めろということらしい。火竜隊の人達はみな神殿の敷地の端っこにある「隊舎」に寝室を持っているので、不本意だが、アルンもそこへ引っ越さないとならないのだ。


 着替えと、神典と、お気に入りの小説。それから自分で作った木彫りのカップと押し花の栞を詰め込んだら荷造りは終わってしまった。神殿の生活は質素で、あまり自分だけの持ち物を多くは持てない。アルンはそれが少しつまらないなと思うこともあったが、もしも街で好きなだけ買い物ができたりしたら部屋がぐちゃぐちゃになるだろうことも予想がついたので、まあこれはこれでいいかと納得していた。掃除は嫌いなのだ。


「はあ……うわ、重っ!」


 荷物の量はそこまででもないのに、入れている箱が木製なせいでやたら重かった。狭い階段をよろよろしながらどうにか下りて、女子塔と男子塔の繋ぎ目のところまで来る。ようやく残り半分だとため息をつきながら少し幅の広くなった階段を下り始めたところで、階下から「おっ、アルンだな?」と声が聞こえてきた。


「はい? 何か――アッ!」


 箱の横から下を覗こうとして、踏み外した。咄嗟に荷物を抱え込もうとして、ぐらっと体勢を崩す。


(やばい、頭から落ちる!)


 目を閉じて縮こまった瞬間、なぜか落下が止まった。「うっ……」という誰かの呻き声、次いでドカッ、バコッ、ガタガタと凄まじい音がする。恐怖で息を止めたまま顔を上げると、何か大きくてあたたかいものに抱えられている。黒くて硬い布地。ひらひらの神官服ではない、細身の服を着た男の人だ。


「脚、捻ってないか」


 顔をしかめながらその人が言った。とその時、見上げた額からたらりと血が垂れる。


「……血、が」

「ああ、うん。大丈夫」


 火竜の隊服を着た男の人は苦笑した。脇の下に手を入れられ、ひょいっと簡単に立たせられる。分厚い胸板と筋肉の盛り上がった太い腕に、アルンは目を白黒させた。地の神殿の男性神官は基本的にひょろっとした人ばかりなのだ。


「……ええと」

「アルンだろ?」

「はい」


 三十代半ばくらいに見えるその男の人は、箱の角がぶつかったらしく額を血まみれにしながらすごく楽しそうにニコッと笑った。全然痛くなさそうな表情が逆にちょっと怖い。


「ドノスだ。お前が入る五番隊の隊長をしてる」

「あっ……はじめまして」

「歓迎するよ、アルン。ついてきてくれ、みんなに紹介する」


 そう言って大股で歩き始めた彼の後を、アルンは小走りに追いかけた。下の階の床に大破した木箱と彼女の荷物が散乱している。やばい、早く拾わないと。


「え、いや……というか、まず治療院に」

「平気平気、このくらいかすり傷だよ」

「すごい血が出てますけど」

「頭は少しの傷でも血が出るもんなんだよ」

「いやいや……」


 首を振ったが、ドノスは軽快そのものの足取りで階段を下り、しゃがみ込んで下着や何かも混じっているアルンの荷物を拾おうとするので、慌てて「自分でやります!」と割り込む。


「いや、手伝うよ」

「いいえ! 大丈夫です!」

「隊長だからとか、あんまり気にするなよ? そういうの面倒なんだ。俺のこともドノリエスじゃなくて、ドノス呼びでいいから」


(……ふうん)


 神殿には互いを短い愛称で呼び合う習慣がある。アルンも本当は「アルアトレン」という名前だが、同期や上位のおかたはみんな彼女をアルンと呼んでいる。


 だけど相手が自分より年下で、しかも隊の部下となれば話は別だ。目上の方のお名前は略さず、きちんとお呼びしなければならないことになっている。礼儀作法には厳しいこの神殿の中で、彼はどうやらちょっと変わっているらしい。


 アルンはそう考えて、頭の傷をハンカチで押さえながらちまちまと木箱の破片を拾い始めたドノスにニヤッと笑顔を向けた。型破りだが、そういう人は好きだ。年齢とか身分とか、そういうめんどくさい大人の処世術を真正面から壊してくれるような人は。


 アルンの笑顔に、ドノスもニヤリと悪戯っぽい笑顔を返した。隊長がこの人なら少しは楽しく過ごせるかもしれないな、と思いながら彼女が残りの荷物を拾っていると、窓の外からカランカランと華やかな鐘の音が響いてくる。綺麗な音と称するには少し鳴らし方が性急すぎるが。


(何の合図だろう、こんな中途半端な時間に)


 不思議に思って首を傾げたその時、ドノスが突然集めていた木片を放り出して立ち上がった。






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