第4話 不穏
絃葉は男を凝視する。感じる懐かしさと誰かの面影を思い出そうと真剣に記憶の糸を手繰り寄せても、水面に浮かぶ月のように記憶の輪郭は掴めない。後一歩のところで幻のように消えてしまう。一言も発することなく黙々と歩を進めていると、やがて屋敷の庭先へと辿りついた。
「さて。勘づかれぬうちに戻るといい。妖術にも限界はあるからな」
振り返ることなく踵を返す男。
「っ……」
引き止めなければ。遠のく距離。焦燥に駆られた絃葉は咄嗟に追いかけ──我に返ったその時には男の袖を力強く引いていた。衝動に任せて無意識に掴んでしまったらしい。何となく離す事が出来ず、絃葉はそのまま男を見上げた。月明かりが端正な男の横顔を照らす。
「──絃葉?」
「そ、それ、似てるの……貴方の呼び方が」
袖を握りしめた手に力が入る。呼ばれる度に込み上げる懐かしさと切なさ。指先が微かな熱を帯びる。奥底に眠っていた記憶。脳裏に繰り返し流れる柔らかな声に、忘れかけていた記憶が堰を切ったように溢れてくる。
''絃葉、私の大切な子''
──ああ、そうだ。もうずっと前だった。
今は亡き母が愛おしげに名を呼ぶ声。絃葉は身を乗り出して更に男に近づいた。
「……教えて。貴方は──」
声が震える。何故ここに現れたのか。自分を知っているのか。聞きたいことが山ほどあるのに喉につっかえたように出てこない。吹き抜ける夜風の音だけが耳元を過ぎてゆく。それは季節が目まぐるしく移り、流れていくように。
「絃葉様!どこにいらっしゃるのですか!」
互いに見つめあったまま動けずにいると、渡り廊下から慌ただしい数名の家臣の足音と時之の声が聞こえてきた。妖術が解けてしまったのだろう。刹那、時之と目が合い呪縛が解けたように時が動き出す。
「……すまない。時間だ。またあのような悲劇を繰り返すわけにはいかない」
絃葉を支えていた腕が徐に離れる。何処か翳りのある表情。男の靡いた白銀の髪が絃葉の頬を掠める。たった数秒のはずなのに、離れる瞬間がやけに長く感じた。温もりが遠ざかる。淡雪が溶けるように熱を帯びた手が徐々に引いていく。泡沫。その言葉が過ぎり胸を締め付ける。
──『また明日来る』
術を使っているのか姿は見えないものの、風と共に声が耳元で聞こえた。その場で立ちつくしていると息を切らした時之が駆け寄ってくる。妖術が解けてから屋敷内を探し回っていたのかもしれない。
「絃葉様、一体どこに。ともあれご無事で何よりです。ですが……」
警戒心をあらわにした様子で
「絃葉様、1つお聞きしたいことが」
「……外に出た事?ごめんなさい時之。外には出たわ」
「いえ。そうではなく──」
時之が眉尻を下げ、気遣わしげに屋敷内を一瞥した時何処からか咳払いと足音が近づいてきた。威厳のある声が絃葉の耳を刺す。
「時之下がって良い」
「はっ、只今。では失礼致します絃葉様」
一礼して速やかに立ち去った時之を尻目に父、
「……お父様、申し訳ありません。どうしても外に出たく」
「見えすいた嘘は控えろ、絃葉」
容赦なく放たれた言葉がのしかかる。一切の有無を言わせぬ声音。体が強ばる。当主で家臣を纏める梓忠だ。覚悟はしていたものの、梓忠の瞳はなんの感情も映していなかった。捉えた敵の動きそのものを阻止するような鋭い眼光に身動きが取れない。
「今後お前の身の回りは厳重にする……暫く外に出ることを禁じよう。彼奴──あの妖に絆されてからでは遅いからな。色葉のように」
「っ……」
母、色葉は絃葉が齢二になる前に病によって命を落としたと、物心着いた頃に女中に聞いた。今の梓忠が放った言葉だと病ではない、という事だろうか。ひとつ思い当たるのは姿を現したあの妖狐だ。しかしどんなに思考を巡らせても、あの男が色葉を陥れたとは到底思えない。並木道を眺め、酒を酌み交わす人々が好きだと慈しむように告げたあの妖狐がそんなことするはずが無い。
「……でもどうして」
梓忠はあの妖狐──男のことを知っているのだろう。闇に包まれた門を振り返る。先程の忌み嫌うような梓忠の声音が脳に染み付いたように離れなかった。
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【作者から】
4話終わりました。読んでくださりありがとうございます!6話まで下書きは終わっておりますが、そろそろまた書きすすめなければ、と思っております💦
今回はミステリ要素が若干強い話になってます。(次の話もミステリ要素が強いと思います……)
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