7.蒼と菫
不定期に訪れるさざ波の音。
ジリジリと肌に突き刺さる熱い日差しが、眼前に広がる紺碧の海を輝かせる。
浜岸に生えている刺々しい葉を持つ背の高い植物が、心地よさそうに海風に揺られているのをアモンは視界に入れた。
(ったく……フザけた場所だぜ、ここは)
アモンは降り注ぐ日差しを遮るように、右手で目元覆う。
普段、第四階層に鎮座するアモンにとって、ここ――第七階層ディヴィタは頻繁に来れる場所ではない。
ちなみに、他の魔者や魔王たちがここでたびたびバカンスを楽しんでいるという話を聞いていた為、アモンも試しに何回か顔を出した事はある。しかし肌に合わなかったのか、それ以降自ら訪れた事はない。
(やっぱりオレ様にはこんな湿っぽい地味な場所より、アバルスみてぇな派手な雰囲気がお似合いだぜ)
第四階層アバルス。
魔界のほぼ中央に位置するその階層は、多種多様な魔者が住まう繁華街。
大通りでは数多くの商店が経営され、昼夜問わずあらゆる品が手に入る商業区域。その裏では賭博、カジノなどのギャンブル施設。さらに非合法な売買を斡旋するブローカーなどが潜んでいたりと、表裏共に魔界の経済を回している重要な役割を持っている。
そんな第四階層を取り仕切っているのが、今ここで眩しそうに目を細めている
かきあげられた菫色の髪と瞳は、頭上から絶え間なく降り注ぐ陽の光によって淡い紫色に煌めている。
鍛え上げられた肉体を誇示するように、上半身は常に裸。しかしその筋肉質な体躯は決して虚勢などではなく、紛うことなき確かな実力の表れである。
「ヤツはどこだ……?」
アモンはキョロキョロと辺りを見回す。
不慣れな地にわざわざ足を運んだ理由はただ一つ。
(蒼の魔王リヴァイア……てめぇはオレ様がぶっ倒す)
標的は第七階層を統べる蒼の魔王。
あまりにも目立った活躍がないのと本人の軽い言動のせいで、実は弱いんじゃないかとか、戦えないだとかいう噂まで出回る始末だ。しかも当の本人がその噂をもみ消さないどころか全く否定してこない事が、噂に更に拍車をかけている。
故に、アモンは気に入らなかった。
魔王とは”力”そのものだ。
他を圧倒し、支配する力。
それが魔王の唯一であり絶対の条件。
では、蒼の魔王はどうだ? 本当に古の魔王たちに並ぶ強者なのか?
本来なら”弱い”などという噂が出た時点で魔王失格だ。
確かめねばならない。
噂が真実なのか、それとも――全て嘘偽りなのか。
「もし……ヤツが本当に弱者なら、オレ様がその座から引きずり下ろしてやるよ……!」
「――へぇ、誰を引きずり下ろすって?」
「……!!」
アモンの独り言に対して、背後から返事が返ってくる。
聞き覚えのある声。アモンは慌てて振り返る。
すると待ち構えられたように突き出された指が、ニュッと頬にめり込んだ。
しかしダメージなどは全くなく、どちらかと言えば攻撃ではなくおふざけのようなもの。
アモンは頬に指をめり込ませたまま、血走る目を見開いて背後に視線を送る。
「よぉ、アモン。一応聞いとくが、ここへなんの用だ?」
「用……? んなもん決まってるだろうが!!!」
アモンは振り向きざまに裏拳を浴びせる。
確かに当たった感触はあったが、ガードの上だったのか結果的に互いに距離を取るにとどまった。
目の前には「あ~痛い痛い」とわざとらしく聞こえてきそうにひらひらと手を払う、深碧のタンクトップを着た青年の姿。
爽やかな蒼髪の短髪に、両耳には金色に光り輝くピアス。タンクトップから露わになっている逞しい二の腕には、金色の腕輪が何重にも身に着けられている。
一見、第七階層でのバカンスを楽しんでいるかのような佇まいのこの人物こそが、第七階層ディヴィタを統べる魔王。
その名をリヴァイア。アモンが標的とする七大魔王の一人、蒼の魔王である。
「おいおい、いきなり殴りかかってくるこたぁねぇだろうよ」
「よく言うぜ。先にちょっかい出したのはそっちだろうが」
「先輩からのちょっとした意地悪じゃねぇか。あんなので本気になんなよ」
「別に本気じゃねぇよ……!!」
アモンは額に血管を浮かばせながら蒼の魔王を睨む。
言葉の応酬は不得意だ。というよりも、このまま続けても向こうのペースになるだけなのは目に見えている。
とするならば、今必要なのはもっとわかりやすい手段。
拳と拳。
力と力。
強さを確かめるのに、言葉など必要ない。
「おらぁ!!!」
アモンは右拳を大きく振りかぶり、蒼の魔王に急接近する。
わかりやすい真っ直ぐな打撃。シンプル故に、確実な対処が迫られる。
(さぁ、どうでる!? 蒼の魔王!)
躱すもよし、受けるもよし。どのような対応を取られたとしても、次の手は用意してある。しかし――
「ぶへっ!!!!」
足元の白い砂浜が舞ったと共に、蒼の魔王の頬に拳が突き刺さる。
吹っ飛びはしなかったが、その場でぐらりとよろめいて確かなダメージを感じさせる。
想定外の拳の感触と眼の前の光景に、アモンは思わず言葉を失う。
(まじかよ……あんな簡単な
蒼の魔王は口から垂れる鮮血を手の甲で拭う。
攻撃はまともに食らっていたが、流石にそれだけでダウンするほどの弱者ではない事に、アモンは心のどこかで安堵した。
「っ痛ぇ……やるじゃねぇか、アモン」
「あんなパンチ食らっといて、まだ先輩風を吹かすつもりか?」
「そりゃもちろん、先輩だからな。そしてその先輩から、お前にプレゼントだ」
「……?」
「オレがお前を聖戦代表に推薦してやるよ」
「なん……だと!?」
アモンにとって、それは言葉が詰まってしまうほど魅力的な提案だった。
しかし蒼の魔王が本気で言っているのかわからない。
よくよく考えてみれば、このタイミングでそんな事を言うメリットがどこにあるのか。それに”無間”での蒼の魔王の振る舞いからするに、蒼の魔王自身も聖戦に出る気は満々だったはずだ。なら、どういった意図で放った言葉なのか?
予想だにしない展開に、アモンは動きが固まる。
「いや~、実は前々から思ってたんだ。お前は強い。メチャクチャ強い。だから聖戦はお前みたいな強いヤツが出るべきだ!」
「強いヤツが聖戦に出るべき、って意見には賛成だ。だが……」
「なんだよ、もっと喜べよ!」
「……んぁ?」
「チェッ、後輩が喜ぶ顔が見たかったのによ」
蒼の魔王はわざとらしく肩をすくめた。
「オレの嘘で狂喜乱舞するお前の顔が見たかったんだがな」
「どういう……意味だ……!!」
蒼の魔王は不敵に笑う。
「なぁに、先輩からのちょっとした意地悪じゃねぇか。あれ? もしかして結構真に受けてたか? あ~、そりゃ悪い。お前を聖戦代表に推薦するってのは……ありゃ嘘だ」
アモンは歯を軋ませる。
下らない戯言を真に受けた己を恥じて。
そして悔やむ。
この世界は強さ事が正しさ。それに勝るものなど何もない。
では信じるべきは、己の強さのみ。
相手が誰であろうと、どのような妄言を並べようと、己の強さをただひたすら証明し続ければいいだけなのだ。
蒼の魔王によってそれに改めて気付かされた事に対して、アモンは感謝した。
「ありがとよ、先輩」
「ん?」
「アンタが強かろうが弱かろうが関係ねぇ。簡単な話だ……オレが強いって事を、全員にわからせりゃいいだけの話だったわけだ」
「なるほど。そりゃ簡単な話だな。でも今ここで肝心なのは、お前がオレより強いかどうか――」
話を切り裂くようにアモンの拳が伸びる。
さきほどのパンチよりも速度もキレも数段上の一撃。
しかし蒼の魔王はひらりと上体を反らし、拳は蒼の魔王の鼻先をかすめる。
この一瞬の攻防で、アモンは眉をひそめる。
(ちっ、嘘つき野郎が……!)
先程までとは別人のような反応速度。
つまり最初のパンチを食らったのは、わざとに違いない。その理由は不明だが。
「へぇ、いいパンチだ」
「っせぇ!!」
左中段蹴り、後ろ回し蹴り、左上段突き、右中段突き。
目まぐるしく畳み掛ける打撃は、アモンの得意とする超高速高密度の乱撃。
当初は難なく対応できていた蒼の魔王も、体が温まってきたアモンの打撃速度と迫力に徐々に劣勢を強いられていく。そして――
「――ぐっ……!!」
陥落した。
蒼の魔王の腹部に、強烈なアッパーカットが突き刺さる。
体内に残っていた空気が、鮮血と共に口から漏れた。
(好機!!)
この機を逃すわけにいかない。
沈んでいく蒼の魔王の体に、ありったけの打撃を打ち込む。防御の隙も与えない無慈悲な拳の雨は、蒼の魔王を赤く染めた。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ…………!」
肩で大きく呼吸をし、息を整える。
終わってみれば一瞬だった。
魔王因子を使用せずとも、己の膂力のみで魔王を屈服させた事にアモンは悦に浸る。
「くっ、くくっ、はーっはっはっはっは!!!!」
ここで無傷で蒼の魔王を落としたのはデカい。これで聖戦代表へ一歩近づいたはずだ。
どうせ銀の魔王と黒の魔王は、互いに潰し合うだろう。他のヤツらも戦闘を始め、何人かは既に脱落したと聞く。
あとは頃合いを見て、疲労困憊のヤツらを仕留めればいい。
そうしてアモンは、自身の居城のある第四階層へ戻るべく踵を返す。
(まずは他のヤツらの状況を確認して――)
――ズシャ。
背後から砂が動く音。
そして感じるただならぬ気配。
それは強者のみが放つであろう圧倒的な存在感。
背筋が凍るほどの殺気。
アモンは確信して振り返る。
まだ終わっていない、と。
「あー悪いな、ちょっと手ぇ抜きすぎたわ」
「へぇ、そう――――!?」
そこにいたのは間違いなく蒼の魔王。
しかしアモンは目を疑った。
そこにいたのは一つも傷を負っていない蒼の魔王がいたからだ。
「なんだ? えらく驚いて……あれか! ひょっとしてオレの能力知らねぇのか!」
「……噂だけは聞いた事がある」
蒼の魔王リヴァイア。
紺碧の大海のように蒼く輝く魔王因子が持つ能力。それは――
「……複製か」
「おっ? ハッハッハッハッ!!!!」
まるで先程までの殺気は嘘だったかのように爆笑する蒼の魔王。
驚くほど緊張感の無さに、アモンはつい唖然としてしまう。
一体何がそんなに可笑しいのか。全く意図が読めない。
「いやぁ…………まさかオレがついた嘘がここまで広まってるとはなぁ」
「嘘、だと?」
「あぁ。むかーし適当についた嘘がいつしか勝手に広まってたみたいでな。一体どこの誰だろうな、そんな噂を流したのはよ」
アモンは小さく舌を打つ。
もう何が本当で何が嘘なのか確かめるのすら鬱陶しい。
それに、下手に突っ込むと惑わされる。余計な詮索はせず、再び立ち上がった標的と闘うだけ。相手が立ち上がるのをやめるまで、ぶちのめせばいいのだ。
アモンは拳に力を込め、蒼の魔王へ向かってゆっくりと歩き出す。
「あぁそういや、オレが弱いだのなんだのとかいう噂もあったな。それにまんまと釣られて何度も襲ってきた馬鹿野郎もいたが……そいつら全員どうなったと思う?」
「知らねぇな」
「全員、返り討ちだ。一人残らず、な」
蒼の魔王の言葉を無視するように、アモンは拳を放った。それはこれまで見せてきたパンチの中で、最高速度の一撃。言うなればまさに会心の一撃。
しかしそれは標的に当たる事なく、そしてそれに気づく事なくアモンの意識は消失する。
目に見えない超速度の領域で繰り出された蒼の魔王の鮮烈なカウンターが、アモンの顎先を正確に捉えていたからだ。
「ま……今までの相手の中じゃ、ぼちぼち頑張ったほうだな」
見下すようにかけられたその言葉は、白い砂浜にうつ伏せになっているアモンの耳には届いていない。
「頑張ったご褒美に、本当の事を教えてやるよ。オレの能力は”再生”だ――って、聞こえてねぇか」
アモンが再び目を覚ましたのは、それから丸一日経った後。
朧気な記憶とは裏腹に顎先は腫れ、背中には強烈な日焼けのダメージが残っていた。
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