第9話 カルナバル2



 ワレスが見まわしたときには、もうその声は聞こえなくなっていた。誰がそうだったのかわからない。

 食堂には、おおよそ二十人はいる。ワレスに近いテーブルにすわった何人かが、さっきの声のぬしに違いない。


 そばにいるのは男が三人。みんな、一人で飲んでいる。旅人だろう。どれも怪しい。

 二十代が一人。三十代が一人。四十代が一人。

 このなかの誰かが、ドリスを暗殺しようとしているのか?


 黙って料理を食べながら、彼らの反応を待った。が、それ以上、何も起こらない。黙々と食事をするだけだ。


 やがて、二人は宿の奥へ入っていった。三十代の男だけが外へ出ていく。食事だけしに宿へ来たようだ。


 ワレスは食事代をテーブルに置いて、男のあとをつけていった。宿の二人はまだ出会う機会がある。だが、外へ行った男を見逃したら、このまま二度と見つからないかもしれない。


 夜の街を男は口笛を吹きながら歩いていく。いい気持ちに酔っている。

 その時点で違和感をおぼえた。復讐に燃えているなら、こんなに機嫌がいいわけがない。


 男は集合住宅の二階へ入っていった。猫が玄関までかけだしてくる。案の定、男はそれを抱きあげながら、こんなことを言った。


「ニーシャ。いい子にしてたか? 今度な。新しい領主さまのおひろめパレードがあるんだってよ。おまえもいっしょに見に行こう。酒やお菓子がふるまわれるんだって。楽しみだなぁ。新しい領主さまになってから、いいことしかないな」


 どうやら、彼は違う。

 残る二人のうちのどちらかだ。


 ワレスは宿へ帰った。

 だが、当然、すでにあの二人の姿はない。あきらめて部屋へ戻りベッドに入る。ただの旅人なら、彼らは翌朝には宿を発つ。なんの問題もない。


 翌朝。ワレスが朝食をとりに食堂へ行ったときには、例の二人はまだいた。旅立つ者はたいてい朝早くに出ていく。ということは、連泊するようだ。


 四十代の男は食堂の女の子と話している。


「パレードはあさってだってな。おれはそれを見に田舎から出てきたんだ。一生にいっぺんは領主さまのお顔を見てみたいからな」

「今度の領主さまは子どもなのに、とっても苦労されたらしいですよ。みなしご同然で方々をさまよっていたって」

「そうそう。それそれ。伯爵さまになりすましてた女がお城から追いだしたんだろう? まるでお芝居みたいな話だ」

「ほんとよね」


 男は食堂の女と談笑を続けた。おかげで、男がヤンという名前だとわかった。

 コリンヌというその女をときどきデートに誘ってくどくのだが、女は旅人のことなんて相手にしていない。まあ、宿の仕事では大勢の客が出入りする。そのたびにイチイチ本気になんてしていられないだろう。


 しかし、あの感じなら、ヤンは無関係だ。単に女との会話の種に領主の話題を持ちだしただけ——と思ったのだが、女が去ったあとだ。急にヤンの顔つきが変わった。人のよさそうな表情が、水で流したようにサッと消え、思いがけないほど凶悪な人相が現れる。チッと舌打ちをついて外へ出ていくのだが、思いっきり怪しい。


 ワレスはヤンのあとについていった。ヤンは旅人ならさけて通る路地裏ばかり選んでいく。遠くから来た田舎者なんて言っているが、それは嘘だ。この街の地理にくわしい。


 ヤンは細い道を通りながら、大きな街のなかではどうしてもさけられない風俗的な場所へやってきた。いかがわしい建物がならんでいる。その一軒の裏口で、何やらボソボソと男と話す。


 どうもヤンは怪しい。何か企んでいるのではないだろうか。


 ワレスはドリスの身が心配になって、伯爵家へむかった。しかし、なかへ入るつもりはない。門番に皇都から来ているティンバー次期子爵を呼びだすよう告げると、しばらくして、ジェイムズはやってきた。


「ワレス。気が変わったのかい? ドリスが君に会いたがってたよ。なかへ入ろう」

「いや、おれは行かない。それより、聞きたいことがあるんだ。捕まったヴィルジニーという女は処刑されたのか?」

「平民だからね。本来なら縛り首だ。だがクーベル侯爵の温情で、遠くの島へ娘ともども流刑るけいにされた」


「帰っては来れないよな?」

「ムリだろうね。何もない島だから。自分で畑をたがやして、どうにかこうにか生きていくのがやっとだろう。いかだを作るほどの木も生えてないよ」


 では、ヴィルジニー本人ではない。その縁者だろうか? 幼いドリスが恨まれる理由なんて、そのこと以外には考えられない。


「たしか、前にドリスを殺そうと襲ってきた男。ヴィルジニーの内縁の夫だったよな? あいつはどうなった?」

「ヤツは処刑された。じっさいに人を殺そうとしたわけだし、前科があった」

「じゃあ、あのときの連中はみんな処罰を受けているのか」


 ジェイムズは思案する。


「いや、ヴィルジニーの内縁の夫に弟がいたんじゃなかったかな。そいつは逃げだしたあとだったんだ」


「名前は?」

「ジャン=クロードだったかな」


「どんな男かわかってるか?」

「さあ。肖像もないからなぁ。手配はしてるんだが、なかなか捕まらない」


 それで決まりだ。

 おそらく、ヤンはジャン=クロードの偽名だ。他人のふりをして、ひそかにこの街へ帰ってきた。自分たちからすべてを奪ったドリスに復讐するために。

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