第30話「山からの来訪者」

 今日も今日とて、俺とティナは、ユリアとカイを見送ってから、地下で酒造りをしていた。地下では、お互い汚れても良い服装で、タオルを首からかけて仕事をしていた。いくら空調が効いていても、地下で火を扱えば暑い。


「なんだ、この桶に入った泡は?」

「あぁ、それはエール酵母だよ」


 ティナが、見つけたのはブルガのエール工場から貰ってきたエール酵母だ。この世界では、ビールという単語は存在しないが、エールとラガーは存在していた。その中でも、ラガーは王家によって製造を禁じられている。理由は、諸説あるが一番の理由としては、ラガーが美味すぎるからと言う理由だろう。この理由から行くと、後々俺のウイスキーがなんて事もありうる。


「エール酵母? これをいったいどうするつもりだ?」

「もちろん、酒造りに使うんだよ。それも、ティナの持ち場の木桶でね」

「む? 前使っていた白い粉はもう使わないのか?」

「あぁ、あれは、もう無くなっちゃったんだ。これからは、とりあえずエール酵母で時間をかけて発酵させるつもりだよ。その分、ティナにはたくさん掻き回してもらう事になっちゃうかな」

「それは問題ない! むしろ、良い鍛錬になるな。最近、少々物足りなさを感じていたからな。ちょうどいい」


 あははは。ティナには、お酒の原料である麦芽の発酵を促す、木桶を担当してもらっていた。仕事内容としては大きな木ベラで、一つの木桶に入っている約千Lもの麦汁をその身で掻き回すという重労働だ。


 以前までは、神様の用意してくれたウイスキー酵母があった為に、麦汁の発酵が短時間で済んだのだが、もうそれもない。エール酵母は、アルコールの生成にかかる時間が倍近くかかってしまう。その分、ティナの負担になってしまうと思ったのだが、どうやら杞憂だったみたいだ。


 ティナは、木桶の上に登って木ベラを構えてくれた。木桶の蓋を半分だけ閉めて、その上にティナは立っている。俺は、木桶を胸前まで掲げて、ティナに声がけした。


「それじゃ、入れていくからゆっくり掻き回してくれる?」

「任された」


 俺はゆっくりと、小さな桶に入ったエール酵母達を入れていった。今ティナがかき混ぜているのは、麦芽を糖化させた麦汁が入っている木桶である。酵母は主に糖分を栄養にして、アルコールを生成してくれる。


 その為、この場には強烈な甘い匂いが立ち込めていた。


「おぉ、確かに今までのとは違うな。麦汁の精気ラナの色が変わっていくぞ」

「精気? なにそれ」

「何って、それは大麦の持つ精気の事だが……」

「え?」

「む? もしかして、ショウゴお前。魔力マナと精気の違いも知らないのか?」

「う、うん」

「はぁ……。お前と言うやつは、酒の知識には舌を巻くが、一般常識という物には殆疎いと言う、なんとも変なやつだな」

「面目ない」

「仕方ない、説明してやろう。このことは、お前の酒造りにも大きく影響してくるからな」

「はい」


 え、そうなの?


 ティナは、自信満々と言う感じで説明してくれた。


「まず魔力を持っているのは、血の通っている生き物だけであり、神々が創造したとされている。そして、血の通っていない生命又は物質は、精霊が作ったとされているんだ。つまり、植物や鉱物といった四元素、火、土、風、水にあたる物達だ。これらには、魔力の代わりに精気が宿っている。そして魔力と精気はお互いに、強く引きつけ合う性質を持っていて、相性がある。

 その為に、魔法使いは己の魔力と相性の良い、四元素のどれか一つの精霊の力を借りて、魔法を発現する。例えば、私の持つ魔力は、このように火の精霊と相性が良い火魔法、炎纏フレアー


 ティナが、そう言うと、ティナの右手は炎に包まれた。


「おぉ?! 熱くないの!? それ」

「あぁ、自分の魔力で発現させた魔法は、自分には干渉できないんだ。その為、回復魔法といった、特殊魔法使い達は他人しか治せないというジレンマを抱えるのだ」

「なるほど、それで精気と魔力が俺の酒造りにどういう、影響を与えるのでしょうか?」


 俺は、メモ帳とボールペンを片手に準備して質問した。これは、神様がくれたもので、紙は有限だが、ボールペンの方は魔力を流せば、無限にインクが出てくる優れものだ。


「つまりだ、原料の植物が持つ精気と、相性の良い魔力を持った生物を使えば、お前の酒はグッとよくなる可能性があるはずだ。その証拠に、この大麦の汁が持つ精気が、今いれたエール酵母達の魔力と反応して、一段明るい茶色に変わったからな。きっと、この麦汁はきっと良い酒になるぞ!」


 だめだ、新情報が多過ぎて、意味がわからない。そもそも、俺が木桶の中に入っている麦汁を見ても、ただの濁った麦汁なんだが、ティナには別の何かが見えているのか? これも、ダークエルフの力なのか?


「ティ、ティナ」

「ん、なんだ」

「俺には、大麦の精気とやらの色が全く見えないんだが……」

「お前、本気で言っているのか?」


 ティナは、あまりに驚いたせいか木ベラを手放してしまった。そして、木ベラは木桶の淵にぶつかり、麦汁の中に沈んでしまった。


「はい、真剣です」

「小さい頃、親に訓練してもらわなかったのか?」

「えっと、俺の両親は魔法とか使えなくて」

「嘘を言うな。お前は、すごい魔力量を保有しているのだぞ?」

「え? そうなの?」

「……あぁ。お前の体からは、常に凄まじい魔力が迸っている。にも関わらず、そのお前の両親が魔法を使えないなどと、あり得るはずがないだろう」


 え、これどうしたらいいの? なんかティナの顔がどんどん困惑していくんだけど、これもう本当のこと話しちゃいたいけど、でも異世界から来たなんて言ったら、ティナの顔がこれ以上おかしな事になってしまうような。


 いろいろ考えた結果、俺はティナにならと真実を話した。


「うーむ、信じられない」

「やっぱり、だめ?」

「いや、しかし、この家の設備を目の当たりにした時の、驚きを考えれば有り得なくもないのか。いや、だがな……」


 ま、こうなるわな。彼女は、懸命に俺の話した事を理解しようと一生懸命、目の前で悩んでくれている。やはり、話してしまった以上信じてもらうしかない。


「ティナ」

「ん?」

「前に、この家を神様に貰ったていう話覚えてる?」

「……あぁ、あのお前の冗談のことか?」

「……」


 俺の無言が、彼女にある可能性を考えさせた。ティナは、ハッとするように重い口を開けた。


「ま、まさか」

「うん。あれ冗談じゃないんだ」

「……お前は、まさか大司祭か何かなのか?」

「大司祭?」

「そうだ、大司祭は神の声を直接聞くことができる、下界における神の唯一の使徒だ。大司祭は、神々がそれぞれの時代に一人ずつ己の代弁者として、契約を結ぶのだが。その者は、直接神から加護を授かりその権能によって、課された使命を果たすと言われている」

「あぁ〜、う〜ん、えーっと、俺って、もしかしたらそうなのかも?!」

「なっ、なぜ貴様が自分で驚いているんだ!! 人をおちょくるのも大概にしないか!!」


 いや〜、俺も全部初耳だからな。俺ってそんな、大それた存在なのだろうか? 神様の声が聞こえるか……ヤベェ、供物捧げるとき聞こえてるわ。しかも、神様からの加護……ヤベェ、加護授かってるわ。それに、神様に課された使命……ヤベェ、酒造りだわ。でも、大司祭かどうかはわからん!!


「俺が大司祭かどうかはともかく、俺は時空神クロノス様の加護を授かってるんだよね。毎月、神様にお酒を捧げる代わりに、この家と加護を授かったんだよ」

「なるほど、少し信憑性が出てきたな」

「え、今ので?」

「あぁ、お前の酒は美しいからな。神が欲しがっても、不思議はない」

「ティナ……」


 ティナのこう言うところが大好きだ。俺の酒を自信を持って、俺以上に信頼してくれている。その心が、ダイレクトに俺に伝わってくる。


「私も、必ず一日に一回は、剣舞を剣神に捧げている。剣神は、私の剣舞を気に入りしてくれてるようでな、寵愛を感じるのだ」

「へぇ〜そんなことがあるんだねぇ」

「あぁ、そうだ。なら、ショウゴ、お前の権能を見せてくれないか。そうすれば、信じられる」


 なるほど、百聞は一見にしかずってやつだな。どうしたら良いかな、あ、そうだ。


「わかった。ちょっと待ってね」


 俺はそう言って、桶に水を汲んできた。


「見てて、時空魔法、時間停止アレスロック。よし、ティナこの水をこぼせるかやってみて」

「わかった、む?! 全く溢れないな、凍っているわけでもない。本当に、この水の時間が止まっているのか?これはお見それしたぞ、ショウゴ。お前がまさか、最高神の一人、クロノス様の使徒だったとわ。ふっ、ふふふっ、最高神も酒好きとはな! 存外、人間らしいではないか!! フハハハハハ!」


 ティナは、ひとしきり時間を止めた水の入った桶を、振り回してその力を確かめると、すっかり俺の話を信用してくれたようだった。


「ティナ、これでわかってくれた?」

「あぁ、目にしてしまったんだ、神の奇跡を。信じるしかないだろう。それに、なぜ私が、お前のことを好きになったのか分かった気がするよ」

「え、えぇぇ」

「お前は、最初から異質だった。だから、私はお前を気に入ったのだな。異世界の美か。ふっ、凄まじいなお前の酒は」

「う、うん。まぁ、俺が創り出したわけではないので、そんなに褒められると気がひけるんだけども」


 ティナは、そう言う猫背な俺に少し乱暴に肩を組んできて、俺の頭を小脇に抱えその手でわしゃわしゃっとしてきた。


「何を言うか! 私が惚れた酒は、紛れもなくショウゴが造ったものだ。胸を張らんか!」

「う、うん! 分かったから、もう離してってば、胸が当たってるから!」


 ティナの左乳が、俺の右頬を存分に撫でていた。すごい嬉苦しい状況だったが、褒めれている中で、このまま堪能してしまっては、罪悪感が……。


 ティナは、すごい速さで俺を手放し、自分の胸を手や腕で隠しながら、顔を赤くして、俺を睨みつけてきた。


「っ! すぐお前は、どうしてそういう……本当にすけべな奴だ……」

「あ……あはは、男なもので」


 俺たちの会話が、一区切りついた時だった。


 ティナが、少し棘のある声をあげた。


「今何か、聞こえなかったか?!」

「え?」


 俺は何も聞こえない。けど、ティナは深刻そうな顔をして、口に人差し指を置いて静かにすることを要求してきた。彼女の、長い耳がピクピクと動いた。


「ショウゴ、侵入者だ。おそらく、複数人だな。しかし……」

「えっ、侵入者!?ど、ど、どうしよう!!」


 遂に、恐れていた事態が! 一体誰だ? ブルガ、シールズ侯爵、未知の第三者。


 ティナは、更に細かく音を拾い始めた。


「様子がおかしい。まるで、気配を消す気がない。下品な笑い声まで聞こえてくる。とにかく、上に行ってみよう」


 ティナはそういうと、レイピアを手にとって秘密階段を登っていく。俺もそれにピッタリとついていった。秘密階段の出入り口付近まで登っていくと、確かに渋い男たちの笑い声が聞こえてきた。


 それに、女の声もする。


「皆さん!! 人様の家で勝手に酒宴を開こうとしないで下さい!! 叔父さんまで! 一体どこからそのハムを?!」

「ぶははは、良いではないか! リンランディアの友人の家なのだ! 友の友は、我が友である! 一体ショウゴとかいう職人は、どこにいっているのだ?」

「それは違います! この家の方は、初対面です!! もう!! 友人宅に勝手に上がって寛いで良いのは、ドワーフだけの習慣です!!」


 俺とティナは、すっかり緊張感を失いつつある中で、互いに顔を見合わせた。


「一体どうなっているのだ? ショウゴの知り合いか?」

「うーんと、知り合いの名前が出てたから、おそらく敵じゃないのかも。そうだとしても、まさか知らん奴が勝手に家に上がり込むとは、思わなかった。鍵どっか開いてたのかな?」

「とにかく、私が先に出て様子を伺う。私が良いと言うまで、出てくるなよ」

「わ、分かった。でも、出来るだけ、穏便にね!」

「……あぁ」


 ティナは、秘密階段の入り口の開閉扉スイッチを押した。そして、床下が開くと同時に、ティナはレイピアを構えて踊り出した。


「貴様らは、誰か!! 怪しい奴なら、叩っ斬るぞ!」


 俺は、上半身だけ床下から出して状況を観察した。ティナは、キッチンに立っていて、その前に二人と、ダイニングに三人がいるようだった。


 せ、背が低い!! そこには、身長がティナの腰ほどの、毛むくじゃらの革鎧を着たおっさん達が、ハムやら、パン、ジョッキを片手にキョトンとして、立っていた。


 最初に、動きがあったのは、背の小さな華奢な女の子だった。


「うぁ! も、も、もしかしてこの家の方ですか!!?」


 その子は、驚いて尻餅をつきながら、ティナに質問した。その間に、ダイニングの連中が、各々手斧やら、大きな手槌を持って、ティナに対峙した。


「その通りだ」

「嘘を抜かすでない! ここの主人は人間の男で、ショウゴという男だと聞いているぞい!」

「そうじゃ、そうじゃ、食わせもののダークエルフのいう言葉など信じられるかい!!」


 毛むくじゃらの男達は、何やらうちの事情について、詳しそうだった。


「はっ、誰かと思えば一生涯を土埃と煤に塗れて、宝石の輝きに執着する醜いドワーフどもではないか! 貴様らであれば、叩っ斬てもショウゴは文句は言うまい」


 い、言うよ!! ティナ??


「ま、待ってください! 私たちリンランディアさんの紹介で、来たんです! 本当です、お手紙も預かってきました! 勝手に家に上がって、しまった事は心から謝罪いたします! だから、どうかショウゴさんにお取り継ぎ下さい!」


 女の子は、慌てて懐から大事そうに手紙を取り出して、ティナに見せつけた。彼女は、レイピアを構えながらその手紙を奪い取って、手紙を確認した。


 しかし−−。


「手紙だと? あいにく、私はそのリンランディアとか言う、輩のことは知らぬのでな、これが本物かどうかは、貴様らの血の色を確かめてからでも遅くあるまい?」

「へっ! やれるもんならやってみろ! クソエルフ! 魔法ばかり扱って、力のない種族に目にもの見せてやるわい!」

「おうよ、ちょうど儂の斧もエルフの血を吸いたがっていた頃よ」


 はぁ、俺がティナに穏便に済ませて欲しいという、儚い希望を抱いたのが間違いだった。やっぱり、エルフとドワーフって犬猿の仲なんだなぁ。






























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