第九話 カルナバル
第9話 カルナバル1
修道院で
そのせいか、近ごろ、ドリスのことをよく思いだす。一人きりの暗い部屋のなかで、じっとしていると、かつての、つかのまのぬくもりがよみがえった。
ため息をついて孤独にひたる日々。
だが、こうしているあいだも、あの血のつながらない娘が幸福に暮らしていると思えば救われた。
ちょうど、そんな折だ。
ジェイムズがやってきた。
「ワレス。君はバルニエ伯爵家のドリスのことをおぼえているか?」
そんなふうに切りだしてくる。
おぼえてるかも何も、忘れるわけがない。が、口に出しては、
「誰だっけ?」
「君がひろったみなしごのトリスタンだよ。ほんとは女の子で、伯爵家の令嬢だった」
「……ああ。それが何か?」
気のないそぶりをしているものの、内心は落ちつかない。ドリスの身に何かが起きたのかと気が気じゃなかった。
すると、そんなワレスの虚勢を悟ったように、ジェイムズはクスクス笑いながら告げた。
「ドリスが正式に伯爵になるそうだよ。後見のクーベル侯爵から手紙が届いた」
ワレスはホッとした。いい知らせだ。それなら問題ない。
「だから? それがなんだって?」
「ついては
「…………」
もちろん、会いたい。
しかし、それではツライ気持ちを押し殺して別れた意味がない。
もともとドリスは、バルニエ家の先代伯爵が愛人に生ませた子だ。いくら後ろ盾がついているからと言っても、人々は口さがないウワサをする。
その上、貴婦人にたかるジゴロと知りあいだなんて思われるのは、ドリスの名誉にかかわることだ。もう二度と会わないほうがドリスのためだ。
「おれは行かないよ」
「そうかい? じゃあ、私は行くよ。ジョスリーヌからも名代を頼まれているしね」
「……おまえ、いつのまに、ジョスとそんなに親密になったんだ?」
「まあ、いろいろと。それより、君は行かないんだね? 君がひろった少女がほんとに今、幸せなのかどうか、見届けもしないなんて、案外、君は薄情なんだなぁ」
「ふん。どうせ」
とは言ったものの、そう言われれば気になる。たしかに、伯爵家にひきとられて、暮らしはラクになっただろう。しかし、まわりの大人にイジワルをされていないか、財産を
「……わかったよ。おれも行く。ただし、おれは城下町の宿までだ。伯爵家へはおまえ一人で行ってくれ」
ジェイムズは意地っぱりだなぁと言わんばかりに苦笑した。
しかし、それで話はまとまったので、急いで旅装を整えると、ワレスたちは馬に乗って南へむかう。
バルニエ伯爵家の領地は運河ぞいに、いくつかの街と村を有している。馬を使えば、片道二日ていどである。広大なユイラ皇国のなかでは、かなり皇都に近い。
途中で一泊し、ついた街は思っていたより都会だった。やはり、運河を通る貿易船から
「皇都と
「そうだな。街並みは整い、人は活気に満ちている。さまざまな商品をならべる商店。北や南から送られてくる物資。豊かな街だ」
「よかったじゃないか。ドリスは子どもだから、まだ女伯爵としての地位は重荷だろうが、そこはクーベル侯爵がおぎなってくださるだろうしな」
豊かな街で何不自由なく暮らす領主。
ドリスの将来を思って安心する一方で、少女がほんとに遠い存在になったのだなと実感する。この街のすべてが今やドリスのものなのだ。貿易船が次々に落としてくれる金貨が、毎分ごとに彼女のふところを満たしてくれる。ちょっと前まで飢えて死にかけていたなんて嘘みたいだ。
「行けよ。ジェイムズ。おれはあの赤い屋根の宿に泊まる」
「ほんとに会わないつもりなのか? ドリスは君を待ってると思うぞ?」
「いいんだ。民に愛される領主になれと伝えてくれ」
「わかった」
ジェイムズがあきらめて、一人、伯爵邸へとむかう。
ワレスはひそかにそのあとをつけた。伯爵家の位置をたしかめておくためだ。運がよければ、遠くからドリスの姿を望めるかもしれないと考えた。が、それはかなわなかった。
ジェイムズが伯爵家の門をくぐるのを見届けて、ワレスはさきほどの宿へ帰った。
街はにぎわっていた。
新しい領主が幼い少女だと聞いて、そのウワサで持ちきりだ。
「ほら、前の伯爵のヴィルジニーさまは、ほんとは偽物だったんだってさ。自分の娘をドリスさまのふりさせて、伯爵家をのっとってたんだって」
「悪い女だねぇ」
「だいたい、ヴィルジニーさまのころは税金も倍になったし、変な連中がはばをきかせてるし、やりにくくてしかたなかったよ」
「まったくだ!」
「橋がこわれても直してくれないしさ。強盗が出ても野放し」
「イヤなことばかりあったねぇ」
「でも、ドリスさまになってから、税金は前に戻ったし、橋も建てかえてくれるというし」
「まだ子どもなんだろ? よく領主がつとまるね」
「たいそう賢くて優しいおかただという話だよ」
そんな会話を宿の食堂で小耳にはさむ。橋の建設はクーベル侯爵の
だが、そんなときだ。雑多な人々の話し声のなかに、不穏なつぶやきがまじる。
「何が賢い領主だよ。おれから、みんな奪っといて。絶対、復讐してやるからな」
とても低いささやき声にすぎなかった。だが、そこにこもる憎悪の念を、ワレスはかぎとった。
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