第80話「神様は少し怒っている 下」

 俺は強い発光源が気になって、キッチンまで恐る恐る歩を進めた。すると、ティナは俺の動きを察してか、俺を庇うように割り込んできた。ミラちゃんはアヒルの子供のように後ろからついてきている。先程までは怯えた様子だったが、今は勇気に満ちた瞳をして怯まないのが、ドワーフの血ってことなのだろうか。


 そして遂に、キッチンの秘密通路が目視できる所まで来た。


「こ、これは」


 ティナが驚くように言葉を漏らした。

 俺たちが目にしたのは、閉じ切った秘密通路の扉の隙間から漏れ出している強い白い光だった。


「なんの光だろう」


 俺は疑問を口にした。そしてその問いには誰も答えなかった。俺はとりあえず開けてみることにした。秘密通路の扉を開けるためにコンロまで行く。ティナに止められるかとも思ったが、そんなこともなく秘密階段を開けることができた。


 俺は開かれた秘密階段を覗き込んで唾を飲んだ。


「なんか大丈夫そうな気がするんだけど、気のせいかな……」

「……いや、おそらく大丈夫だ。一切の敵意や害意などは感じない。お前を呼んでいるようだ」


 この光からそこまで読み取れるのだろうか、と思う所だろうが、俺もティナの意見には賛成だった。なぜなら、今まで経験のないような誘引力を感じていたからだ。誰かに名前を呼ばれている訳でもないのに、この光に誘われているそんな感覚。


「ティナはこの光の正体を知っているの?」


 ティナが何か知っているように思えてならなかった。


「あぁ、私はこの光を知っている気がする。私が剣神に剣舞を捧げた時、稀にだが、私の剣舞を気に入った剣神から賜る賞賛の光芒に似ている」


 光芒……って確か天使の梯子とか呼ばれる、太陽光だよな。この世界の人も、神様からの何かしらの合図に見えているんだなぁ。


「そっか、なら行ってくるよ」


 下で待っているのが神様なら、何も怖くないと思った。俺は軽い足取りでその一歩を踏み出したのだが、ティナがそれを許してくれなかった。俺は彼女の大きな手で胸を押さえつけられた。


「待て、相手が神だとしてもそう決まった訳じゃない。私が先を行く、たとえ相手が神だろうと私はお前を守らなければならない」

「う、うん」


 俺は少しこめかみを指で掻いた。平然と男前な事を言うティナがかっこよく見えた。そうだ。ミラちゃんはどうしよう。そう思って後ろを振り返った。


 するとミラちゃんは俺の服の裾を小さな手でぎゅっと握って俺を見上げていた。


「私もショウゴさんを守ります!」

「えっ……ありがとうミラちゃん。とても心強いよ」


 えぇ、異世界の女の子逞しすぎるんだがぁ。

 こうしてティナを先頭に、俺たちは地下階段を降りた。すると、工場内は魔灯を点けていないのに明るかった。闇の中で、一際強い光を放つその正体は神様の石像だった。


 やっぱり神様の仕業だったんだ。

 俺たちは石像の前で立ち止まった。クロノス様の石像から優しい光が出ていた。そして次の瞬間、腕を組んで微笑みを携えていた女神像が動き出したのだ。


「うわぁ!」


 俺はびっくりした。先程まで、ただの石の塊だったのに突然、命ある生き物のように動き出したからだ。俺は身構えて、横目でティナやミラちゃんを確認した。すると、俺は驚愕して目を見開いた。


 動いていない。先程まで彼女たちの息遣いが、聞こえていたにも関わらず、今は石のように微動だにしていなかった。


「えっ、どう言うことだ」


 困惑していると女性の声が聞こえた。


「何、世界の時間を止めただけじゃ」


 聞き覚えのある声だ。やっぱり目の前にいる石像、神様はあのお姫様だ。俺をこの世界に送り込んでくれた、時空神クロノス様。


 そしてサラッと想像できないスケールの話が、俺の頭を駆け抜けた。


「お久しぶりです、神様」

「久しいな、翔吾。もう、この世界には慣れたか?」


 神様の口調は実に穏やかで、静けさを感じるほどだった。少し鳥肌が立った。


「はい、お陰様で何とかやっています」

「そうか」


 少しの静寂、何が目的なんだろう? 俺、何かやったか? 俺は考えた、神様がここまでして俺を呼び出した理由を、俺の何かが神様を怒らせたのか、それとも俺に何か用があったんだろうか? どちらにせよ緊張した。俺はテンパって、思考停止に陥った。そして神様に甘えた。


「神様」

「なんじゃ」

「つかぬことをお伺いいたしますが、一体どのようなご用件でこちらにいらしたんですか?」


 俺がそう言うと、張り付いたような笑みを浮かべていた神様の顔に亀裂が入った。比喩ではない。文字通り、石の顔にピシッ! とヒビが入ったのである。怖いよ!


 少しの沈黙の後に神様は口を開いた。亀裂の入った顔で……。


「…………翔吾」


 俺の名を呼ぶその声は、壊れたスピーカのように音割れしていた。冷たい汗が俺の背筋を濡らした。


「はい」


「妾はこの胸が張り裂けそうじゃ」

「胸ではなくて顔にヒビが入りましたよ?」

「馬鹿者、妾は今心の話をしておるのだ!」


 怒られた。


「は、はい! すみません。俺が何か、神様の機嫌を損ねるような事しましたか? それともお供えしたお酒が不味かった、と、か…………あれ」


 俺は神様を前にして、あらゆる可能性を考え最初に思いついた事を口にしてみてしまった…………。そして俺はある重大な約束をこの五ヶ月ほど忘れていたことに気づいたのだ!


「「お供物!/妾のお酒!」」


 俺は思いっきり顔を両手で勢いよく隠した。その際に、ぺちりと音が立つほどだった。


 あちゃ〜ちゃ〜、俺とした事が、一月に一度供物として、お酒をお供えする事を忘れていたとは……。最初にウオッカをお供えした雪解けの季節から、忙しかったからなぁ〜いや、それも言い訳か。


 真っ白な等身大の石像が、少し涙を浮かべてこちらを睨んできていた。

 

 俺がこうして最高の環境で、ウイスキー造りが出来ていられるのは、全てこの人のおかげだもんな。俺は忘れてはいけない、約束を忘れてしまっていたんだ……。


「すみませんでした! 神様! 大事な約束を忘れて貴方を蔑ろにしてしまって……本当になんとお詫びしたら良いのか」


 俺は土下座をして謝った。本当に申し訳ないと思った。


「妾がどれほど待っていたか、楽しみにしていたか、そちには分かるまい?」

「……」

「妾は神じゃ。さりとて、悠久の時を管理する苦労は並大抵の事ではない。神とて感情がある。妾たちがお主たちに授けた魂のように、心があるのじゃ。神とて楽しみが欲しい。そんな願いを持ってはいけぬか?」

「……」


 うぅ〜耳と心が痛い! 無神論者だった俺だが、こんな神様がいたらどうしたって同情しちゃうし、そんな彼女の楽しみに選ばれた事も光栄だし、楽しみを奪っていた張本人として、しんどい。


 俺は耐えきれず。顔を上げて訴えた!


「神様!」

「なんじゃ」

「ここは一つ、おもてなしさせて下さい!」

「ほぉ、もてなしか。何やら飲ませてくれるのか?」


 神様の石造な表情が柔らかくなった。そして初めて出会った時とは違う、石の巻毛のような長髪を指でくるくると弄った。少しの間検討しているように思えた。そして指から髪の毛を手放すと。


「ふむ、残念だがそれは出来ぬ相談じゃな」

「そ、そんな」

「本来神々は依代を使っているとはいえ、世界と干渉してはいけないのじゃ。まぁ妾ほどの力ある神であれば、短時間干渉したところで、誰にも分からぬし、狂いもせぬ」


 神様の世界にも色々ルールがあるんだなぁ。そっか、神様はルールを破ってまでもお酒の取り立てに来てくれたのか、そんなに俺の酒を楽しみにしてくれてたのか。


「……残念です。ならせめて、五ヶ月分のお酒を持って帰って下さいね」


 俺はそう言ってアイテムBOXから、二百リットルサイズの酒樽を取り出した。神様はその酒樽に手をかけて言った。


「あぁ、そうさせて貰おうか。妾の目的は酒と警告じゃからな」

「け、警告ですか?」


 神様の警告って一体……。


「次供物を忘れたら」


 忘れたら……。


「妾がお主に授けた加護を取り上げるからの!」


 神様はビシッと俺を指差して宣言した。加護ってことは、時空魔法や、この家が無くなってしまうのだろうか。


「ははぁ〜」


 俺は時代劇の農民がお殿様に平伏するように承諾した。そして、神様は満足げな顔を浮かべると酒樽を光の粒に変えてしまった。無数のシャボン玉のように酒樽だったその光の粒は天高く登って行った。


 そして女神様を模した石像は元の立ち位置に戻り、最初の石像が取っていたポーズを取った。


「翔吾」

「はい」

「良い酒を造れよ」


 俺を送り出した時と同じ言葉を贈ってくれた。そして亀裂の入った石の顔も、時間を巻き戻すように元通りになっていった。


「はい!」


 その言葉を最後に、先程まで生きているようだった石像が、血の通っていない石へと変わった。光は消え去り、酒造は闇に包まれたので魔灯をつけた。


「先程まで光っていた石像が……」

「ふぇ、本当です」


 ティナとミラの止まっていた時間もまた流れ出した。




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