第2話 1匹の妖狐
透き通った青い瞳に切れ長の目。纏う雰囲気はどこか妖艶めいていて品のある端正な顔立ちが月明かりによって
「あ、あなたは?」
突然の出来事に頭が回らない。何故絃葉のことが分かったのか、何故護衛の時之に気づかれないのか。そんな疑問が埋め尽くす。
「ふむ。私を知らないのか。ならば今、
男が手を翳すと、月の光を吸収するように光が集い始める。闇に広がる黄金の粒子。それは忽ち眩い光に変わり、男に降り注いでいく。唖然とする絃葉を可笑しそうに眺めながら目の前男──耳を生やした妖は翳していた手を下ろす。
「……これはどういう事?」
人と思えば耳をはやした妖。狐だろうか。変化が解かれた事によりその姿になったのだとは思うが、理解が追いつかなかった。あまりにも不可解な出来事が起こると人は冷静になるのかもしれない。
「妖狐は知ってるか?」
「それはもちろん……」
妖狐は狐の姿をしている妖の一種。容易く妖術を使いこなすと言われている。最近城下町に妖の目撃情報はあるらしいが、ただの噂だと思っていた絃葉は目の当たりにして驚愕することしかできない。まさか自分が遭遇することになるとは思ってもいなかった。
「私はそれだ。いつもの気まぐれで人里に下り夜道を歩いていたらお前を見つけた──お前の声が聞こえたからな」
「声……?」
「ああ。逃げ出したい、とな」
静けさが満ちた庭に凛とした声が響く。逃げ出したいと内心で呟いたのは確かだ。言いたいことは沢山あるが否定出来ずに俯くと、妖狐はそのまま絃葉を見据える。
「何やら聞きたい事が多そうだな。お前の護衛とやらに気づかれていないのは妖術を使い結界を張っているからだ」
「妖術を……」
「そうだ。今ならお前は自由になれる。お前の望みを叶える手助けをしよう。ここから出てみたいのだろう?」
目を細め、戯れのように告げる。自由な性格がいかにも狐らしい。暫し逡巡し、絃葉はそっと首を振る。出たい気持ちは勿論ある。ただ時之を思うとどうしても後ろめたさが勝った。ここは身を引くべきだろう。身勝手な事で迷惑をかける訳にはいかないのだから。
「私は」
「さて。散策するとしよう。ここにいてもつまらん」
「ちょっと待っ…」
言うやいなや、こちらに目もくれずに妖狐もとい男は颯爽と突き進む。呆気なく打ち砕かれる決意。完全に自由な妖狐のペースに呑まれている。今更屋敷に戻るのも気が引けて絃葉は仕方なく後を追った。纒わり付く冷気。ここで立ち止まっても置いていかれる事は目に見えている。無言で屋敷が聳え立つ武家町を抜け、城下町に差し掛かると、町並みがガラリと変わった。武家町とは違う広々とした道。明かりが滲んでいる商家は仕込みを行っているのだろうか。新鮮な景色に絃葉は周囲を見渡す。昼間の城下町はさぞ賑わいを見せているのだろう。
「城下町で春の祭礼が行われるのは知っているか?」
ふと、隣を歩いている男が呟く。
「聞いたことはあるけれど……」
行ったことは無い。夜桜なんて庭先でしか見ないし、花見酒なんて無縁だ。久我家の家臣が話しているのを耳に挟むことはあるが。
「短いが夜通し祭はやっているぞ。桜もそろそろ咲く時期だしな」
そう言って近くの木に手を伸ばし、男は蕾を指す。絃葉も倣って見上げると夜の闇の中で主張するように、淡いピンク色の蕾が実を結びつつあった。微かに見える遠方の川辺に聳える桜の木に視線を向けると、所々桜が咲いているのに気づく。
「あの桜……」
月夜に照らされた桜は黄金に輝っている様に見える。存在感あるのにどこが儚い桜は刹那の刻を彩り、眺めたものを惹き付ける。
「川沿いの桜か。あれは満開になると町人が集う。酒を酌み交わし、賑わいを見せている。──それが私は好きだ」
ふと、男は寂しげな笑みを浮かべる。慈悲深く、懐かしむようように目を細めている。それは人々が身過ぎ世過ぎしてきた日々を追憶しているようにも見える。そんな男から何となく目が離せず、絃葉はただ横顔を見続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます