5.黒と銀・上

 ここは常闇に支配された地。静寂と夜を愛した者によって、長い年月をかけて変貌を遂げた魔界の深部――第八階層。

 至る所に闇に紛れた異形のモノ達が身を潜め、今日も静かに生命の奪い合いが行われている。


 しかしそんな地に唯一、静寂とはかけ離れた様子の者がいた。

 その名をユーリノーム。第八階層を統べる黒の魔王によって生み出された眷属である。

 黒光りしたミニワンピから伸びる華奢な足をずたずたと踏み鳴らし、道なき道を進む。鬱憤を晴らすかのように強く踏まれた地面には、ヒールを履いた淑女の痕跡などまるで残っていない。

 動く度に尾のように左右に揺れる艶黒のポニーテールと、触覚のような二本のアホ毛。薄桜色の薄い唇を歪め、鼻息は荒い。

 

(あームカつく!!!!!! あのクソロン毛野郎!!!!!)


 ユーリノームは怒っている。

 明日食べようと思っていた手作りの黒ごまプリンを勝手に食べられたからではない。帰ってきたのに自分に一切連絡をよこさないからではない。こんなに可愛い眷属が慕っているというのに、帰ってくるなりすぐに自室で引きこもっているようなあるじに対してではない。

 むしろそれは、彼女の崇拝する主にとって平常運転だ。もっと言えば、そんな素っ気ない所が好きだったりもする。

 そんな彼女の腹の底に宿る憎悪は今、七大魔王の内ただ一人に向けられているのだ。


 ユーリノームは、枯れ木の間を抜けた所にひっそりと造られた洞窟の前に出た。

 第八階層の主が一日の大半を過ごす、ユーリノームにとっては愛の巣とも言える場所だ。

 その証拠に、洞窟の入り口にはでかでかと『敬愛するベルゼビア様とユーリノームの愛の国』と書かれた表札のような看板が出迎えている。ちなみに、この看板が掲げられてこれで通算二千枚目となる。敬愛する主に何度も外されたり壊されたりしたが、ここ最近は抵抗する事に諦めたのか放置されるようになっていた。つまり愛の勝利である。

 そんな愛の巣にユーリノームはズカズカと足を踏み入れる。崇拝する主の元へと向かう足取りは軽い。しかし腹底に宿していた怒りは消える事はなく、鬼の形相でスキップをするという謎の行動に彼女の複雑な感情が表れているようだった。


 洞窟を進むと、すぐに目的の場所へと着く。

 ぽっかり広がった空間に小さなテーブルが一つ。長年誰も座った形跡のない漆黒の玉座と、天井から吊り下げられたハンモック。気持ちばかりの小さな蝋燭の火が、ゆらゆらと揺れている。

 ここが第八階層の主が住む場所。とても七大魔王が住んでいるとは思えない貧相な空間である。

 そしてユーリノームは入るなり、崇拝する主の名を呼んだ。


「ベルゼビア様ぁ~!!!!!!」


 いつものように返事はない。

 無口な方なのは知っている。しかしこの場合、あえて無視されている可能性もあるがユーリノームはそんな事でへこたれない。主を慕う愛の炎は、こんなものでは鎮火したりはしない。


「ねぇ~!!! ベ!ル!ゼ!ビ!ア! 様ぁ~!!!!」


 洞窟に甲高い声が響く。

 しばらくして、暗がりの中にもぞもぞと蠢く影がユーリノームの視界に入った。


「……うるさい」


 声の主は、ハンモックに横向きに体を沈めたまま振り向く。

 王威外套マントを改造した漆黒のコートで口元を隠し、ボソッと告げた声はかろうじて聞き取れるくれるくらいの声量。

 眷属を迎える第一声としてはかなり冷めたものだが、いつもこんな感じなので特に異変はない。むしろ、それでこそユーリノームの敬愛している黒の魔王だ。


「ベルゼビア様! いつからここに居たんですか!!」

「……昨日」

「ええっ!?」


 ユーリノームは唖然とする。丸一日連絡がなかった憤りよりも、丸一日一緒に過ごす時間を失っていた事に対する虚無感の方が大きい。崇拝する主と離れている時間は、ユーリノームにとって最大のストレスなのだ。そのストレスは暴飲暴食につながり、遥か昔には今よりもかなり太っていた時期もある。

 そんな過去もあって、なんだかんだ言いながら崇拝する主は基本的にはいつもユーリノームと共に過ごそうと努力してくれている気がしていた。


「ベルゼビア様、聖戦が始まるまであと二日ですよね!?」

「……あぁ」

「そんな感じで大丈夫なんですか!?」

「……何がだ?」

「魔界代表として聖戦に出るんじゃないんですか!?!?」

「……代表、か」


 敬愛する主は強い。

 かつて大魔王と名高かったサタンと肩を並べるくらいに。

 そして主に匹敵する魔王がもう一人いるのだが、あんなクソロン毛野郎ごときに絶対に負ける訳がないと信じてやまないので、ユーリノームの眼中にはない。

 つまり大魔王サタンや赫の魔王因子を持つ者がいない今こそ、黒の魔王が魔界を担うに相応しい存在に決まっているし、そうならないとおかしいし、なんなら神にだって楽勝のはずだ。

 しかし目の前にいる主は、大事な聖戦を控えているというのにいつものように気怠そうに寝転がっているだけ。いつもそんな素振りだから、クソロン毛野郎に主導権を握られて『私が魔界の代表です』みたいな顔をされるのだ。

 それがユーリノームにはどうしても許せない。魔界で一番強いのは黒の魔王だと言うのに。黒の魔王こそ、至高の存在だと言うのに。


「もっとヤル気出して下さいよベルゼビア様!! そんなだからいつもあのクソロン――ルシフェル……様にいい所を持ってかれるんですよ!! ベルゼビア様こそ至高!! 強靭!! 無敵!! なのに!!! 聖戦に出るべきはベルゼビア様以外にいません!! 天界……いや、全世界にベルゼビア様の偉大な御力を見せつけてやって下さいよォ!!!!」


 ユーリノームの熱弁を黙って聞いていた主は、無言のまま体を起こした。

 うねりを伴った黒い毛先を揺らし、暗澹の瞳がユーリノームを見つめる。


「……そんな事をしてどうする」

「決まってるじゃないですか!! みんなに見せつけて自慢するんですよ!!! どーだ、私の魔王様が一番強いんだ、って!!」 

「……くだらん」

「あー!! ヒドイ!! もうベルゼビア様なんて知らない!! 黒ごまプリン、一生作ってあげませんからね!!! ぷんっ!!」

「……え……そ、それは……」

 

 ユーリノームは華奢な腕を組み、顔をぷいっと背ける。

 薄く開けた目からは、狼狽える主の表情をしっかりと捉えていた。

 もちろん、一生作ってあげないなんてのは嘘だ。甘党の主の為に、長い月日をかけて編み出した究極の黒ごまプリン。自分でも食べる事もあるがかなり美味しい。いつだったか蒼の魔王につまみ食いされた時も、べた褒めされて恥ずかしかった思い出がある。


「じゃあ……もっとヤル気出してくれます?」

「…………少しだけ」


 凄まじい聴力を持つユーリノームでもかろうじて聞き取れるくらいのか細い声。

 それに応えるように、ユーリノームは満面の笑みを浮かべた。


「じゃ聖戦、頑張って下さいね!!!!」

「……いや、その事なんだが……」

「ほへ? まさか、聖戦に出ないとか……!?」

「……そうじゃない。聖戦に誰が出るかが、まだ決まっていない」

 

 どういう事だろうか、とユーリノームは目を丸くする。

 以前までの聖戦は七対七対七の勢力戦だったが、大魔王サタンが負けた八回目の聖戦から前回まで、代表者一名ずつによる一対一対一タイマンとなっている。

 つまり各勢力の一番強い者が選ばれ闘うという、シンプルな構造。今回の聖戦も前回までと同様なら、魔界の代表はユーリノームが一番強いと信じてやまない黒の魔王になるはずだ。いや、そうでないとおかしい。


「まさか……また規則ルールが変わったんですか!?!?」

「……いや、それはまだわからん」

「じゃあ前回と同じ、代表者一名って事じゃ……」

「……その可能性は高い。だから、だ」


 主の言葉で、今の状況をなんとなく理解する。

 七大魔王は”強烈な個”の集団だ。敬愛する主もまたその一人。

 そして聖戦の代表になれるのは七分の一。その枠を魔王たちは争っているのだろう。

 しかしユーリノームは確信する。

 敬愛する主こそが一番であり、聖戦に出るに相応しい至高の魔王であるという事を。


「で、その代表ってどうやって決めるんですかァ?」

「……形式は問わず、最後に無間にいた者が代表――らしい」

「らしい?」

「……ルシフェルが決めた事だ」

「っ!? あんのクソロン毛ぇ……!!!!!」


 ユーリノームは血管を浮かび上がらせる。

 まさか、とは思っていたが、やはり『私が魔界の代表です』と言わんばかりの仕切りたがりだ。黒の魔王という偉大で強大な魔王を差し置いて、なぜ銀の魔王ごときが大きい顔をしているのか。腹の底から、とめどなく憤怒の波が押し寄せる。


「ちょっとベルゼビア様!!! なんでわざわざそんな茶番みたいなものに付き合ってるんですか!!? ベルゼビア様にかかれば、他の七大魔王なんて敵じゃないでしょう!!? クソロン毛野郎の言う事なんて聞かずに、全員ちょちょいとひねって『今日から俺が魔界の代表だ』って言ってやりましょうよ!! 言って下さいよォ!!!!!」

「……いや、面倒くさい」

「えぇぇぇぇ!!!???」

「……だが、いつまでもここにいる訳にもいかないか」


 主はハンモックから降り、ユーリノームの前に立つ。

 口元から膝下まで隠した漆黒のコートにはしわひとつない。


「あの、どちらへ!?」

「……お前が一番嫌っている奴の所だ」

「え!? じゃあ私も――」


 ユーリノームが一歩踏み出そうとした時、頭部に柔らかな重みを感じた。

 突然の出来事に目をギョッとするユーリノームに、主はいつものように小さな声で呟く。


「……お前は留守番だ」

「で、でも私がいないとっ!」

「……大丈夫だ」


 主はそう言って、ユーリノームの頭に乗せていた手をコートの中にしまった。

 そしてそのまま歩き出し、ひとり洞窟の闇の中へと消えて行く。


(あぁ、ベルゼビア様………………好き)


 頭頂部に残ったほんの僅かな暖かさを噛み締めつつ、ユーリノームは祈るように主を見送った。

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