第46話(空の魔女③)16歳

【前回:オルガはわたしに人造人間であることを明かし、マルコを探すように勧めた】


 わたしは人形遣いオルガ・ヤニスの助言を心に留めた。

「不死者マルコか。なるほど、穏やかじゃない二つ名ね。さっそく彼の研究室に立ち寄ってみようかな」

「それなら、研究室よりも派閥クランの拠点の方がよいかもな。アイカは西の塔は知っているか」

「知らない」

「魔法学校の西の端、庭園や農場があるエリアのさらに向こうだ。クランが根城にしている西の塔なら、マルコと、もしかするとからの魔女を見つけられるかもしれない」

「ありがとう。行ってみる」


 わたしは礼を言って立ち上がると、ふと思いついて言った。

「ねぇ、オルガ」

「なんだ」

「もう一度、あなたの身体を触らせてくれないかな。わたし、人造人間ホムンクルスに会うの初めてだから。興味が抑えられなくて」


 オルガは目を見開いたが、まもなく「ククク」と喉を震わせた。笑みをこらえた人間らしい表情を浮かべて。

「アイカ、お前のそういう真っ直ぐなところは、アルマ・レインをほうふつとさせる」


 オルガが貫頭衣を脱ぐ。

 一糸まとわぬ姿になって立ち上がると、「これでいいか?」と胸をそらした。


 わたしは、オルガをとても美しいと思った。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 オルガの研究室を出ると、わたしは昇降機で一階に降りた。


 尖塔の外は昼下がりだ。

 紺色のローブを着た学生らが行き交う。初夏の賑やかなキャンバスの風景が広がっている。


 わたしは実は昨日から研究室に泊まり込んでいた。外に出るのは丸一日ぶりだ。

 いったん屋敷に帰って湯浴みをしたい気持ちもあるが、面倒だ。そのまま西の塔へ歩き始めた。


 すれ違う学生がわたしを見る。

 自意識過剰ではない、はずだ。


 わたしはもともと黒髪と美しい容姿(と自分では思っている)のせいで、注目を集めがちなのだが。模擬戦を境に、知らない学生から声をかけられることが増えた。


 なるべくひっそりと学生生活を過ごすつもりだったのに。模擬戦で目立ってしまったせいで、計画に狂いが生じている。


 わたしは少しうつむくと、人目を避けるようにそそくさと歩いた。そのときだ。


「アイカ」


 後ろから名前を呼ばれた。

 振り返ると、女子学生が手をあげて近づいてくる。


 ライラ・ハーリンだ。


 ブロンドヘアを編み込んでまとめ、前髪をそろえたいつもの髪型だ。金色の糸で刺繍をした白色のローブが陽光に輝いている。


「ご機嫌よう、アイカ」

「こんにちは、ライラ」

 ライラはわたしの左腕に自分の右腕を絡めると、耳元でささやいた。「ふふ、会うのは模擬戦以来ね」


 ライラからは香油なのか香水なのか分からないが、ミントのような爽やかな香りが漂ってくる。


 一方のわたしは、昨日からの泊まり込みのせいで、おそらく汗と羊皮紙の匂いが染みついているに違いない。相手は皇女なので、さすがのわたしも、気後れがしないではない。


 わたしは背後に目をやる。

 十メートルほど離れたところに、ちゃんとライラの護衛のリンナ・ラハティが控えていた。


「アイカ、時間があるなら、どこかでお茶でもどうかしら」

「ごめんね。これから行きたいところがあって」

「ふうん、どこ?」

「西の塔」

 そう答えると、ライラが目を光らせた。

「あぁ、なるほどねぇ」


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 わたしはライラと腕を組んだ格好で、歩きながら話す。

 道ゆく学生はわたしたちを見ると、あからさまに避けて通りの端に寄った。


「ライラ、わたし、変なことを言ったかな」

「ううん、別に変ではないわ。アイカは魔法学校に来たばかりだから知らないと思うけど。西の塔というのは、魔窟というか巣窟というか、ちょっと無法地帯みたいな所なのよ」

「無法地帯?」

「そう。あなたがごく普通の貴族の令嬢だったら、お勧めはしないでしょうね。まぁ、あなたなら何の心配も要らないけど」

「ふうん、それは興味深い話だわ」

 ライラはそこで首をかしげ、わたしの顔をのぞきこむ。

「それで、アイカは西の塔で誰に会いたいの?」


 わたしは瞬間的に考えを巡らせた。


 ライラなら空の魔女について何か知っているかもしれない。だが、彼女にわたしの関心事を明かしてもいいのだろうか。


 ライラは信用できない相手ではない。知り合ってからまだそれほど経っていないが、わたしはそう感じている。


 それでも、何といっても彼女は皇太子ルーカスの妹だ。わたしの素性はこの兄妹には筒抜けだが、行動までもが筒抜けになることには、リスクを感じなくもない。


「それは内緒。隠密行動なので」

 わたしが考えた末にそう答えると、ライラは笑った。

「あはは、隠密行動かぁ。それは残念ね。でも、ごまかされたり、嘘をつかれたりするよりはずっといい」


 ライラは校舎の端までくると、わたしの頬にキスをした。唐突に。

「じゃあね、アイカ。それなら今日はここで解放してあげるわ」


 ライラはきびすを返して立ち去った。


 わたしは頬を押さえてライラを見送る。ふいにキスをされたせいで、柄にもなく顔が熱くなった。


 ライラの天衣無縫さは、生まれ持った皇女の特性かもしれない。つい振り回されてしまうのだが、それでいて悪い印象がしないのは人徳だろう。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 さて、わたしは改めて周囲に目をやる。


 ライラがわたしに身を寄せてきた頃から、わたしはヒリヒリとした焼けるような視線を感じていた。


 リンナの視線ではない。別の人間だ。


 焼けるような、と言っても、ごくわずかな気配だ。

 ライラもリンナも気付いていなかった。あの能力の高い二人が気付いていないのだから、かなり微細な気配だといえる。


 誰かがどこかからわたしを見張っている。


 そのまま数分、様子を見る。

 周囲に動きはないようだ。


 わたしは常に誰かに狙われているつもりで生活している。研究室にいるときも、寝ているときも、完全に気を抜くことはない。


 とはいえ校内は人が多すぎる。

 視線や気配を感じても、最近は放っておくことも多い。いちいち気にしていたら、疲れるだけだ。


 わたしは再び歩き始めた。


 相変わらず、誰かに見張られている気配はあるが、すぐに襲ってくるわけではなさそうだ。


 魔法学校の敷地は広大だ。この先は庭園と、それから農場や馬場や林が広がっている。ここまで足を伸ばしたのは初めてだ。


 二十分ほど歩くと、木立の向こうに塔が見えてきた。














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