第7話 修道女のため息2



 レイグラ神殿の建物が見えた。背の高い樹木と、美しい花にかこまれている。キョウチクトウ、スズラン、チューリップ。とてもめずらしい天使の笛や青リンゴも目についた。


「ああっ! ワレスだ! ワレスッ!」


 部屋までたずねていったワレスをひとめ見て、涙を浮かべてとびついてくるさまは、たしかに可愛い。これで奇矯ききょうなふるまいがなければ、立派なお姫さまなのに。


「会いたかったよ! ボクの王子さま」

「いや、おまえの王子ではないが……」

「ええーっ? ボクのこと気になるから会いにきてくれたんでしょ?」

「違う。おまえのじいやが泣き落としでムリヤリつれてきたんだ」


 マノンには建前なんて効かない。ダメなものはダメ、違うものは違うとハッキリ言っておかなければ、あとで痛いめを見る。


「おまえが毒殺されそうだというから来てやったんだ。いいか? 勘違いするなよ。おれはまだ、おまえに監禁されたこと、ゆるしてないからな?」


 マノンはむくれて口をとがらせた。まったく子どもだ。体と知能は十三だが、心は三歳なのだろう。


 ワレスは嘆息しながら、せまい室内を見まわした。椅子を探したのだが、貴族の令嬢にしては、そうとうに質素な室内だ。むだなものがまったくない。


 しかし、これでも特別待遇だということが、ワレスにはわかった。以前、子どものころに地方のレイグラ神殿で神官の見習いをしていたことがあるからだ。


 レイグラは法律の神であるがゆえに、神殿内での規則が多い。おそらく、それはこの皇都の神殿でも同じだろう。


「それで、マノン。おまえが毒を飲まされたときのことをくわしく話してくれないか?」

「えっとね。えっと、侍女のユーリアとニコルと三人でお茶を飲んでたんだ。そしたら、急にめまいがして、吐き気と動悸がして、立ってられなくなったんだ」

「おまえだけが?」

「うん。ボクだけ」

「でも、三人で飲んでたんだろ?」

「でも、ボクだけ」

「……ただの風邪——」

「違うよぉ。ワレスはボクが殺されてもいいの?」

「…………」


 殺されてくれたほうが今後のワレスの暮らしが穏やかかもしれない。が、涙目で見つめられると、そうは言えない。


「それなら、屋敷に帰ればいいじゃないか? いくらなんでも、娘が殺されると聞けば、伯爵だって認めてくれるだろう」


 ところが、そうかんたんな話ではなかった。


「父上はどうせまた、家に帰りたいボクが嘘をついてるんだろうっておっしゃるんだ」

「どうせまたって……嘘をついたのか?」

「えっ? つかないよ」

「ほんとに?」

「あんなの嘘じゃないよ。部屋にオバケがいるって言っただけ。それで、父上が来たときに、シーツで作った人形でおどろかせたの」

「…………」


 やっぱり、スゴイ娘だ。この行動力と変なことを思いつく発想力は、ただ者じゃない。


「マノン。おまえ、戦国時代の男に生まれていれば、英雄だったのにな」

「わーい。ワレスに褒められたー!」

「誰も褒めてない」


 だから、父はすっかり娘に対して不信になっているわけだ。となると、毒殺の謎をキレイに解くか、または少なくとも、マノンが真に命を狙われているという証左を見つけて、アズナヴール伯爵に娘の帰省を認めてもらうしかない。


「ところで、おまえが死にそうになったことは、神殿の誰かには話したのか?」


 マノンは首をふった。

「だって、誰がわからないんだよ? 怖いじゃない」


 マノンにも怖いなんて感情があるのか。というより、やはり、知能は高い。ちゃんと分析力は有している。


「じゃあ、おれが神殿のなかを歩きまわるわけにはいかないだろうな」


 すると、じいやが脇から口をはさんだ。


「そこは寄付でなんとでもなりますかと」

「なるほどね。それなら、おれがマノンの兄だということにしても問題ないか?」


 神に身を捧げる神官や巫女は、どの神殿でも結婚がゆるされていない。生涯、独身だ。そこで生活する者も家族以外の異性との接触はかたく禁じられている。宿舎も男女でしっかり隔絶されていた。


「さようですな。マチアスさまは神殿に来られたことはありませんので」

「では、兄がマノンのようすを見に来たことにして、二、三日、調べてみるか」


 マノンの顔がパァッと輝いた。ワレスを慕ってくれているのはたしかだ。ただその愛情表現が奇抜すぎて恐ろしい。


 というわけで、ワレスはその日、一日マノンについてすごした。修道女に行儀作法を習ったり、神への奉仕の労働(マノンの場合は刺繍ししゅうていどだが)をさせられたり、その刺繍の指導をする修道女に注意が散漫さんまんだと叱られたりするのを、となりでながめる。

 特別、狙われてるようすはなかった。


 夕刻前にやっと自由時間になって、マノンは庭へかけだす。


「はあっ、息がつまる! 早く屋敷に帰りたいよ」

「おまえがおとなしくしていれば、父上だって了承してくださるだろう?」

「ワレスは知らないんだよ。父上はああ見えて、とっても頑固なんだ」


 まあ、この娘の父だから、多少、世間の感覚とはズレたところはあるのだろう。


「見て。見て。ワレス。可愛い花。部屋に飾ってもいい?」


 スズランをつもうとするマノンを見て、ワレスはあわてた。


「それはダメだ。さわるな」

「どうして?」

「スズランの見ためは可愛いが、あれは毒花だ。花にも根にも毒がある」

「えっ? そうなの?」

「ああ」


 スズランだけではない。

 この神殿の庭には、やけに毒性植物が多い。スズランは強心剤にもなるから、薬として栽培されているのかもしれないが……。


 その夜、晩餐のときだ。

 マノンは食堂ではなく自室で食事をしている。貴族の娘だから、これも特別に。しかし、その食事の最中、とつぜん、ワレスの見ている前で倒れた。脈拍が異常に高くなっている。あぶら汗をかいて、熱っぽい。


「毒だ。水を持ってこい。井戸からくんだばかりの新鮮な水を」


 ワレスは侍女たちに命じ、運ばれてきた水をむりやりマノンに飲ませた。嘔吐おうとをくりかえしたのち、ようやく、症状が落ちつく。


「姫さま。姫さま。大事はございませぬか? 姫さま。じいの声が聞こえまするか?」


 じいやがえらく、うろたえていた。

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