言の葉に想いをのせて
東雲紗凪
第1話 それは突然の出来事で
微かな葉音が耳元で聞こえる。外を眺めると、庭先にある木々が吹き抜ける夜風に呼応するように揺れていた。葉の僅かな隙間から忍び込んできた月明かりが差し込み、地に影を落としている。冴え冴えとした蒼い月。それは澄み切った夜空によって尚美しく煌めいていた。もう何度この光景を見ているのだろう、と辺りに遍く月灯りを眺めながら
亡き母が着ていた上質な羽織を肩にかけ、気を紛らわす為に絃葉が縁側から庭に出ようとしたその時。
「失礼致します。絃葉様、いけません。こんな夜更けに庭へ出ては」
物音で気づいたのだろう。護衛である
「時之、相変わらず鋭いのね」
このやり取りは初めてではない。今まで何度か抜け出そうとしたがすぐに気づかれ、止められてしまっている。外の空気が吸いたくても一人での行動は許されない。物心ついた頃から常に絃葉には護衛が付けられ、大切に育てられた。武家の一人娘で、武家諸法度によりいづれは親や幕府の命で嫁がなければならない身として。
武家諸法度。自由の利かないその法度を何度憎んだかはわからない。絃葉は美しく聡明で淑やか。武家の間では絃葉に求婚をする者が耐えないとも小耳に挟んだことがある。だから尚更なのかもしれない。警備が固められるのも、行動を制限されるのも。世は物騒で何か起こっては手遅れなのだから。
「私は何年もこの久峨家にお仕えしておりますので」
「……知ってる。お父様からの信頼が厚いことも全部ね」
円窓から庭を眺める。高い塀に囲まれた屋敷。自由に景色を見られるのはこの窓からだけ。それがもどかしい。静けさに満ちている裏庭には人の気配もない。寂しさを拭うことが出来るのは書物を読んでいる時だけだ。昼間に時折聞こえてくる武家町の子供の声に耳を済ませても、塀の向こうに何があるのか見る事は叶わない。
「一人で出歩くことはやっぱりダメなのね」
確認すると時之はただ俯く。
「申し訳ありません。最近は武家屋敷付近に妖も出ており、危険であると
「……そう、大丈夫。外には出ないから」
懸念するように訊ねる時之に微笑み、姿勢を正して気丈に振る舞う。我慢するのは慣れている。時之が言った梓忠は絃葉の父で現当主。兄の
「……本当は私も外に」
出たい。抜け出したい。姫は淑やかで聡くあれとよく
──『憐れな娘だな』
どこからか声が響いた。それは脳内に直接語りかける静かで威厳のある声。振り返っても人の気配はない。視線を彷徨わせ、円窓に目を向ける──と何かが微かに庭で光っているのが見えた。月ではない、もっと深く、淡い光だ。咄嗟に外に出ようとして躊躇う。もしここで出たら時之に気づかれてしまうのではないか。そんな絃葉の不安を悟ったのか、再び声の主は呟く。
『恐れるな。そのまま進んで──出ろ』
声は続く。まるで絃葉の行動を見透かしている様な言葉。そのまま進むように姿も見えない声に言われても普通は信じられる訳が無い。だが、耳に響く声は不思議と暖かく、ぬるま湯に浸かっているような心地よいものだった。意を決して障子を開ける。そして目の前に飛び込んできた幻想的な光景に目を見張った。
「遅かったな。お前から負の気配が伝わってきたぞ?」
庭の木の枝の上──そこには月に照らされて含み笑いを浮かべる白銀の髪の和服姿の男がいた。
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