第5話 ドランゲン城の悪魔8



 カンテラの明かりに照らされる人物を見て、ロベールは息をのむ。

 モルガンも無事だ。しかし、その手から聖杯は落ち、床の上にころがっていた。

 とっさのときに、モルガンの手から聖杯をたたきおとしたのは、その人だ。


「やはり、あなたか」と、ワレスは言った。

「大叔母上。前回の認定式のとき、次男の死と長男の失踪に関与したのは、あなただ」


 大叔母はじっと唇をかみ、沈黙を守っている。

 とつぜんのことに、何が何やらわからないようすのロベールとモルガンが、ポカンと口をあけたままだ。


 ワレスは説明した。


「本来、この認定式は人為的な操作によって、父親が自分の決めた息子にあとを継がせるためのシステムだった。それを作りだしたのが、ヴァランタン侯爵家の始祖だ」


 無意識にだろう。聖杯をひろおうとするロベールを、ワレスはとどめる。


「さわらないほうがいい。中身がこぼれた。ふれると後遺症が残ることがある」

「えっ? 何?」

「この場所はよく見ると、まわりに多くの赤い結晶がまざっているだろう? 辰砂しんしゃだ。辰砂じたいにも微量の毒がある。しかし、聖杯のなかには、辰砂にふくまれる毒と同じ成分が、さらに濃密に沈澱ちんでんしていた」


 ワレスは落下してころがった聖杯を示す。


「水銀だ」


 ロベールとモルガンはたがいの顔をうかがう。いちおう二人も騎士学校を卒業しているので、水銀が毒であるという認識は持っているようだ。


「辰砂は古代、不老不死の薬だなんていうデマが信じられていたようだがな。水銀はさらに毒性が強い。そういえば、おれがあの聖杯を手にしたとき、ずいぶん重かったよ。水銀は液体状ではあるが、金属だから」


 水銀の致死量はきわめて微量だ。ひと口でも飲めば、人間なら確実に死ぬ。たとえ死ななくても重度の後遺症が残る。脳をやられて体が不自由になったり、肝臓にも影響が出る。


「この認定式。ここへ来た者は聖杯の中身を飲まなければならないんだろう? 始祖に認められれば死なない。認められなければ死ぬ。そういう儀式だ」


 カンテラの明かり一つだから、闇を完全には払拭ふっしょくできない。それにしても、ロベールたち兄弟の顔色は青い。はるか昔の始祖が自分たちに毒を飲ませようとしていたのだと思えば、恐ろしいのは当然だ。


「では、なぜ、あんたたちの始祖はそんなことをしたのか? それは始祖の息子たちが継承権をめぐり、しれつな争いを始めたからだ。竜を倒した英雄でも、後継者争いはどうにもしようがなかったらしい。だから、竜の呪いをでっちあげ、二人の息子をこの場所へ誘いだした。真の勇者なら呪いをはねのけることができる。その者にこそ家督をゆずると言って、毒を飲ませた。跡継ぎにしたかった三男だけを生かすために」


 始祖が残したあの古い本のなかで、長男と次男が早逝そうせいしていたのは、そのせいだ。そうせざるを得ないほど、二人の争いがひどかったのだろう。


「この場所には天然の水銀が産出している。それを長い年月をかけて、あの聖杯に集める仕掛けを作った。そして、代々、城主にだけこの秘密を伝え、もしも相続争いでもめたときには、自分と同じ方法でおさめるよう伝えた」


 ロベールが首をふる。


「でも、それなら、最初に聖杯にふれる長男は必ず死んでしまう」

「その場合は事前に父親が中身をすて、ただの水にすりかえておく。そうやって、長年、親から子へ家督を継いでいった。貴族にとって、家を残すことは何より大事だからな。家名をつぶしそうな息子を一人か二人犠牲にしてでも、末永く侯爵家をつないでいきたかった。それが始祖の真意だ」


 ロベールの唇がわなわなとふるえる。


「な……それじゃ、父上は私を見殺しにしようと? さっきまで聖杯には毒が——」


「それは違う。あんたの父上は知らなかったんだ。城主だけの知るこの秘密を、その父から受けつがなかった。いや、あんたの祖父もその知識を親からもらっていない。

 いったい、いつから、この相伝がとだえてしまったのかわからない。が、あんたの祖父も兄が亡くなったという。彼自身の足が不自由で、ろれつがまわらなくなったのも、落馬のせいではなく、水銀中毒だからだ。もう何代も前にその秘密を知る者はいなくなってしまったんだ」


 ロベールは納得したのか黙りこんだ。だが、今度はモルガンが肩をすくめる。


「でも、それじゃ、なんでここに大叔母上がいるんだ?」

「彼女は若いころに、ぐうぜん、神殿にある隠し通路を見つけた。そこで始祖の言葉が記された本を見つけたからだ。そうですね?」


 たずねると、大叔母はかすかにうなずく。

 モルガンが歓声をあげた。


「じゃあ、兄上に毒を飲ませないために来てくださったのか?」

「まあ、そういうことだ。先日、おれたちがここを調べていたときに見た人影も、大叔母上だった。聖杯の中身を水とすりかえるつもりだったんだろう。だが、予想より、おれたちが早く戻ってきてしまった。しかたなく、今日になってまた忍びこんだ」

「そして、おれを助けてくれた。ありがとう! 大叔母上!」


 モルガンは深く感謝している。モルガンが単純な男でよかった。豪放ではあるが、やはり戦のなくなった今の時代の領主むきではない。


 ワレスは宣告する。

「モルガン。おまえはさっき、大叔母上に助けてもらわなければ、聖杯の毒を飲んで死んでいた。始祖は兄を押しのけてでも自身が優位に立とうとする、おまえのような者を排除しようとした。つまり、さっきの行動で、おまえは兄に負けている。おまえに侯爵になる資格はない。さきに外へ出ていろ」


 うなだれて、モルガンは出ていった。ワレスの容姿が守護天使に酷似していることが、彼にそれをあっさり認めさせていた。


「ロベール。あんたもその聖杯を持って、父上に事情を説明しにいくといい。気をつけて、水銀にふれないように」

「わかった」

「ジェイムズ。ロベールを外まで護衛してくれ」

「うん」


 ジェイムズとロベールも出ていく。

 とりあえず、これで認定式は終わりだろう。この儀式は今回が最後になるかもしれない。あるいは完全に形式だけになるか。


 しかし、まだ一つだけ謎は残っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る