第58話「カシーム・ボンクの虎の子」

 僕は湯浴みを終えて、寝所にてバスローブを纏いながら会談の準備を行っている。先程、シールズの使用人によって、雌奴隷ウマイヤへの贈り物が届けられた。何かと思えば、ウマイヤの為に仕立てられたドレスだった。そのドレスは、青色で確かに、ウマイヤの美しい栗毛色の髪とはよく映えるだろう。


 そのドレスの素材には、東方からわざわざ取り寄せたであろうシルク、恐らく玉露虫ジュエリー・ワームの糸が使われている。玉露虫製の絹は、光に当てると朝陽に照らされた朝露のように、キラキラと生地が輝くのが特徴だ。その美しさから、生地のシャンデリアと呼ばれている。


 玉露虫の育成と管理は、困難を極め、産卵に十年、育成に三十年、糸を吐かせるまでに五十年、修行した者でなくては、この虫を扱うことは出来ないとされている。


 つまり、人間ではこの絹を自給自足すること自体、不可能に近いと言うわけだ。気位の高いエルフから、この絹を買い取るのには骨が折れる。


 僕も経験した事だが、エルフは自分達と取引する相手の品格を重んじる、傲慢な種族であり、いくら大金を積もうが、取引相手が気に入らなければその場を去っていくのだ。 


 実に、実に、実に! 気に食わない……。まぁ、腹いせに、奴隷にしてやったがな、ケケケッ。


「ウマイヤ、せっかくの贈り物だ。身に付けて、侯爵に披露せねば礼を失するだろう。着てみなさい」

「しかし、私の様なものがこの様に高価な物を身に付けるなどと、恐れ多い事であります」


 普段から、この獣人の雌には奴隷服しか着させてこなかった。それは、奴隷共に自らの身分を自覚させると言う目的もあったが、僕が衣服に興味がないと言うことが、最大の理由だ。


 服など、邪魔なだけではないか。


「聞こえなかったのか? 私は着ろと言ったんだ」


 少し、僕が優しくすればこうだ。やはり、いかんな。奴隷に優しく接するなど、すぐに自我が芽生えてしまう始末だ。僕は、ウマイヤを睨みつけた。


 すると、日頃の躾のおかげか、僕よりもずっと背の高い彼女が子ウサギのように怯えて、素早くバスローブを脱ぎ捨て、ドレスを着始めた。あらかじめ、シールズの寄越した使用人には、部屋の外で待機させていた。


 なぜなら、僕がウマイヤを教育した形跡が、その体に深く刻まれているからだ。愛ゆえの事ではあるが、要らぬ誤解を招きかねないからな。


 ウマイヤは、元々獣人族の王族なだけあり、ドレスの装着には手間取らなかった。


「実に、似合っているぞ」

「ご主人様に、褒めて頂き身に余る光栄であります」


 ふむ、ウマイヤが着たドレスはスレンダーラインドレス、ウイマヤの長い足が際立っていた。たまには、着飾ったウマイヤと言うのも悪くない。


 しかし、気に食わんな。第一に、青色といえば、シールズ家を象徴する色、遠回しに牽制されたようなものだ。第二に、このドレスの採寸がウマイヤの四肢に見事に合わせられているという事だ。


 ふん! 僕の情報は筒抜けだとでも言いたいのか、せいぜいこのお返しは会談の場で返させてもらおう。僕も、会談に望む衣装に身を包んだ。アレスには貴族という存在がいない、我が国は商売人の寄り合いであり、その自治組織が巨大になり、国家という形を呈している為だ。


 そして、そこの権力者達を大尽と呼び、大尽が国を仕切るそれが習わし。つまり、正装などというものはない。権力とは着るもの、身に付けている衣服でその人間の権力を窺い知ることができる。


 なればこそ、僕は自信の一着を準備してきたのだ。

 この時期のランバーグは、残暑も去り実に心地よい潮風が肌を撫でる。砂漠地帯のアレスとは大違いだ。その為、少々の肌寒さを感じてしまう。となれば、生地は植物繊維と動物の毛を掛け合わせて作られた、マラッコという生地が最適だ。


 特に動物の毛は、アレスより遥か北西の極寒地帯、レーシアに生息するタラモアウサギのタラモアという、真っ白な最上級獣毛素材を選んだ。その価格は、小さな雪うさぎ一頭分で地竜を買えしまうほどである。


 触れたことにすら気づけない程の肌触りと、透き通るような初雪を彷彿させる色味は幾重もの白色を感じられる。この獣毛だけで、衣服を作るならば、それは真っ白なキャンパスの様なものだ。そこに編み込むのが、染色された植物繊維、こうする事で保温性能の高いタルモアに通気性を持たせることを可能にし、衣服にアレス模様の刺繍を入れられ一石二鳥な生地といえよう。


 この生地は、今年僕が開発したもので、紡績業界の流行とシェアを大いに獲得してくれたものだ。商人たるもの、自ら生み出した商品を宣伝し、見せつけねばならないからな。


 僕はただの、金持ちではなく、文化人であることもあの男に思い知らせることが出来るだろう。


「ご主人様、今日のお姿は一段と輝かれております」

「当たり前だ。あの憎たらしい男に見せつけてやらねばならないからな。いくら、なけなしの財を投げ打って、僕を歓待しようとも、武力と財力が衰えている今のランバーグなど、恐るるに足らんというところをな」


 シールズよ、貴様の見事な歓待天晴れであった。ここまで隙という隙を見せなかったこと、ただの背が高く顔が良いだけの男では無かったことを、ここに認めようではないか。


 さて、だが勝負はここからだ。前回会った時は、僕を見下してくれたからな。その借りは必ず返させて貰うぞ。


 復讐の黒い炎が、僕の中の心臓をチリチリと燃やすのを感じた。


「ウマイヤ、会談にあたっての献上品の準備は抜かりないな?」

「はい、ご主人様。ご主人様が、ご用意された数多くの財宝は既にスタンプ伯爵を通して納入済みであり、直接ご披露なされるお酒もすでにこちらに準備してあります」


 ウマイヤはそう言いながら、その手で装飾の凝らされた台車を指し示した。そこに置かれているのは、樽から移したアガペー製のデカンタとグラスだった。


 アガペーを通して見るものには美しさが宿ると言われているが、確かに無色透明の液体に輝きを持たせていた。


 僕はその酒を見て、あることに気づいた。


「心なしか、酒に色が着き始めていないか?」

「そうでしょうか」


 普段から、宝石の取引もしている僕は、物の色彩にも敏感だ。僅かな色味の変化で、宝石の価値は変わってしまうのだから。


「アガペーを通して見ているせいか、細かな色味がよくわかる。出来上がったときは、確かに無色透明の筈だったぞ! 一体どうなっている、味は確認したのか?!」


 僕はかなり苛立っていた。ウオッカを超える味わいのある蒸留酒を、労力と金を注ぎ込み造ったと言うのに、この長旅のせいか味が劣化していたとしたら、会談で恥をかくのは僕の方だからだ。


 それだけは、それだけは! なんとしても避けなければならない。

 僕は慌てて、酒をグラスに注いだ。こうしてアガペーを通さずに見れば、やはり無色透明だが……。味の方はと、恐る恐る飲んでみると、心なしか以前よりも飲みやすくなっている気がする。僕はひとまず、胸を撫で下ろした。


 一体、どうなっている……。

 僕が用意したこの蒸留酒は、数ヶ月前。

 このアクアリンデルで手に入れたものだった。その取引相手は、街のゴロツキではあったが、なぜかウオッカの製造方法を知っていた。しかし、資金も知識も乏しい彼らはその製作に行き詰まっていた。


 そこで僕が、彼らにとっては大金となる、端金でその技術を買い取ったのだ。そして私は、葡萄を原材料とした蒸留酒の酒造に成功した。しかも、この製法は画期的なもので、ワインを作る際に出た葡萄の搾りカスでの、再生産を可能にしたのだ。


 なんでも、ゴロツキ共の頭である、青い髪と顔に傷のある大男が言うには、蒸留酒作りに必要な原材料には、穀物の持つ甘みが必要だという。それさえあれば酒精への変換が、高確率で可能らしい。そこで、目をつけたのが事の発端だったのだが……見事に嵌ったと言えよう。


 これで葡萄は、酒造りにおけるコストパフォーマンスにおいて、二度美味しい果実へと昇華したのである!


「フハハハッ、我ながらなんという商運の強さよ。早く、この酒をあのヘラついた笑顔を浮かべる男に飲ませてやりたいわ!!」


 その時だった。部屋の外から、声がかかった。


「失礼いたします。アレス商国大使、カシーム・ボンク様。会談の準備が整いましたので、ご案内に参りました」


 この声は、シールズの右腕であるスタンプ伯爵だな。


「相分かった。案内、よろしく頼む」


 そう言うと、客室の扉は開かれ、彼の家紋を示す緑を基調とした、貴族位の正装に身を包んだ伯爵と、僕が護衛の為に雇った特級冒険者がその後ろに控え並んでいた。


「さぁ、行こうか。僕のウマイヤ」 


 僕は、秘書ということになっているウマイヤに紳士らしく手を差し伸べた。それは、エスコートを意味している。ウマイヤは、驚いていたが私の視線を察したのか、その手を取った。僕は、他所行き用の笑みを浮かべた。


 いよいよである、マリウス・シールズ貴様に吠え面かかせてやる!


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