10. 決意する魔王


「それは、」

〝否定しないってことは、あり得るってことね……ああもう、他にもっとないの⁉︎〟


 したいこと! などと言われても正直困った。そんなものパッと思い浮かばない。


 しかし、なにか適当にでも述べるべきなのかこの雰囲気は、だが無いものは無い。無いと言えばヨルダはまた落胆を醸し出すだろうし、面倒くさいな、なんだって今日の彼はこんなにもつっかかってくるのか。


 居心地悪そうに纏まりのない黒髪を指でぐるぐると絡め、スカサハはじゃあと聞き返す。


「そういう魔王さんはあるっていうんですか」

〝そうね。本音で言わせてもらうと、この二年とはまったく違った生活が送りたいわ〟

「……と、いいますと」

〝恋がしたい〟

「聞くんじゃなかった」


 染めた頬に手を添えて答えた彼に、今度はスカサハが軽蔑の眼差しを向け立ち上がりきびすを返した。


〝ちょっとなに勝手に帰り支度してんのよ、そこォ!〟

「恋って……あなたこそ幾つなんですか、千年生きたくせにそんな幻想語られても受け答えに困るんですけど」

〝幻想って、おま、失礼な……!〟


 舌打ちをして抗議しても、スカサハは陽が傾く前に村に戻ると天幕を畳み出す。


「まだ気が済んでないんですか? 続きは帰ってから聞きますので」


 あ。これもしかして、冗談言って困らせたかっただけって勘違いされた……? と気づいた頃には遅く。スカサハはすっかり気怠げな雰囲気に戻り、勇者時代から使い古した外套がいとうのフードを深く被ると、小さくなった焚き火を踏んで始末していく。


 そして彼女は残った焼き魚のひと串を大事そうにふところにしまい、帰り道で野草と木の実を調達し、今日を完結させるため、ある場所へ向かうのだろう。


 これではいつもの“一日”と同じ流れである。


〝っ〜じゃあ……! 王都で舌がもげるほど甘ったるいスイーツ食べるのはどうよ!〟

「は?」

〝雲みたいに分厚くて軽くて、宝石みたいな果実がたっぷり乗ってて、甘い雪みたいなのが笑えるほどかかってるの……!〟


 スカサハが歩き出せば影で繋がれたヨルダも引っ張られるようにして歩かざるをえなくなる。それでも彼は懲りずに口を動かし、帰る気満々の彼女の足を止めようと試みる。


〝名前は知らないけど、昔聞いたの。ボンヤリとだけど覚えてる、アタシがあんたぐらいの女の子の勇者だった頃、王都にそういう夢みたいな食べ物があるって、無事に魔王を倒したら吐くほど食べるんだってパーティの子たちと話してたの……!〟


 混濁している記憶を手繰り、彼はりし日のささやかな夢を語ってみせる。


〝ねえ、それ、アタシと一緒に食べに行きましょうよ。それでさ、新しい服買いましょう。そんな色気もクソもないダッサイのじゃなくて、あんたにもっとよく似合う服、アタシが一緒に選んであげる。それでさ、そのあと適当にぶらぶらしてどっかで美味しいランチ食べたら、王都で一番高い宿に泊まってパーッと贅沢にお金使うの。景色の良いテラスで上等の酒を飲み交わして、新品の服に着られてるあんたの辛気臭いツラでも拝みながら豪勢なディナーを前にしたらきっと最高ね。次の日は昼ぐらいまで眠って、その辺の観光名所を何日かかけて遊び歩く、手持ちのお金が無くなったらギルドで冒険者登録して稼いだらいいわよ。あんたとアタシならきっと半日で充分な稼ぎになるわよ。それでまた美味しいものいっぱい食べて、遊んで、酒飲んで、気ままに過ごすのよ。王都の喧騒に飽きたら今度は田舎に足を伸ばす、遺跡とか温泉街とかを観光して、勇者時代にできなかったこと全部やりきるの、そうやって、そうやって面白おかしく過ごしてみるのはどう〟


 その誘いにスカサハは足を止めて振り返る。


「さっきよりは、面白い冗談ですね。少し笑えますよ」


 そう口にした彼女の表情は、笑顔とするにはだいぶ不出来だった。



 ◆◆◆



 まきつたで組んだだけの質素な十字架に、金細工の花飾りのついた白いリボンがかけられ、それがみさきへ吹き上がってくる海風にたゆたう。


 日は沈みかけ、最果ての地は静かな黄昏たそがれに染まる。


 村はずれの岬に立てられた墓標もない十字架の前に膝を折り、木の実や果実、魚を供え、手を組み合わせ黙祷もくとうするのが彼女の一日をくくる大事な決まり事だった。


 黄昏が去るまで、彼女はつづまやかな墓の前からけして離れることはない。


 リボンと同様に黒髪を揺らすその背中をこの時ばかりは揶揄やゆすることなくヨルダは見守る。


 普段口数も少なく表情も希薄な彼女だが、その不動とも思える心は日暮れと共に底見えぬ海の色に染まり、ヨルダの中にも照らしようもないほど暗く冷たい感情が流れこんでくる。


 墓の主はスカサハのかつての仲間――いや、仲間という言葉だけでは足りぬ存在だっただろう。


 ただ。生きてさえいれば、スカサハはここではない別の場所で余生を送っていたかもしれない、でなくとも、今も笑顔でいることができたはず。そう説明するほかないほどの存在だったことは確かだ。


 世界なんてどうでもよかった――。


 旅の終わりに仲間たちの前で吐き捨てた彼女が、なにを失っても、必死に守ろうとした。ただ一人。


 たとえ自分が死のうと、この故郷の村に帰したかった。


 ただそれだけの願いのために戦い続け──最後の最後で手からこぼれ落ちた。



〝あんたが心配なのは、本当のことよ〟


 長らく躊躇していたがこれだけはなんとか伝えたくてヨルダは風を受けて歩み寄り、目を伏せたままのスカサハに告げる。


「わかっていますよ。魔王さん、なんやかんや優しいですから」

〝素直に言われると調子狂うわね〟

「私の方こそ、悪いと思ってます。付き合わせてしまって」

〝なによ、今さらだわ〟

「本当は、いっぱいあったはずなんです。旅が終わったら、したいこと、行きたい場所……。なのに今は、はは、全然頭に浮かばないっていうか、なんか……」


 ゆっくり瞳を開き、スカサハはまたもぎこちなく口元を緩める。


「疲れてしまって」

〝知ってる〟

「私、できそこないの勇者でしたけど、そんなでも頑張った、つもりなんです」

〝ええ。ほんとうによく頑張ったわ。あんたは、よく頑張った。……頑張りすぎちゃったのよ〟


 後悔にまみれた本音を一つとして取りこぼさぬよう、ヨルダは真摯しんしに受けとめていく。


 祈るため固く組まれた手の甲には女神が与えた神託の証が輝きを失いあざとなって残されている。


 フォスの遺体を灰に変え、彼女が故郷へ一人帰還することを決めた夜。その痣を自ら何度も潰したため、今となっては歪すぎる傷跡が残り、少女のものと思えぬほど凄惨せいさんなものとなっている。


 一番大事なものを守りきれなかった不甲斐ない自分、こんな運命を強いた世界を呪い、叫びを押し殺し何度も痣を潰す壮絶な表情は今もヨルダの眼に焼きついている。


 彼女が生きる理由を完全に見失ったのは──あの夜からだった。


 海風に絶えずなびく髪飾りは、墓の主からスカサハへ贈られた唯一のもの。


 そのたった一つの思い出を身につけず共に墓に供えているのは、いつでもも“同じように”なってもいいという心の表れだろう。


 死後の世界が存在するか定かではないが、もしそうだとしたらどんな気持ちで今の彼女を見守っているのか。ヨルダは墓の主に同情する。


〝ねえフォス――〟


 海と空の繋ぎ目に藍色が溶け出した頃。宵闇に招かれるように岬から立ち去るスカサハを見つめ、ヨルダは久方ぶりにその名を口にしてみる。


〝生き残るのがアタシじゃなくて、あんたならどんなに良かったか。ホントそう思うでしょ。毎日毎日、しみったれたツラァ見せにこられるあんたが気の毒でならないわ〟


 などと語りかけるが、死人に口は無い。虚しく声が響いて消えるだけだ。


〝あんたとは敵同士、会うたび殺し合うばかりで一度も仲良くなんかできなかったけど、女に髪飾りを贈る男に悪い奴はいないわ。あんた本当に、隅に置けない良い男だったんでしょうね〟


 ──できることなら試練を乗り越えた二人の未来を見てみたかった。


 いくら思おうとその瞬間は二度と訪れない。だからこそ、ひとり残されてしまった彼女のこの先の人生に必ず笑顔を取り戻させる。


 それが“光”と“陰”、世界を救済した二人の勇者への償いであり、自分の存在意義──。


〝安心なさい、まだ当分あの子はそっちにやるつもりないから。ちゃんとシワシワのババアになってから再会させてやるわ。絶対に……ね〟


 十字架をぽんぽんと優しく叩き、ヨルダは再び空を仰ぐ。


〝決めたわ〟


 そして決意と共に顔を戻し、ニタァと不敵な笑みを浮かべてみせる。


〝やっぱり………………これはアタシがもう一度、あの子の敵になるしかないみたいね〟


 金色の瞳を光らせるその不穏な面構えは、まさに勇者一行に幾度も向けた、暴虐非道の魔王のそれであった。



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