第38話

 ヒメコとの勉強会をスタートさせてから、およそ2週間後。

 ミチルはショッキングな現実を突きつけられていた。


「じゃ〜ん、ミチルくんに勝ちました。ヒメコの大勝利なのです。わ〜い! わ〜い! 嬉しいな〜!」


 両手もろてをあげて喜ぶヒメコが握っているのは、定期テストのスコアシート。


 あろうことかヒメコに負けたのである。

 悔しさを隠しきれないミチルの指先が小刻みに震えている。


「ちょっとヒメコちゃん、完全勝利したみたいな言い方はやめてくれないかな。負けたのは日本史の1科目だけであり、その他の8科目でも、トータルでも俺が勝っている。余裕で勝っている」

「でも、ミチルくんから一本とりました。クラスで3位のミチルくんから勝ち星を奪いました。パチパチパチパチ〜」

「ぐぬぬ……ドヤ顔されると、ちょっとしゃくだな」


 ここはヒメコの部屋であり、テーブルの上にはティーカップが2つ並んでいる。

 今回のおやつはコンビニで買ってきたいちごのシュークリームとたまごボーロだ。


「やれやれ、負けは負けか」


 ヒメコに敗北を喫したのは確かに悔しい。

 でも、ヒメコが成長してくれた嬉しさと合算したらプラスだな、と思いつつ紅茶を一口飲んだ。

 ピリッとしたジンジャーの風味が口いっぱいに広がる。


「ミチルくん、もしかして今回は本調子じゃなかった? 私の勉強に付き合ったせいで、本来の実力が出せなかったとか?」

「そんなことないよ。全科目の平均点だって、毎回こんなものだから」

「本当に? ヒメコに遠慮して嘘ついてない?」

「こんな嘘はつかない」


 自慢できることじゃないが、ミチルはオールラウンダーというか器用貧乏タイプだ。

 この科目が得意で、この科目が苦手で、という凸凹はない。


 今回はたまたま日本史が悪かった。

 そしてヒメコが日本史でベストパフォーマンスを発揮した。

 それだけの話である。


「でも、今回のテストは楽しかったな。ヒメコちゃんと一緒に勉強したからだと思う。いつもは自分の結果を見て、ひとりでえつに入るけれども、今回は喜びを分かち合える相手がいるから。それにヒメコちゃんを応援しているつもりだったけれども、俺の方だってモチベーションを分けてもらっていた」

「うん、私も楽しかった! 高校に入って一番がんばれた気がする! ミチルくんは、次回こそ目指せ1番だね!」

「いや、1位は無理だと思う……」

「ファイトだよ!」


 ヒメコは両の人差し指を頬っぺたに添えて、ぶりっ子ポーズを向けてくる。

 高校生がやると滑稽こっけいなのだが、ヒメコには不思議とマッチしている。


 毎日たくさん勉強した。

 家にいる時だってメッセージで『明日のテスト、がんばろうね』なんて励まし合った。

 この経験は良き思い出として何年経っても忘れないだろう。


「そうそう。忘れずにおめでとうを伝えないと。大したものじゃないけどさ。すべての科目で赤点を回避できたご褒美」


 ミチルは小さい封筒を手渡す。

 中に入っているのは喫茶店で使えるギフトカード。

 たった500円だけれども、花柄のデザインがかわいかったし、ヒメコなら喜んでくれると思って決めた。


「うわぁ! ありがとう! 一生大切に持っておくね!」

「いやいや、使わないと。いちおう、有効期限が1年だからね」

「え〜! もったいない! おしゃれなデザインなのに!」


 ヒメコの性格からして使うのを渋るかもしれない、と想定していたミチルは、


「銀色のスクラッチ印刷された部分は削らないといけないけれども、使用済みのカードは持って帰ってもOKらしい」


 と事前にWEBサイトで調べておいた情報を口にする。


「そうなんだ!」

「だから使ってほしいな」

「うん、約束する」


 ヒメコはカードを頭上にかざしてから、大切そうに抱きしめる。

 言葉にしなくても気持ちを表現するのがヒメコは上手い。


「前に似たようなことを質問したかもしれないけれども、ヒメコちゃんの未来予知をフル活用して、テストの内容を事前に知っておくとか、そういう使い方は無理なんだよね?」

「ムリムリ。それはできない。そもそもヒメコの能力は、自分の身に降りかかることは対象外だから」

「だよね……」


 しばらくの沈黙が降ってくる。

 これ以上の時間稼ぎは無理だと悟ったミチルは、いよいよ本題に切り込んだ。


「テストで勝ったら何でもいうことを聞く、という約束したよね。いちおう、何個か考えてきたのだけれども……。ちなみに、ヒメコちゃんって、俺にお願いしたいことってあるの?」

「ある! じゃあさ、今回はヒメコの1勝8敗だったからさ、ミチルくんは8個お願いしていいよ! ヒメコは1個お願いするから!」

「待ってくれ。そんなに大量のお願いはない。しかも、アンフェアだろう」

「え〜!」


 自分が不利だということを理解しているのだろうか。


「ミチルくんの希望が8個もないなら、何でもいうこと聞く券を8枚あげます。いつでも好きなタイミングで使ってください」

「小学生が考えそうなやつだよね。じゃあ、ヒメコちゃんとキスしたい。これが1個目の願い」

「キ……キス⁉︎」


 そんなに驚くことだろうか。

 ミチルが寝ているとき、ヒメコの方からキスしてきそうな勢いだったが……。


 脳内で何回もシミュレーションしてきたミチルは、泡を食っているヒメコを抱き寄せた。

 さくらんぼ色の唇に狙いを定めて、上から奪うように吸ってみる。


 チュッと音がしたが、はむっ⁉︎ というヒメコの声にかき消された。


「不意打ち⁉︎」

「ゆっくりキスすると緊張するからね。勢いが大切だと思った」

「あぅ……なんか紅茶の味がした」

「俺もだ」


 これが1個目の願い。

 勝利してつかんだ権利かと思うと悪い気はしない。


「困ったな。まだ7つもあるのか。1つはイルミナ様のコスプレをしてほしい、だろう。残りの6つは保留だな」

「いつでもやってあげるから、残りも何か考えておいて」

「それでヒメコちゃんの願いは?」

「え〜とね……」


 前髪をいじって恥ずかしそうにしたヒメコは、ごくりとのどを鳴らした。


「ヒメコのお父さんにミチルくんを紹介したいな! お母さんと3人で話したら、お父さんもミチルくんに会いたいってさ!」

「やはりそうきたか……」


 彼氏として最大の試練テストを迎えることになりそうだ。

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