第3話前編〜2000年前と同じ悩みを抱く夜
「あっ…小銭がない…」
今日は一段と冷えるなぁ。山の上にあるこの職場は、いつでも寒い。
そんな私の毎朝の仕事は悴む手で小銭を数えることだ。ロープウェイに乗るチケット代金は700円。返金の際に500円玉1枚と100円玉2枚を用意しなければならない。
「どうしよう…今日2人以上来たらお金返せないなぁ…」
最近のお天気は曇り続き。こういう時はぶわぁっと人が来そうな気がするんだよなぁ。
今度、事務局にお金お願いしておこう。今日は少しだけ緊張するわ…
ドキドキしていたが、気づいたら辺りは真っ暗。もう店仕舞いかな…と思っていたら仕事場から支給されてる携帯に連絡が入った。
『16:49 下山方面のチケットを購入した人が1人。よろしくお願いします。』
Oh my goodness!! 最後にひと仕事終えますか。下山方面のロープウェイを呼ぶボタンを押した。あと35分でロープウェイは来る。まずは来るのを待とう。
えっと…お客様はあの若めの女の子かな?今風に言うとパリピという分類に入る感じの。多分そうだよね。話しかけてみよう。
「こんにちは。もしかして下山方面のチケットをご購入なさいましたか?ロープウェイが来るまで時間あるので、こちらに念のためお名前とご住所、電話番号の記入をお願いします。」
パリピの女の子は疲れ切っているようだ。返答がない。黒のキャミソールにホットパンツで来た彼女。寒くないのかなぁ。しかも二の腕や太ももにはサポーターのような物をつけている。
顔にもあざや腫れているところがある。もしかして暴力を誰かから受けているのかな?
「すみません。山に入るお客様には何かあった時に確認できるお名前、ご住所と電話番号の記入が義務付けられています。申し訳ありませんがお願いします。」
頭を下げて書いてもらった。
彼女はカウンターに座り、書いた物をすすっと差し出してきた。
名前は田中…え…えきゅう?違うなぁ。えいひされ…あ?全く分からない。これは巷で話題のキラキラネームというものなのかもしれない。これは本人に聞こう。
「えっと…下の名前はなんて読むのかな?」
彼女は気怠に答える。
「たなか…"えくれあ"です。」
おぉ…永久恋愛と書いてえくれあと読むのか。本気と書いてマジと読むより難しいなぁ。
「すみません。田中えくれあさんですね。21歳!お若いですね。東京都の港区にお住まい…凄いなぁ」
すると彼女急に泣き出した。
「私はただ港区に住んでるだけの若い女なのよ…ただそれだけなのよ!」
年老いた私からしたら若いだけで羨ましいけど違うかしら。まぁ人間ひとそれぞれだし。
「お仕事は何をされてるんですか?港区に住むなら相当稼いでいると思うのですが」
結婚指輪はしてない。独身。即ち己の稼ぎだけで生きていると言うこと。
彼女は答える。
「歌舞伎町のキャバ嬢です。良いんですよ笑ってください。卑しいと蔑んでください。同情される方が嫌です。」
キャバ嬢…いわゆる夜職の方。私の近くにはそういう職業の方がいなかったからあまり詳しくないな。
「私は貴方がキャバ嬢として働いているという理由だけで貴方を卑しく思うことはありません。誰かにそう言われたのですか?」
彼女は鼻を啜りながら答える。
「お客たちに散々言われたさ。俺らの稼ぎでお前らは食っていけるんだとか、所詮そんな仕事しか出来ないんだろとか見下されてばかりさ。」
男の方のお相手をするお仕事、そしてお酒も伴う。色んな人が来そうだしうがった見方をする人も時にはいるのかも。でもその少数の悪い意見が反映されがちなのが人間なんだよね。
「前者、後者ともに納得のいかない言葉ばかりですね…」
「まず前者。確かに男性の方の稼いだお金でお酒やサービスを買い、それと引き換え素敵な時間を過ごす。これが私の思う夜の世界のあり方だと思うのです。あくまで女性目線ですが…」
「その素敵な時間を過ごす相手の方をわざと貶めるようなことを言うのはどういう意図なんでしょうか」
「後者にしても、夜の仕事って大変なお仕事だと思います。商品として美しくいなければならないし、お酒を飲み相手を楽しませ無ければならない。」
「それの言葉を言った男性はホストになれるのでしょうか…」
良くない言葉受け入れない。それが1番。言われても反芻せずにすぐ空に投げて自分の良いところを3つ唱える!
私が留学した時にはよくアジア人差別をされたなぁ。その時は言い返してたけど、余計に事を荒立てていたんだと後から気づいた。
彼女は考え込み…答える
「でも、そういう言葉は寝る前にふと私に囁いてくるんだよ。その場ではやり過ごせても1人なったり現実に戻ると心に直接響いてくるんだ。」
私も分かる。夜になると心が暗くなってその日の反省点ばかりを責めてしまう。明日が不安になり、憂鬱になる。
私はそんな彼女に送りたい言葉がある。
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」
「中略していますが、これはカトリックの聖書。マタイの福音書6章34節の言葉です。」
「カトリック…はキリスト教だよね?私が通っている大学はプロテスタントなんだ。」
「そうだったのですね、ならば説明は要らなさそうですね。」
「いや!聞いてみたい。お姉さんがその言葉をどう説明するのか。」
ロープウェイが来るまであと15分
後半に続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます