あたたかいきみの胎内(なか)
初月・龍尖
あたたかいきみの胎内(なか)
おぼろげな格子模様の朝日がぼくの顔を照らす。
まるで胎児の様に丸まった身体から右腕だけを上に伸ばしぼくの身体の収まっていた箱の蓋を押し上げる。
蓋をずらすと陽光が顔に当たる。
気持ち良い光を受けて膝を立てゆっくりと立ち上がる。
完全に立ち上がるまで5分くらいかかる。
夜はひとりの世界へ旅立って、朝は陽光によってみんなの世界へ叩き起こされる。
そんな生活をぼくはずっとずっと続けていた。
はじまりは親類縁者が居なくなった事だった。
ぼくはその身ひとつで生きて行く事となった。
無限とも思える試練の中でぼくが出会ったのがあの箱だ。
フリーマーケットで出会った時、あの箱、いや、彼女は輝いて見えた。
お金の無かったぼくは値切りをして、ごねにごねて半値どころか硬貨一枚で購入した。
売る方も売れたら御の字と思って出していたらしく話せば話すほど値段を下げてくれた。
気持ちはお姫様抱きだ。
優しく抱え、自宅へ招き入れるとぬるま湯で濡らした布で拭き上げる。
蓋から外側、内側へとゆっくり丁寧に拭いてゆく。
汚れが取れると彼女はやはり素敵だった。
蓋の縁には新緑の様な帯が付いていた。
ところどころ継ぎ目が薄くなっている所も可愛い。
ありったけの布を中に詰め込み彼女の
初めて彼女の
まるで子宮の中で優しく包まれている様な安堵感を覚えた。
その日は久しぶりにすとんと寝落ちてあわや遅刻しそうになった。
そうやって彼女との日々を過ごした。
ぼくは彼女を着飾らせてあげた。
まず、彼女に名前を付けた。
葛籠の女性だからすずらん。
名前を付ける時に彼女の頭にすずらんの髪飾りを着けてあげた。
次は痛んだ場所を少しずつ補強した。
細工を自己流で勉強しながら少しずつ彼女の身体を直してあげた。
どうしても治せないところは彼女の個性だ。
そんな生活が1年、2年と続き僕の生活はだんだんと好転していった。
彼女と同棲をはじめて9年、転機が訪れた。
超大型の台風だった。
ぼくは、逃げなくてはならない。
彼女は大きすぎて連れて行けない。
ぼくは彼女に言った。
「一緒に居よう、ぼくはきみが居なければ」
その時、彼女の頭からすずらんの飾りが落ちた。
そして、耳に、頭の中に、存在しないはずの彼女の声が響いた。
「行って。生きてください。愛しひと。いつも傍に居ます」
ぼくはすずらんの飾りを握りしめ何度も彼女の方を振り返りながら部屋を出た。
ぼくは、生きた。
ぼくだけが、生きた。
ぼくの部屋は土砂で押し潰され彼女はぼくの頭の中にしか存在しなくなった。
人を頼って就いた仕事が彼女の様な箱を作る民芸工房だった。
自己流の細工を武器に、と言えば聞こえはいいが所詮自己流、いちから叩き込まれて作り続けていたら彼女を失てってからまた9年もの月日が流れていた。
一人前を頂き、ひとりで仕事を受ける様になって作業の合間に色褪せてきたすずらんの飾りを見ていると無性に創作意欲が湧くようになった。
ぼくは、作らなくてはならない。
そういう気持ちがどんどんと増してきた。
ぼくはひとつ作りたい物があるから作らせて欲しいと工房長に願い出た。
願いは簡単に受理されぼくはそれを作る事になった。
それは、ぼくの入る事の出来る箱、葛籠。
頭に焼き付いたすずらんを想い、寝る間も惜しんで作り上げたのは真新しいと言う事以外はすずらんと全く同じ。
ぼくの理想の葛籠だった。
すずらんの飾りを着けようかと思ったが、取り出してみるとそれは真っ二つに割れていた。
彼女が新しい葛籠に宿ったのか。
いや、違うな。
彼女も満足したんだ。
この葛籠はぼくとすずらんの子供だ。
だから、彼女の名前とぼくの名を取って名前を付けよう。
スズランとユウカだからスズカ。
名前を呼んで優しく撫でる。
新しいすずらんの飾りを頭に着けてあげて
ぼくは彼女に身体を沈めて何年かぶりのひとりの世界を満喫する。
ただ布団で寝るとは違う落ち方をして意識が飛ぶ。
そして、目の前に現れたのはふたつの葛籠。
右の葛籠の蓋には色褪せたすずらんの、左の葛籠の蓋には真新しいすずらんの飾りがあった。
並んで居るとよく判る。
やはりスズカはぼくらの子供だ。
ぼくはふらふらとふたりに寄っていって、優しく抱きしめた。
そして、ぼくはみんなの世界でそのいのちを終えた。
さんにんの世界で永遠に生きる事になった。
ぼくらはたくさんの子供を作り、さんにんの世界はひとつの文明を築く事になった。
そんなぼくは今日もすずらんの中で脚を抱き寄せ静かに眠る。
彼女の
あたたかいきみの胎内(なか) 初月・龍尖 @uituki
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