第44話(空の魔女①)16歳
【第42話(模擬戦⑧)の続き】
「アイカ、これは何?」
アレクシスがわたしに聞いた。
模擬戦が終わり、十日程が過ぎたある日のことだ。
アレクシスは例によってわたしの研究室に立ち寄り、何をするでもなく時間を潰していた。そして、わたしがキャビネットに保管していた一冊の本に目をとめたのだ。
「あぁ、それは
レイン家の魔女の部屋で見つけた、あの魔導書だった。
「ふうん。すごく古い年代物だな」。アレクシスは魔導書を手に取り、興味深げに眺めて言う。「でも、魔力は感じないね」
「うん、そうね」
わたしは静かにうなずいた。
魔導書には、いまはもう魔力が込められていない。もはや時空間をつなぐゲートとして機能することはなかった。ただの古い本だ。
ひいおばあさまは、もういない。
わたしの師匠、偉大なる時の魔女、アルマ・レインは消えてしまったのだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
あれは、わたしが魔法学校に入学する三カ月ほど前のことだ。
わたしはいつものように、時の回廊でアルマから魔法の手ほどきを受けていた。
「アイカ、これで一通りの時間魔法は身についたな」
「はい、師匠。ふふふ、時間魔法のバリエーションもずいぶん増えましたよ」
わたしが答えると、アルマは微笑み、そして告げた。
「そうだな、アイカ、わたしからお前に教えることは、もう何もない」
わたしはしばらくぼんやりと、アルマを見つめていた。唐突すぎて言葉の意味が分からなかったのだ。まもなく、驚き、焦った。
「そんなそんな。わたしの魔法はまだ未熟です。技も力も師匠の足もとに及ばないのに」
「それは、まぁ、そうだろうがな」
「まだまだ師匠から学ぶべきことがたくさんあるのに。どうして?」
どうしてそんなことを言うのか。まるで、別れの挨拶みたいじゃないか——。
するとアルマはわたしの頭に手を置いた。かつて、わたしを弟子にしたときのように。
「アイカ。わたしが教えなくとも、お前はもう自分の力で魔法と向き合えるはずだ」
「そんなの嫌だ。師匠には、これからもいろいろ教わりたい」
わたしはアルマにすがりつき、かぶりを振る。
アルマはわたしを抱きしめると、言った。
「お前はもうすぐ魔法学校に入る。広い世界と新しい環境がお前を待っている」
「師匠に教えてもらえなくなるなら、魔法学校には行かない。ずっとここにいる」
「そうもいかぬのだ。わたしは現世との結びつきが薄れてきている。思念体として留まるのも、そろそろ限界なのだ」
「どうなるの。消えてしまうの」
「こんな風にアイカとここで会えなくなるだろうな」
「そんな……」
わたしはアルマにすがりついて泣いた。
わんわんと泣き続けた。
わたしをあやしながら、アルマはわたしに言った。
「アイカ、これからはお前が『時の魔女』だ。そのことを宮廷にも告げるがいい。ルーカスに伝えてほしい」
「うん」
「前にも言った通り、生きることのすべては魔法の糧になる。生きていく限り、修行は続くんだ。そのことを忘れるな」
「うん、うん」
「わたしが現世で死んだ後も、思念体が留まっていたのは、時間魔法をアイカに継承するためかもしれない。それは実現できた。思い残すことはない」
「師匠、いえ、ひいおばあさま。わたしを導いてくれて、ありがとう」
「もう泣くな、アイカ」
「うん」
「いつかまた会えるかもしれない」
「会えるかな」
「ああ、きっと。ここではない、時の流れのどこかで」
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わたしは自分のやるべきことに気がついた。魔法学校に入ってからの数週間は、新しい生活に慣れることで精一杯だったけど。
アルマはあのとき、こんなことも言っていた。
「アイカ、そうだ。ひとつ伝えておこう。魔法学校に行ったら、
「空の、魔女?」
「そうだ。彼女ならきっと、今も魔法学校のどこかにいるはずだ。会えば得られるものがあるだろう」
「うん、わかった。探してみる」
空の魔女——。
魔女と呼ばれる以上、高位の能力者なのだろう。魔法学校にいるといっても、いったいどこにいるのか。
「ねえ、アレク。この学校に魔女って呼ばれている魔法使いは存在する?」
「何人かいたはずだよ」
「空の魔女、って名前なんだけど」
「空の魔女? 聞いたことがないなぁ」
学校の事務局でウルスラに聞いてみようか。そうも考えたが、正式な照会をしたら、話がややこしくなりそうだ。
それに、わたしは入学してからの経験で、この学校の習わしを理解しつつあった。
学校側は、基本的に教授や学生に対して不問であり、制度で従わせるつもりはない。そのかわり、すべての問題やトラブルは自分たちで解決しなければならない。
仮にも魔女と呼ばれる魔法使いだ。容易に会える訳もないだろう。
わたしはふと思いつく。
そうだ。人形遣いのオルガ・ヤニスに聞いてみよう。
模擬戦以来、オルガには会っていない。彼女にはそもそも、問いただしたいことがあった。
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