東周、春秋

【初心者向け雑解説】どんな時代なの?――②東周、春秋

 というわけで、前の時代枠の最後でしゅう幽王ゆうおうが殺害され、申侯しんこうの孫にあたる平王へいおうが即位した事で、周王室の権威が衰退し、周の冊封体制にあった諸侯が勝手に争い出した事から春秋戦国の時代が始まります。


 春秋戦国を合わせるとおよそ五百年です。長い。


 それをこのページでまとめようってんだから、相当に端折はしょりますので、興味が出た方は各自でググれぃってなモンで。(まぁ他の時代枠も同様ですが)


 この春秋と戦国の両時代は、春秋時代の終わりごろに孔子こうしが書いた『春秋』と、前漢ぜんかんの中頃に劉向りゅうこうが書いた『戦国策』という、二つの歴史書(というか説話書)から取られています。


 春秋時代は諸侯が非常に大量にいます。春秋初期の地図とかでググってもらえると分かると思いますが、全部覚えるなんて諦めるレベルですね……。

 要するに都市国家の延長なので、一部を除けば、ほとんどがひとつの城を持つ領主として各地に配されていたって事ですね。

 そんな諸侯たちが次々に争えば、そりゃあ複数の都市を支配する大国があっちゃこっちゃに出てくるわけです。


 そうした大国の代表格として「春秋五覇しゅんじゅうごは」と呼ばれる国が出てくるわけですね。弱小諸侯は「潰されちゃかなわん……」ってなモンで、そうした覇権国(覇者)に頭を下げて屈するわけです。


 こうした覇権国が諸侯を集めて「お前ら俺に頭を下げるか、潰されたいか。敵か味方かハッキリしてもらおうじゃねぇか(意訳)」とドスを効かせる集会を「会盟かいめい」と言って、これをやれたら覇者!みたいな感じですね(やったけど認められなかったトホホ案件もあります)


 この春秋五覇の内訳もまた諸説ありますが、ここでは「面白さ(??:それってあなたの感想ですよね?)」を優先して、荀子じゅんし先生がセレクトした「せい桓公かんこう」、「しん文公ぶんこう」、「荘王そうおう」、「呉王ごおう闔閭こうりょ」、「越王えつおう句践こうせん」の五人を挙げておきましょう。


 跡目争いに巻き込まれ、若い頃から命を狙われながらも勝利し、敵であった管仲かんちゅうを宰相に抜擢して国を発展させた、西周の太公望たいこうぼうの子孫でもある姜小白きょうしょうはく(斉の桓公)。


 同じく跡目争いに巻き込まれ、わずかな従者と共に、約二十年も各国を渡り歩く冒険を重ねた後に帰国し、仇敵を討って覇者への道を開いた「なにそのファンタジー小説の主人公」な、姫重耳きちょうじ(晋の文公)。


 春秋前半期で名を上げた彼らは(内心でどう思っていたかは別としても)少なくとも建前としては「衰退した周王室をみんなで支えましょう!」という大義名分があったのですよね。だから王よりも下の公(公爵)を名乗っているワケです。


 一方で、それ以後の覇者が周王室と同格の「王」を名乗っている事からも分かる様に「もはや周王室とかオワコン」という本音を全面に出してくるようになります。


 その象徴ともいえる事件が、熊侶ゆうりょ(楚の荘王)が起こした「かなえ軽重けいちょうを問う」という事件ですね。

 鼎とは三本足のかまの事で、この当時は青銅で作られています。周王室の国宝にもなっていたのですが、荘王は周王に対して「うちにもソレあるけど、どっちが大きいかなぁ?」と、遠回しに「ウチの国の方が強い」アピールをしたという事件ですね。

 こうして公然と「周王と同格」と言った事で、周王室の権威はさらに下がり、以降の覇者たちはこぞって「王」を名乗り始めるという事態になってしまうのです。


 そして江東こうとう(長江を越えた先の南東部)にある呉と越は、もはや周王室だの中原ちゅうげん(「天下」の中心。黄河下流域にある平地)だの、無関係だとばかり何十年も「呉越戦争」と呼ばれる戦争を互いに続けてました。

 「呉越同舟ごえつどうしゅう」や「臥薪嘗胆がしんしょうたん」などの言葉も、この呉越戦争の時代を語源としています。

 そんな戦争続きの呉越で「戦争が技術を発展させる!」と言わんばかりに、鉄器がめちゃくちゃ発達します。しかも『孫子兵法そんしへいほう』でお馴染みな呉の孫武そんぶ孫子そんし)だとか、越に仕えた天才軍師・范蠡はんれいだとか、兵法の面でも発達し、ふとしたキッカケで「中原の諸侯って弱くね?」と気づいて、覇者に名乗りを上げちゃったりするわけですね。


 基本的には中原の大国である「晋」と「斉」、そして南方の「楚」、この三国が睨み合いつつ、長江下流域と言うド田舎で、やたら強い「呉」と「越」が延々と殴り合っている。というのが春秋の基本構図だと思っておけば入り口としては大丈夫です。




 誰も周王室を敬わずに勝手に争う、そんな天下の様相を嘆いて、西周時代を理想とする孔子とか、三皇五帝時代を理想とする老子ろうしのような、様々な思想家(諸子百家しょしひゃっか)が出てくるわけですね。




 春秋時代が終わり、次の戦国時代になるのはいつなのか。

 正確な年代は諸説あるのですが、一言で言うと春秋時代に覇者にもなり、それ以外の時期も一貫して軍事大国だった「晋」が崩壊し、三つの国に別れる「三晋分裂さんしんぶんれつ三家分晋さんけぶんしん)」で戦国の始まり(=春秋の終わり)とするのが一般的です。


 晋のけい、つまり家臣だったかんちょうという三つの一族が、主家である晋公を追放し、その領土を三家で分割したわけです。

 その後に半世紀ほどの間があって、周王朝が韓、魏、趙の三家を、正式に諸侯として認めたわけですね。

 これは非常に大きな事件でした。それまで王侯と士大夫という主従は絶対的な関係で、逆らう事はあってはならないというのが常識だったところ、家臣が主家を追い出すという下剋上を、天下の周王室が認めてしまったという事になるわけです。

 そうなると「あ、力さえあれば、アレやってもいいんだ」という認識が広まってしまうのは当然なわけですね。


 ちなみに上記の「春秋の終わりの時期が諸説あり」というのは「韓、魏、趙の三家が晋公を追放した時」とするのか、「周王室が韓、魏、趙の三家を諸侯として認めた時」とするのかで、およそ半世紀ほど差が出てしまうという事ですね。


 いずれにしてもこの事件によって、周王室をいかに支えるかという建前のもとで封建諸侯が主導権争いをしていた春秋時代から、血で血を洗う領土拡大と下剋上が繰り返される力こそ正義な戦国時代へと変わってしまうわけですね。


 というわけで、次の「戦国、秦」へと移っていきます。









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