第三話 劇場の魂になるまで
第3話 劇場の魂になるまで1
その日、ワレスは皇都の外れにあるラ・ベル侯爵家の療養所に来ていた。侯爵家に病人が出たとき、治療に集中するための別荘だ。
「おめでとう。エルザ。もとの家に帰るんだって?」
ワレスが花束の形をした甘い砂糖菓子を渡すと、少女は嬉しそうに微笑んだ。
たしかに見た感じ、最初に出会ったころよりは、ずっと顔色がよくなった。何度か見舞いに来たが、そのたびに回復を実感できた。
少女は女優マリアンヌの一人娘だ。生まれつきの心臓病で、手術するしか命を長らえる方法がなかった。ワレスの紹介の名医によって手術は成功したが、それでもおそらく長生きはしないと医者からは言われている。
「ありがとう。ワレスさん。これでまたお母さんも女優に戻れるし、わたしも働くことができます」
「仕事か。何をするんだって?」
「劇場でお針子の仕事があるの。ずっとすわってできるから」
「ああ。それならいいな」
劇場関係の仕事なら問題はないだろう。母の目が届く。
だが、ワレスにはエルザが哀れでならなかった。病気は治っても、一生走ることはできない。重いものも持てない。結婚生活を送れるかどうかも疑問だ。女の子なのに胸に大きな手術あとも残った。
エルザはしかし、達観した子どもだ。まだ十二だが、大人の女性のように落ちついていた。エルザにくらべたら、ジョスリーヌのほうがずっと子どもっぽい。
やはり、つねに死を意識しながら生きてきたからだろうか。
「いつ皇都に帰るんだ?」
「あさって」
「困ったことがあれば、いつでも相談に乗る」
「はい。あの……」
「うん。なんだ?」
ワレスを見つめたあと、エルザは黙りこんだ。
「いいえ。なんでもないの」
いったい、何を言いたかったのだろう?
なんとなく思いつめたような目をしていたが。
しかし、そのあとすぐにオペラ作家のリュックが劇場の関係者を大勢つれて見舞いに来たので、話を聞けなかった。
それからしばらく——
劇場では新しい演目が始まった。マリアンヌの復帰舞台だ。エルザはマリアンヌの隠し子なのだが、さすがに生きるか死ぬかわからない手術のとき、ほっとくことはできなかったらしい。女優を休業して娘につきっきりだった。
「やっぱり、マリアンヌの演技は貫禄あるわねぇ。今回の悪女も素晴らしいわ」
「ああいう役者は少ないな」
いつものようにジョスリーヌと観劇し、満足して帰ろうとしていたときだ。
「ワレスじゃないか。ちょっと話が」と、華麗な大階段の途中で呼びとめられた。
ふりかえると、リュックが立っている。
「話? おまえが、おれに?」
「以前、バカにしたことは謝る!」
ジゴロなんて才能もないくせに顔だけでジョスリーヌにとりいってると言われたことを、ワレスは忘れていない。しかし、平謝りしているので、とりあえず話は聞いてやることにした。
というわけで、ジョスリーヌが年間契約して借りているボックス席へひきかえす。
二階席なので、舞台で裏方の男たちが書き割りのセットを入れかえたり、大道具の点検をしているのがよく見えた。
「それで、話って?」
リュックは青い顔をして口をひらく。ワレスに頼んでくるくらいだから、そうとう困っているのはたしかだ。
「……劇場に魔物が出る」
「ハッ?」
言うにことかいて、魔物ときた。
「おまえ、寝てないよな?」
「失敬なやつだな! 起きてるだろうが。どう見ても」
「おれのこと顔だけのろくでなしと言ったのは、おまえだろ」
「意外と根に持つやつだなぁ」
「おかげさまで記憶力は人一倍いいんでね」
「だから謝ってるじゃないか! 協力してくれよ」
「魔物退治なんかできない。そういうのは衛兵にでも頼めよ」
「頼んださ。でも、やつらじゃお手あげなんだ。困りはててるから、こうして悔しいのを我慢して、おまえに頭をさげてるんだろ」
なかなか正直な男だ。リュックがあまり腹芸のできないタイプだということは前々から察していた。だからこそ、面とむかってワレスにも悪口をたたきつけてきたわけだ。
チクチクいじめるのにも飽きたので、ワレスはまじめに聞くことにした。
「魔物なんているはずがない。三千年も前の魔術全盛時代ならともかく」
「でも、何人も見てるんだ。それに変なうなり声がする。『うう、ううう』という、なんとも言えず恐ろしい声だ。それで劇場の魂が怒ってるんだと言って、辞めたがる者が続出してる」
「うなり声ねぇ。獣が入りこんでるんじゃないか?」
「そんなんじゃない。人影みたいなものを見た人もいる。それに真夜中の誰もいない舞台から歌声が聞こえるらしいんだ」
「歌声……」
「とにかく、おまえの謎解きの力には感服した。助けてほしいんだ。このままじゃ、上演ができなくなる」
それはワレスも困る。
悔しいが、リュックの作る歌劇は素晴らしい。魔物ごときのせいで楽しめなくなるのはつまらない。
「わかったよ。調べてみる」
「頼むぜ。親友!」
図々しくも肩をたたいてくる。
ワレスににらまれて、リュックは気まずそうに、その手をおろした。
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