第2話(襲撃の夜②)10歳

 イーダと中庭で話した数日後の朝、わたしはイーダに起こされて目が覚めた。


「アイカ、起きて。一緒に出かけるわよ」

「まだ眠いのに、どうして」


 ベッドでまどろんでいたわたしは、不機嫌な声を出した。わたしの朝は遅い。普段は侍女に繰り返し起こされても、しつこくシーツを被っている。


「天気が良いから、遠駆けにいきましょう」

「えぇ、いまから行くの」

「そうよ、いまから」

 イーダはすでに乗馬服に着替え、わたしをにこやかに見下ろしていた。


 イーダはこうと決めたら行動力が半端ではない。出不精で外出が嫌いなわたしとは、正反対だ。

 期待のこもった彼女の顔をみると、出かけざるを得ない。姉をがっかりさせることはできなかった。


「わかった。すぐに着替えるから」

「わたしが着替えさせてあげる」

「ちょっと、いいって、いいって」


 わたしはイーダの手をはねのけ、慣れない乗馬服を身につける。

 厩舎に赴くと、イーダが手配した護衛らが、すでに馬の準備をしていた。


 わたしもいちおう貴族なので、もちろん馬に乗ることくらいはできる。できるというだけで、まったく得意ではないのだが。


「アイカ、ついてきて」

 イーダは颯爽と馬にまたがると、稲妻のように駆け出した。わたしはあわててイーダの後を追う。わたしたちの後から護衛二人も追いかけてきた。


 季節は夏の盛りだ。

 ノール帝国の夏は短いが、美しい。


 青々とした森の木々を眺めながら、風をきって馬を駆るのは、思いのほか気持ちが良かった。あまり外に出ないわたしも、それは認めざるを得なかった。


 湖を臨む小高い丘で、わたしたちは休憩をとった。護衛が馬を連れて水辺に降りていった。わたしも水筒の水を飲み、クラッカーを食べた。考えてみたら、朝から何も食べていない。


「まったく。強引なんだから」

 ほおをふくらませたが、悪い気はしない。


 こんな風に、イーダは時折り、わたしを屋敷の外に連れ出した。


 ふと、腰かけていた岩についたコケが目にとまる。わたしはコケをむしって手のひらにのせる。そして魔力を発動すると、コケが渦を巻きながら、宙に舞い上がった。


「あら、ちゃんと魔法が使えているじゃない」

「うん、まぁ。わたしもこれくらいは」

 わたしは右手をひらひらと動かして、コケを宙で踊らせた。右手の甲の紋章が光を放っている。


 魔法使いの能力を持って生まれた貴族の子は、年頃になると、精霊の加護をもらう。それがノール帝国の慣習だった。紋章は加護のしるしとして、通常は左右どちらかの手に刻まれるのだ。


 わたしはもともと風属性で、風の精霊の紋章を右手に持っていた。ふだんは目に見えないが、魔法を使うと浮かび上がる。


 魔法使いは自分の属性以外の魔法も使えなくはない。ただし属性以外だと威力が落ちるし、魔力の消費も大きい。だから、多くの人は自分の属性に特化して魔法の技術を磨くことになる。


 コケは二重らせんの形を描いてくるくると回る。

「上手にコントロールできているわ」

「うん。こういう気持ちのよい場所だと、魔法がうまく使えるみたい」


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 魔法とは、魔力を放出することで生み出される。魔力は魔法の燃料だ。ただし、魔力だけでは魔法にならない。油だけでは物が燃やせないのと同じだ。


 油であれば、着火して燃焼させればいい。では、魔法ならどうすればいいのか。

 必要になるのが、呪文や、魔法陣、魔道具などだ。これらは魔力という燃料に火をつける着火剤の役目を担う。そして燃料と着火剤をつなぐ窓口が紋章だった。


 わたしは、もっと小さかったころ、5歳とか6歳のころには、父や姉の手に浮かぶ美しい紋章にあこがれていた。だが、そのころは紋章の意味を知らなかった。


 紋章とは一種の術式であり、さまざまな情報が含まれた記号のようなものだ。魔法使いの家系では何代にもわたって魔法に磨きをかける。その成果を紋章に組み込み、次の世代に引き継ぐのだ。


 だから、加護と言っても、その本質は、紋章を通じて魔力の鍵を子供に譲り渡す儀式だ。魔法使いの子は魔法使い、というわけだ。


 さて、このときの遠出で、わたしにとっては忘れられない出来事があった。


 湖の周辺を散策した後、姉はとある集落に寄り道をした。そこは山あいの傾斜地で、草木も生えていない、やせた土地だ。簡素な小屋が点在している。


 集落には十数人が居るようだ。街や村からこんなに離れた不便な場所に、人が住んでいることに、わたしは驚いた。


 そこは流民の集落だった。隣国から流れて来たのかもしれない。街に住む金もなく、森や水を使う権利も持たない。近郊の採石場などで日雇いをして生計をたてているようだ。


 イーダはこれまでにも何度か訪れているそうだ。老いた男が拝むように迎え出た。ぼろぼろの衣をまとった小さな子らが数人、大はしゃぎしながらイーダにまとわりつく。


 女がひとり、桶に水を入れて持ってきた。手を洗えと言っているようだ。わたしが桶に手を伸ばすと、イーダがそれをとどめ、女を下がらせた。


「このあたりは水がないのよ」。イーダはわたしに言った。「歩いて十数分くらい降りた沢まで毎日くみにいくの。さっきの水は彼女たちの飲み水よ」

「ふうん」

「わたしたちなら、生活魔法で水でも火でも簡単につくりだせるけど。そういう訳にもいかないから」

「そうなんだ」


 それからイーダは何人かの大人と話をした。そのうち、集落の子が熱を出していると聞き、様子を見に向かった。


 小屋の中は薄暗い。藁のむしろが敷かれた寝所で、男の子が寝込んでいた。イーダは回復術士ヒーラーではないが、簡単な回復魔法なら使える。


 男の子に手をかざしていたイーダは「熱が高い。ちょっと治癒に時間がかかりそうだわ」と言った。


 わたしは小屋の外に出た。小屋の中は、あまりにも暗くてせまく、おまけに清潔ではなく、そして自分にはどうすることもできない。いたたまれなかった。


 戸口に立ってぼんやりとしていると、わたしよりも小さな子らが数人通りがかった。たきぎ拾いをしていたようだ。


 女の子が一人近寄ってきて、わたしに話しかけてきた。

「ねぇ、お嬢さま」

「あ、うん」

「お嬢さまは、魔法使いなの?」

「えっと、それは」


 わたしは魔法はろくに使えないし、イーダのように何かの役に立っている訳ではない。どう答えたらいいのか分からなくなり、口ごもった。













 

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