第3話 劇場の魂になるまで5
チエリが自宅へ運ばれていったあと、ワレスは劇場の外を歩いてみた。
夕暮れが世界を金色に染める。
あまりに美しい夕景なので、幻想にひたってしまった。
目的の場所はすぐに見つかった。
高級料理店や呉服店、宝石店、もう少し歩けば闘技場もある。このあたりは金持ちの商人宅が多く、娯楽施設にかこまれている。
そのなかで一軒だけ、みすぼらしい馬小屋のような建物。
先夜、劇場の屋根裏から見たあの区画だ。
以前、ここは美しい庭園だったはずだ。このあたりではめずらしいレンゲ畑がひろがっていた。今は荒れはてて見る影もない。
門がこわれていたので、勝手に入ってみた。
敷地はけっこう広い。しかし、草ぼうぼうだ。レンゲが手入れされないままに野草のなかに埋もれている。
ここはもともと、なんの施設だったのだろうか?
近辺はよく通るが、あまり気にしたことがなかった。
建物らしいものは小屋だけだ。
小屋の近くまで行くと、男がいた。木箱を次々こわして山積みにしている。
「とつぜん、すまない。門があいていたので。ここは以前、きれいな花園だったよな?」
「ああ。もう閉園だよ。ここはダメだ」
「どうして?」
「おれのじいちゃんが一人で経営してたんだが、年のせいで寝込んでしまってね。二年ほったらかしにしたら、このありさまだ」
「でも、庭は手入れさえすれば、もとに戻る」
「庭はな。でも、肝心のやつらが逃げてしまった」
ワレスは男がこわしている箱や周囲のようすを見て、事情を察した。
「もしかして、ここは以前、養蜂場だったのでは?」
「ああ。そうだよ。近隣の高級料理店や高級菓子屋に出荷していたんだ」
「やはりな」
だいたいのところはわかった。青年に明朝、劇場へ来てくれるよう告げてから、ワレスはひきかえした。劇場はそろそろ夜の公演だ。
裏口から入ると、何やらまたさわがしくなっている。
今度は何が起こったというのか。
泣き声が聞こえるのは舞台袖の端役の部屋だ。一時期ロレーナが使っていたが、彼女がグランソワーズのとなりに移ったため、また端役たちの大部屋になっている。
そこへかけこむと、ヒロイン役のサヴリナがパニックを起こしていた。魔物がうなる声を聞いたというのだ。リュックがけんめいになだめているものの、そんな言葉に耳を貸せる状態ではない。
「これじゃ、夜の部は開演できない。どうしたらいいんだ」
リュックがあわてふためいてオロオロする。
ワレスはたずねてみた。
「誰か代役はできないのか?」
「ロレーナがいない今、ヒロインをできるほどの子は……」
「あの。監督」
声がしたのでふりかえると、王子役のフローランだった。
何か言いたそうな目をしている。が、フローランが口をひらくより前に、エルザが手をひっぱった。すると、フローランはモゴモゴ言ってあとずさる。
「どうした? フローラン」と、リュックが聞いても、フローランは首をふり答えない。
リュックはイラだったようすで四囲を見まわし、声をはりあげた。
「誰か代役をやりたい者はいないか? 端役の君たちにとっては
誰も手をあげない。ヒソヒソと仲間内でささやきかわすばかりだ。
「だって……ねぇ?」
「お姫様役はやりたいけど、魔物が……」
「呪われたくないよねぇ」
そんな声が聞こえる。
大道具係が魔物にかまれて倒れたことで、みなが浮き足立っている。
しかし、たったいま、ワレスはすべての謎が解けた。
「リュック。開演までまだ時間があるな」
「半刻もないぞ」
「じゃあ、今夜は少しだけ開演時間を延ばしてくれ」
「なんでだ」
「魔物の正体をこれから見せてやる」
「ほんとかッ?」
「ああ」
「お願いだ。これ以上、魔物なんかに、おれたちの芝居をジャマされるわけにはいかない」
ワレスは微笑した。
いけすかないヤツだと思っていたが、リュックの演劇にかける情熱は本物だ。
いや、リュックだけじゃない。この劇場にかかわるすべての人が芝居を愛し、芝居に人生をささげている。
この空気が好きだ。
演劇に打ちこんでいる人々の魂は、死せば、たしかに精霊となって劇場を見守るのだろう。
それほどの熱量を感じる。
一つのことに打ちこむ人々は、こうも輝いて見えるのか。つらい記憶から逃げて自堕落に暮らすワレスには、とてもまぶしい。
「じゃあ、屋根裏へ来てくれ」
「屋根裏?」
ワレスが先頭になり、ぞろぞろと屋根裏へむかう。サヴリナや端役の女の子たちもみんなついてくる。
屋根裏は雑然としているので、全員はなかへ入れない。少女たちは階段のところからのぞいている。
ちょうど、そのときだ。
あの音がした。魔物のうなり声。ブブブブブ、ブーンというような。
少女たちが悲鳴をあげる。
しかし、ワレスはよく通る声で、それを制した。
「静かに。これが魔物の正体だ」
ツカツカと壁ぎわに歩みよると、ワレスは伝書鳩の巣箱のフタをひらく。なかにはビッシリと白い何かがつまっていた。
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