第26話「侯爵との会談 Part2」
俺は、用意された百種類のワインを試飲している。それには、時間もかかりすっかり夕陽も山に沈み始めていた。その代わりに、豪華なシャンデリアの、魔力で稼働する魔力灯が光り輝いていた。
自分で言い出しては何だが、このワイン達はこの世界で高級酒に分類される。それこそ貴族しか飲めないぐらいの値段だ。前世の現代では、瓶詰めされたワインを買って飲んでいたが、この世界ではワインが貯蔵された樽から直接汲み取るのが一般的だ。そう考えると、侯爵は樽単位で百種のワインを取り揃えさせるほどの、大富豪であり、無類の酒好きなのかも知れない。まぁ、ただの見栄かもしれないが。
俺は、粛々と試飲を進めていく。この様な形式で、酒の味を暗記し、飲み当てるために必要なことは、酒の味そのものを覚えようとしないことだ。それと、味だけに囚われずに、匂い、ワインの色味にも気を配る。
前世で、憧れのブレンダーに成れた時は、夢心地だった。ブレンダーの仕事は、酒蔵に貯蔵されてる十万樽から百万樽にも及ぶ、樽からサンプルを汲み取り、日に数百種類ものウイスキーを昼下がりぐらいから、試飲していく。そして、その中から数種類から数十種類の樽をブレンドして、新しいウイスキーを生み出したりもするのだ。
酒が飲めない俺は、サンプルを主に香りで分析し、報告書を書いていた。まぁ、それも酒の飲めない俺にとって儚い夢の時間だったわけだが……。
そして、間間に水を飲みながらも、百種全てのテイスティングを終えた。
「閣下、全てのワインのテイスティングを終えました。試験を始めましょう」
「良いだろう」
閣下は、伯爵に手で合図を送った、すると使用人たちがワインの入ったグラスを俺の前に並べて行った。
「これより貴様には、この三種のワインが、先ほど飲んだ百種のワインのどれと同じか、飲み当てて貰おう。どうする、できるか?」
できるはずが無い、そんな顔をここにいる全員が浮かべている。いつも信じてくれる、ティナですら疑心の感情を浮かべていた。
無理もないだろう、この部屋はすでに百種のワインの香りが混ざり充満していた。アルコールの揮発のせいである。一般人の感覚なら、それだけで全ての酒が同じ味に感じてもおかしくない。それほど、嗅覚と味覚は密接で、訓練をしていない人は視覚を遮られただけで、味がわからなくなるものだ。
「分かりました。始めましょう」
まぁ、これぐらいの事なら俺にとっては、障害でも何でもない。酒が飲めないのに、ブレンダーに成れた俺だ。それに、前世でも全くブレンダー室でウイスキーを、テイスティングしていなかった訳ではない。一度に数百種のテイスティングが出来なかっただけで、酔わない程度の数種類から数十種程度であれば、ウイスキーの香味分析で俺の右に出るものはいなかったのだから。
まず、一番左端に置かれたAと書かれた石板が置かれたグラスを手に取る。まずは、色味を確認するために魔力灯で明るい、シャンデリアに向けてグラスを掲げる。
「Aのグラスのワインの色は、色合いが淡く、明るい赤紫色で透明感があります。ライトボディーのワインですね。味の特徴としては、渋みは弱く、酸味が強い。」
これで、百種のうちライトボディーだけの二十種まで絞り込めた。本来なら、グラスを傾け、ワインの液面の縁の色も確かめるのだが、灯りが弱いため断念する。
次は、軽くワイングラスを揺らし、グラス壁面を濡らして、グラスのボウルに香りを充満させる。
そして、そこに鼻を深く差し込む。
「うん、この香りは、ラズベリー、イチゴ、チェリーといった赤い果実系のチャーミングな香りですね」
これで、二十種のうち三種類まで絞り込めた。省いた十七種類のライトボディーのワインには、すみれといった他の花も含めた香りがあった。
あとは、味だ。俺は、口を濡らす程度に、ワインを口に含んだ。
「うん」
本来は、ここでワインを吐き出す事が多い。香味は、鼻と舌でしか感じられないからだ。前世の俺なら、そうするだろうが、今の俺ならワイン程度の度数の酒をいくら飲んでも、少しテンションが上がるだけだ。そんなわけで、百種のワインを味見した時のように、そのまま胃に流し込む。
「絹のように滑らかな口当たり、渋みが少なく酸味も弱いライトボディー、落ち着いてはいるものの、若い葡萄をそのまま摘み取ったような新鮮さ、後味を引くのは畑の土の香りか」
これで、わかった。
「Aのグラスは、六十七番のワインと同じものです」
閣下は、俺がそう言うと、伯爵に確認をとった。すると、伯爵が俺のそばまでやって来て、Aと書かれた石板を裏返す。
「っ! 当たっています。閣下、Aのグラスはショウゴ殿の言う通り六十七番のワインと同種のものです」
どよめきが、室内を走った。ここにいる全員が、俺が最初から外すと思っていたのかな。まぁ、ティナは驚きより安心したって感じか。そして、目を輝かせないでほしい。自信はあっても、プレッシャーは感じたく無いのに。
「ふっ、大したものだな。一体どうやって、貴様は正解を手繰り寄せることができたのだ? 聞かせよ」
「そうですね。閣下は、私と同じような試験を出された時、どのようにワインの味を覚えようとなさいますか?」
閣下は、少し顎に手を当てながら考え込んだ。そして、ワイングラスを手に取り、ワインの色み、香り、味といった順に実際に確かめて、グラスをおいた。
「やはり、貴様と同じように酒の色、香り、味を記憶するだろう」
「それでは、決して合格はできないでしょう」
「何? 貴様に出来ることが、私にできないと言うのか」
少し、背筋に寒いものが走る、微妙な空気が漂った。だけど、酒に関することで俺が引くわけにはいかない。俺は堂々と答えた。
「数種類なら、覚えることはできるでしょうが。百種となれば、不可能でしょう。何故なら、人の嗅覚、味覚はそこまで優れてはおりません。似通った味を舌が感じて仕舞えば、そこで人の脳はどれがどっちか、分からなくなってしまいますから」
「だが、貴様は最も簡単に飲み当てたではないか。百種の中の一種を」
「えぇ、そうですね。では、答え合わせは全問終えてからにいたしましょう。その方が、閣下も私の言を聞き入れやすいかと」
「ふむ、貴様のいう通りだな。試験を再開せよ」
俺は、その後も今までの要領でBのグラスも言い当てた。すると、先程まで俺に向けられた疑念が、期待に変わっていくのを感じた。
しかし、そのままCのグラスを分析している時にある異変を感じた。
可笑しい……。Cのワインは、その中心部の色合いが、濃いルビー色だから、ミディアムボディのワインと断定して、香りを分析し、味も確かめた。おそらく、六番か九番のはずなんだが、このCのワインは何か引っかかる。
俺は、六番と九番を飲み直した。味に、答えがあると思ったからだ。その様子を見て、閣下が声をかけてくる。
「ショウゴ、どうかしたか? ここに来て、正解は分からぬと言うのではあるまい?」
閣下が、笑っている? 閣下の表情には、どこか獲物を見ているような感があった。俺は再度、Cのワインを飲み直す。
そうか、そういう事か。
「Cのグラスがどのワインか分かりました」
「聞かせてもらおうか、貴様の答えを」
「Cのグラスは、この百種の中にはございません」
「……」
閣下の顔から、柔らかさが消え、少しの沈黙が二人の間に流れた。そして、閣下が伯爵に眴をした。
それで伯爵が、例の如くCの石板を裏返した。そこには−−
「該当なし?! シールズ侯爵! 我が主人を謀ったのか!!」
ティナが、騒ぎ始めてしまった。俺は、彼女の手を握った。
「ティナ、落ち着いて。怒る事じゃない、これはただの試験なんだ」
「うっ、うむ」
そこに、閣下の拍手がゆっくりと鳴り響いた。
「素晴らしい! こんなことが、魔法も使わずに可能だとはな。久方ぶりに、奇蹟を目の当たりにした気分だ。どうして、気づいたんだ? Cのワインは、百種の数種類に似たものだったのに」
「それでは、先程のことと合わせて、答え合わせといきましょう」
「うむ、聞かせよ」
「酒を分類するのに必要な力は、味覚嗅覚に酒の香味をひたすら覚えさせる事ではありません。本当に必要な力とは、一つ一つの匂いや味わいを形容するための代用品を、己の香味の辞書から引き出す力なのです」
「香味の辞書だと?」
閣下を含め、その場にいた全員がいまいち俺の言葉を理解できていない様子だった。俺は言葉を続けた。
「はい、一つの香りを形容するために、自分の中にある似た匂いを引き合いに出すのです。例えば、街中を歩いていると、焼き鳥の匂いがする時があります。でも、それは初めて嗅いだ匂いなら、ただのお腹が減る良い匂いです。しかし、煙と鳥が焼ける匂いだと知っていて、己に刻まれているなら」
「それは己の香味の辞書に刻まれ、以降他の匂いを嗅いだときに区別するための基準となる」
閣下は、俺の言いたい事を見事に理解してくれた様だった。
「その通りです閣下、ワインも一緒です。ワインの香味を例える代用品が、己の辞書に多くあればあるほど、区別する際に便利な道具となるのです。あのワインには、イチゴの匂いがあったが、このワインにはそれが無かった。これをするだけで、目の前の味と匂いだけに惑わされることはなくなります」
「つまり貴様は、Cのワインにはあったが、目の前の百種のワインにはそれが無いと確信したのか」
「左様です閣下、Cのワインには、百種のワインになかった味があったのです。それは、豊かすぎる酸味です」
「酸味が豊かだと、何だというのだ?」
「はい、ミディアムボディのワインは、渋みや酸味はその分類の通り、中程度でございますし、何より閣下のご自慢のワインはどれもが、落ち着いた香りと円熟したまろやかさがございました。
それは、長期間樽の中で熟成されていたからでしょう。しかし、Cのワインは、フルーティーな香りが新鮮で、酸味が豊か、口の中で存在感をアピールする少年のよう。私の予想ですが、このワインはアクアリンデル、もしくはその近郊で造った、出来立てのワインだったのでは無いでしょうか」
俺が言いたいことを全て言い終えると、閣下をはじめとした貴族の三名が盛大な拍手を送ってくれた。俺は調子に乗って、胸に手を当て腰を曲げお辞儀した。テレビで見たことのある、なんちゃって貴公子である。
ティナの目は、まんまるで金色の瞳がシャンデリアの光を取り込み、すごくキラキラしていた。彼女に尻尾がついていたら、すごい勢いで振っていそうな様子だった。
「恐れ入ったぞ、ショウゴ。貴様の要望通り、酒に関することであれば、何よりもお前を第一に信用しよう」
「大変光栄であります、閣下」
よしっ! これで、街最大の権力者のスポンサーが出来た! これで俺は、家に引きこもって、酒を造り放題な生活が実現する!!
俺は、喜びで満ちた気持ちだった。そこへ、シールズ侯爵が静かな雰囲気で俺に話しかけてきた。
「そこで早速だが、ショウゴ。貴様に、頼みたいことがあるのだ」
「はい、私にできることであれば」
「この事は、他言無用だ」
俺は、何事なんだと思った。せっかく、手に入れた侯爵の信頼を手放すわけにはいかない。話を聞くだけ聞いて、無理だったら断ろう。
「貴様の酒で、人を一人殺して欲しい」
「……へっ?」
我ながら、まの抜けた声だった。
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