第89話「ミラちゃんと酒庫 Fin」

「ミラちゃん、もし仮にこれが同じ木から作られた樽が二つあったとして、そこに同じニューポッドを詰めて同じ熟成環境と熟成期間までもが同じだとしたら、それが全く同じ味のウイスキーになると思うかい?」

「えっ、同じ味にならないんですか?」


 ミラちゃんは俺の言い方に違和感を感じたようで少し驚いていた。


「それがね、ちーっとも同じ味なんかにならないんだよ」

「そんな、それじゃショウゴさんのお酒を一度飲んで気に入ってくれた人は、もう二度と同じお酒を飲めないんですか?」


 ミラちゃんの声色は悲痛な叫びを含んでいた。ミラちゃんは俺の酒を飲んだだけで遥々山々を越えてまで俺に会いに来てくれた小さいお客さんだ。きっと俺のウイスキーを飲んで感動してここまで来てくれたに違いない。そう、もう一度あの酒が飲みたい。その一心でだけだ。地球とは違って、車もなければもちろん飛行機や新幹線だってない。ましてや、整備された道なんか無かっただろう。道中にはモンスターや獣がうようよしている、まさに命懸けだ。

 そうやってここまで来てくれたのにもう二度と同じ酒を飲めないという現実、そう思い込んでしまったら誰だって泣きたくなる。


「そうだね、厳密にはこの世に同じウイスキーは二つとないんだ」

「そ、そんな……」

(それじゃぁもうあのお花の蜜を集めたようなお酒にはもう二度と……巡りあえないの?)


ミラちゃんの表情には露骨に影が落ちた。あまり落ち込ませてもかわいそうだ、ここはしっかり俺の真意伝えないと!


「でもねミラちゃん安心して。ウイスキーのシングルカスクで同じ味は不可能だけど、シングルモルトウイスキーやブレンデットウイスキー、酒蔵が出すオフィシャルと呼ばれる公式のウイスキーの味はほとんど変わらないんだ」


 まぁそれもいかれた経営陣が現れるまでの間だが……。


「それってどういうことですか? 二度と同じ味のウイスキーは作れないのに公式ってことはそのお店が半永久的に売り続ける看板商品ってことですよね。味が変わったらお客さんは怒るんじゃ……」


 さすがに、自分で義肢を売っているだけあって商売勘が鋭いね。ふふっ、これはとびっきりの魔法を見せてあげるべきだね。百聞は一見にしかずっていうから。


「ミラちゃんこれから魔法を使わずに魔法のような事をしてあげるからね」

「えっ、魔法を使わずに魔法ですか?」

「うん、まぁ見ててよ」


 ミラちゃんは俺の言っていることがピンときていないようで、終始目をぱちぱちさせて混乱しているようだった。よぉし、ミラちゃんをびっくりさせて自信を取り戻させてあげなきゃな。何も、職人は完璧じゃなくていい完璧なものを作り続ける努力を絶えず続け、お客さんと一緒に二人三脚だということを知ってもらおう。

 

 ここからは俺の腕の見せ所だ。この酒庫に貯蔵されている数百の樽はすべて把握している、つまりは俺の庭ってことだ。一つ一つの樽で熟成されているウイスキーの風味つまりフレーバーがスモーキーかデリケート、リッチなのかライトなのかフレーバーマップがすべて頭に入っている。今回作るのは即席シングルモルトウイスキーだ。


 さて、どんなヴァッティングにしてやろうか。そうだなどうせならミラちゃんが喜ぶものにしよう。ミラちゃんはエルフの行商人であるリンランディアさんに売ったウイスキーを飲んでここまで来てくれたんだっけな。確かあのウイスキーはホワイトオークの新樽でチャーは最低のライトだったはず、あぁ味も思い出したぞ。よしよし、あの樽とあれとあれとで……いけるな。


 俺はフレーバの全体図を頭に思い描き、限りなくあのウイスキーに近づけるべく数百樽からそれぞれウイスキーをスポイトで抜き取った。もちろん同じ量ずつではない、核となるキーモルトを多く抜き取りそれに次々とウイスキーを加えていく。時には柄杓一杯分を時には小さじ一杯だけといった具合に細心の注意を払い、何度もテイスティングを重ねた。そして遂に……一本のウイスキーボトルが完成した。


「さぁお待たせしました。ミラちゃん飲んでみて」

「えっ」

「おっと、気持ちが先走ってしまったね。ちょっと待ってよ、今注いであげるから」


 ミラちゃんに新しいテイスティンググラスを手渡し、ハーフガロンのボトルのコルク栓を抜いて注いであげた。


「さぁ飲んでみて」

「いいんですか? ショウゴさんが数時間もかけて作ってくれたものなのに、私が先に飲んじゃっても……」

「数時間……そんなにかかったのか俺もまだまだだな。そんなことよりそれはミラちゃんへの魔法のプレゼントなんだから、いいに決まってるでしょ? それとも俺が全部飲んじゃおっか? あぁ~ミラちゃんのために数時間も! かけて頑張って作ったのに飲んでくれないのか~~! 残念だなぁあぁ~悲しいなぁ~!」


 子供の気づかいに対して、大根役者全開で大人気もなく少し荒れてみた。


「わ、わかりました‼ 私が飲みますから悲しまないですくださいっ」


 ふふっ慌てちゃって可愛い。悲しまないですくださいって噛んじゃうところがやっぱり子供だねぇ。俺はミラちゃんの頭に手を伸ばして優しくなでた。


「子供は余計な気遣いをしなくていいんだよ。どうせいやでも大人になる時が来るんだから、甘えれるときにたくさん甘えな? ねっ」


 空樽に座っている彼女の高さに合わせて顔を覗き込むと、ミラちゃんの頬が少し赤くなっていた。照れてるみたいだ。


「はいっ、頂きます」


 ミラちゃんはおしとやかな動作で、においをまず嗅いだ。ミラちゃんの瞳孔が開いたような気がした。そしてぱっとこちらに顔を上げた。


「ショウゴさん! これってまさか……」


 俺は黙ってにっこり笑って、飲んで飲んでと手で催促した。そして少しミラちゃんの手が震え始め恐る恐るといった感じでウイスキーを口に運んだ。ミラちゃんは大事そうにウイスキーを口に含んで小さな舌で転がした。

 そしてまた一口と、何かを確かめるように流し込んだ。


「…………」

(この味これって、噓でしょう。でも絶対忘れない、忘れるはずがない。だって私がウイスキーに出会った時の味だもん。匂いは華やかで嗅ぐだけでお日様と一面の草原大地の香り、一度飲めばミツバチの巣に集まった花々の蜜が口いっぱいに広がるの。それでも強烈な酒精が舌を焼いていって、うん立派なお酒……。もう二度と飲めないとさっきまで思ってたのに……。)


「お気に召してくれたかなミラちゃん」

「はいっ、はい。すごくすごくおいしいです! ショウゴさんは凄い魔法使いさんですっ!」


 ミラちゃんは幸せいっぱいと思ってるような顔をしていた。瞳は大きく見開かれて紫色の瞳がキラキラと光り、口元は緩み口角が上がっていてほほは赤らんでいた。


「ミラちゃんこの世に完璧なウイスキーは存在しないし、作ることもできない。でもねぇそれがロマンなんだよ。こうやってウイスキー同士を混ぜるだけでどんな味にだってすることが出来るし、何より人を喜ばせることが出来る。だから完璧なウイスキーなんて必要ないと思わないかい?」


 俺が諭すように言うと、ミラちゃんは喜びの夢から覚めたようにハッとしていた。何かつきものが落ちたかのように、完璧という単語をゆっくりと繰り返し口にしていた。


「……完璧、じゃなくていいんだ。ううん、完璧にとらわれちゃダメってことなんだ。ショウゴさん私……何かわかった気がします」

「そっかならよかった!」


 ふぅ、これで俺も一安心だ。最初は完璧なウイスキーを飲ませてくれって言われて焦ったけど、これでドナートとの約束は果たせたかな。


「はい! 有難うございます!」

(私は完璧な義肢を作ろうとしていた。失った二度と戻ることはない足や腕を、失った両親と重ねていた。完璧な両親だったママとパパ、その代わりとなる完璧なものを私は生涯をかけて作ろうと思っていたのかもしれない。でも、人の思いや努力がそれに近づいていく。とらわれることなく腕を磨こう。そうすればいつの日か、ショウゴさんみたいな魔法を使える日が来るかもしれない)


「ショウゴさんはやっぱりすごいです! 尊敬してます!」

「ふふん、そうでしょう? なんてね! そのボトルはミラちゃんにあげるから、無くなったらまたブレンドしてあげるからたくさん飲んでね」


 ミラちゃんは実に晴れやかな顔でウイスキーを飲んでくれた。こういう瞬間に立ち会えるたびにウイスキー職人としての喜びとやりがいが重なっていく。



 

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