第7話 修道女のため息6



 深夜になって、ワレスはその日も修道士の宿舎に泊まった。

 となりではエチエンヌが眠っている。レッスン二夜めで満ちたりた寝顔だ。


 しかし、ワレスは寝ずに待っていた。今夜と言っていた。必ず、何かが起こる。

 ピリピリとふるえる空気の振動にさえ耳をとぎすましていると、どこかで人の動く気配を感じた。誰かがろうかを歩いている。


 ワレスはそっと寝台をすべりおりる。衣服はもう整えてある。サンダルをはくと、闇のなかへそっと忍びだす。もしものときのために剣を帯びていた。


 前方のまがりかどを白いものがよぎった。階下へ行くようだ。

 相手に気づかれないよう注意してつけていった。祈りの間へむかっている。やはり、そうだ。男女のどちらもが立ち入ることができる中間の場所。


 思ったとおり、人影は祈りの間へ入っていった。ワレスも足音を殺してついていく。

 暗がりのなかに、ぽつりと火がゆれている。祭壇のロウソクが一つだけともされていた。


「ベルナデット」


 男の声が呼ぶと、どこからか、もう一つの影が現れる。


「ここよ」

「ベルナデット」


 二人は抱きあい、くちづける。僧衣と尼僧服の二人だ。もちろん、神殿のなかではゆるされない行為である。


「では、行こう」

「ええ。行きましょう」

「後悔はしないね?」

「しないわ。もうこうするしかないの」

「私も後悔しない」

「わたしのせいで……ごめんなさい」

「いいんだ。これも運命だ。まさか、こんなことになるとは思ってもいなかった」


 二人は手をとりあって、何かをとりだそうとする。


「これだ。まちがいない。修道女のため息」

「これなら確実に死ねるのね?」

「うん。まだちょくせつふれてはいないね? さわっただけで死ぬという猛毒だから」

「これで二人は永遠に……」


 青いリンゴのような実を脚つき杯に載せている。今まさに、二人がそれを手にとろうとした。


 ワレスはそこで暗闇からとびだした。剣をぬき、かけよりざま、ひと突きする。青い果実は切先に串刺しにされた。

 悲鳴が二つあがる。


 ワレスはあとずさり、剣をふって果実を床にふりおとすと、それをサンダルのかかとでふみつけた。二人に奪いかえされないためにだ。


「何をする? おまえは……」

「それを返してください。わたしたちは今夜、それで永遠につれそうのです」


 ワレスは嘆息した。


「なんで死ぬ必要があるんだ? 二人がどこで出会っても、愛が芽生えるのは自然の理だろう?」


 二人はうなだれる。

 ゆれるロウソクの明かりに、ほのかに見えるよこ顔。思ったとおりだ。女はマノンの刺繍の先生。男は——セヴランだ。美男子の修道士長。


「あなたはマチアスさまですね。お願いです。見逃してください。私たちをこのまま死なせてください」

「どうして? たがいを愛したから?」


 セヴランは一瞬、口ごもる。


「そうです。私たちは若くして恋人を亡くしました。もう二度と恋などしないと絶望し、神の道へ入ったのです。それなのに今さらほかの人に心動かされるなんて、死んだあの人に申しわけない。だから——」


 黙って聞いていたワレスだが、そこで我慢ならなくなった。剣をさやにおさめると、ツカツカと歩みより、セヴランの胸ぐらを両手でつかむ。


「死んだ恋人は、おまえを愛してたんだろ? 違うのか?」

「それはもちろん。私たちは深く愛しあっていた」

「だったら、おまえが自分のために死ぬことを望むと、本気で思うのか? おまえの幸せを誰よりも願ってるはずだ!」


 ワレスに胸ぐらをつかまれたまま、唇をかむセヴランの双眸から、涙がこぼれおちる。ずっとこらえてきた思いがせきを切ったかのように——


「だけど、私はほんとにクラリスを愛していた。一生、この思いは変わらないと誓っていたのに……」

「しょうがないさ。それが生きてるってことだ」


 セヴランはすがるような目で、ワレスを見あげる。


「クラリスはゆるしてくれますか?」

「亡き人のために来たこの場所で、おまえたちは出会った。恋人が導いてくれたんだ、きっと」


 それはていのいい詭弁きべんにすぎないのかもしれない。死者の思いなど誰にもわからない。でも、生きていく者には必要だ。それを信じることで心安らかにすごせるもの。


 ワレスは二人にそれを与えたにすぎない。でも、手をにぎりあう二人の瞳のなかには、もう死の影は感じられなかった。



 *



 翌朝。

 ワレスはマノンといっしょに馬車に乗り、アズナヴール家をたずねた。マノンの父に事件のあらましを語る。


「つまり……マノンはあなたの気をひくために自ら毒を飲んでいたと?」


「そうです。最初の一度だけは、ぐうぜん、修道女のため息にさわったせいだった。マノンはある人がをつむところを見て、そのあたりの花や、青い実をもぎとって遊んだ。その人は自分が毒をつんでいるところを見られて、あわてて『それは毒ではない』と言いわけしたから。

 ところが、修道女のため息と呼ばれるその果実は猛毒を持っている。さわっただけで皮膚が炎症し、その実を焼いた煙をあびると失明する。もちろん、飲食すれば確実に死ぬ。世をなげく修道女が自害のために使う毒だから、そんな名前がついたくらいだ」


 マノンの父は頭をかかえてうなった。


「まったく、あの子はどうしたらおとなしくしてくれるんだ」

「神殿に置いておくのは、かえって危険です。屋敷に戻したほうがいい」

「うむ。承知した」


 困りはてたようすの父親に、ワレスは進言する。


「マノンにはお目付役が必要だ。じいやは彼女に甘すぎて、そういう意味では役に立たない」

「たしかに」


「四六時中そばにいて、監視してくれる人物がいたほうがいい」

「うむ。そうだな」


「神殿でおれの世話をしてくれた、エチエンヌという修道士がいる。彼はその年からは考えられないほど思慮深く、ひじょうにかしこい。彼を家令の養子にして学をつけさせれば、適役だと思う。マノンも彼を好いているし」

「ふうむ。マノンは人の好き嫌いが激しい子なんだがな。それはありがたい」

「これからは、おれもときどき、ようすを見に来ます」


 マノンの父は感謝に目を輝かせた。


「ありがとう。ありがとう。あんなにヒドイことを娘がしたのに、あなたはなんて寛大なんだ」

「……放置しておくと、また何をしでかすかわからないじゃありませんか?」

「……うむ。そうだな」


 思わず、ワレスと父のため息がそろう。


 そんな会話があったなんて、マノンは知らず、嬉々としている。


「わーい。おうちに帰ってきたー。エチエンヌもいっしょに暮らせるんだね?」

「あんまり困らせるなよ?」

「困らせないもん」


 どうだか、わかったものではない。


「エチエンヌ。いいか? イヤなことをされたらハッキリ言うんだぞ? それと、キスはたまにでいい」

「そうですか?」

「自分を高く売るためだ」

「わかりました。出しおしみすればいいんですね?」


 やはり、エチエンヌは優秀な生徒だ。


 彼らに見送られて、ワレスはアズナヴール家をあとにした。

 セヴランとベルナデットは還俗して結婚するという。何もかも丸くおさまった。


 でも、ワレスの心は少し沈む。

 気持ちが移るのはしかたない。それが生きること。

 そんな日が、いつか自分にも来るのだろうか?

 ルーシサスへの愛が過去に変わるときが?


 それは、ワレスにもわからない。




 了

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