第15話「それぞれの思惑」

 私が件の酒屋を後にして、馬車の中に戻ると、むさ苦しいゴミ虫が声には出さずとも、その濁った目で私を睨みつけてきた。全く、不愉快この上ない。いっその事、私の胸ぐらでも掴んでくれれば、不敬罪でその首晒せるものを・・。


「そう睨むな。何が不満だと言うのだ。」

「・・分かってるでしょう。うちの組織は、こんなちっぽけな酒屋にシノギを大きく削られているんだ。その上、あの狂姫が奴を護衛している。それも昼夜を問わずだ!!何回も、襲撃を防がれ、もうあんたに頼むしかないんだよ!」


 何と無能なんだ。このゴミがそれなりの金貨を上納すればこそ、それなりの便宜を計ってやったと言うのに。たった一人の、商売敵も潰せないとは。まぁ、あの狂姫がどう言うわけか、あの男に尻尾を振っている、無理もない。


 あの女は、本来であれば王太子殿下の妾であり、その剣になるはずだった。まさに、垂涎ものの上玉だからな。


「あれを私にどうしろと言うのだ。お前も見ただろう。奴の商売は全て合法だ。私でさえ、正義の名の下くだせる鉄槌はない。」

「ふざけたこと言ってんじゃねぇ!!」


 ブルガは、我慢の限界を迎えたのか。子爵の馬車のガラスを叩き割った。その騒音に乗じて、馬車の中の騎士は柄に手を掛け、周りの騎乗騎士は剣を抜いた。その様子に、ブルガも頭を冷やし、傷だらけの拳をゆっくり下げた。


 それを見て、子爵も騎士達を手で制す。馬車はまたゆっくりと動き出した。


「あんたにならどうとでも出来るはずだ。何かしら理由をつけて奴の酒を法律の名の下、違法にしてくれりゃぁいんだよ。」


 短絡的な単細胞は、扱いやすくて助かる。少し可愛げを感じるほどだよ。馬鹿な蒼猪め。禁止令一つ元老院を通すのにどれだけの金と労力がかかると思っているんだ?貴様のような薄汚い奴のために私が動くと本当に思っているのか?


 ふん、そんなことまで頭が回る筈もないか……やはり用済みだな。


「あぁ、その手があったか。私としたことが、そんなことにも気がつかないとはな。ただ、法律を立案すると言うことは、簡単じゃない。」

「・・・分かってる。いくらだ。」

「そうだな、禁止令ともなると、国王陛下にも承諾が必要になってしまう。・・となれば、大金貨500枚は必要だな。」

「なっ?!そんな馬鹿げた話があるか!!? どこにそんな大金があるって言うんだ!!」


 私は、手を顎に当てて少しの間を置き確信を持って言い放った。奴の財政状況など把握済みだ。


「あるだろう。貴様らの財源であれば、用意できない事は無いはずだ。」

「用意できはするが・・それじゃもう、活動資金がそこをついちまう。」

「この後に及んで、何を言っている。どちらにせよ、貴様は死の淵に立っている。武力で奴を殺し、狂姫と共倒れか、金を払いこれまで通りこの街で王者として君臨するか。二つに一つではないか。」


 ふっ、どちらにせよ貴様は用済みだ。ウイスキーを飲んで、私は人生で初めてこの身に雷が落ちた気がした。あれは、社交界で比類無い武器になる。貴族の戦場は、食卓の上にある。誰もが、求める酒を私だけが侯爵を通して卸すことが出来れば、侯爵様は政治的有利を得るだろう。

 そうなれば、必然と私の地位は上がっていく。くっくっくっくっ、思わぬ拾い物よ。酒は合法であり、大手を振って金を稼げるのだからな。


 となれば、こいつを切る前に絞れるだけ絞ってから捨てる必要がある。余計な力を残して、暴れられば私が責任を取る羽目になってしまうからな。


 馬車が止まった。ここから先は、貴族街。貴族と上流階級しか住むことを許されない区画。ブルガはこの先には行けない。馬車の扉が、騎士によって開けられる。


「10日やろう。それまでに、答えを出せ。ここをうまく乗り切れたら、約束通り貴族街で暮らせるようにしてやる。」

「・・・。分かった。」


 ブルガは、居なくなり。子爵は、新たな馬車に乗り移った。そして、馬車の中には、子爵と壮年の騎士だけとなった。


「閣下、よろしかったのですか。」

「何がだ。」

「ブルガは、頭は足りませんが、アクアリンデルの裏の住人を、見事にまとめ上げていましたのに。奴がいなくなれば、アクアリンデルはまた無法地帯になるやもしれません。」


 卿の言う事はもっともだ、ブルガが現れるまで平民街は無法地帯だった。この港は国の要所の一つ、いくら貴族が取り締まっても縄張り争いばかりだった。それを力でねじ伏せたのが、ブルガ。奴のおかげで、随分と商売がしやすくなった。しかし・・


「もう、うんざりなんだ。」

「・・・閣下。」

「平民がどうなろうと知ったことでは無い。が、薬物が蔓延するのは我慢ならない。あれは、国をダメにする。だが、あれに変わる娯楽がなかったことも事実だ。そこに、あの男が現れた。」


「先程の・・酒職人のことでしょうか。」

「そうだ。あやつは、ブルガの数段頭が良い。」

「そうでしょうか。」

「そうだとも、あの男が売っている酒は私も飲んだことがある。何と、酒精が強いだけの酒だと思った。これだから平民は・・。とも思ったものだ。それだけ強い酒精までに高めた技術には、興味を持ったがな。貴様は飲んだことがあるか?」


「私もウオッカと呼ばれている酒は、部下に勧められ一度飲んだことがあります。その時は、安い上に少量であっという間に酔える、便利な酒だと思いました。」

「そう、そこだよ。」

「そことは・・。」

「安くて、簡単に酔える。これは、平民にとって最大の救いだといえよう。わざわざ、身を滅ぼす高い薬に手を出さずとも、現実から逃げることができるからな。エールはいくら飲んでも、酔えない上に、酔おうと思えば金が足りない。」


「なるほど、ではあの男がそれを意図して売っていたと?」

「それは、考えにくいが無いとも言い切れぬな。奴は、待っていたのだろう。」

「待っていた?」

「自分の身を庇護する者を。その証拠に、今まで街では出回っていなかった酒を私に出してきた。奴の酒は全て把握していたつもりだったが、隠し玉を用意していたとはな、それも最高傑作と呼べるものだ。すっかり、してやられたよ。」


「それほど、閣下が飲まれた酒は美味しゅうございましたか?」

 そう言って、騎士が子爵のそばに置いてある酒瓶に目をやった。

「何だ、飲みたいのか。」

「いえ、滅相もございません。小官は、ただ気になっただけでございます。」

「少なくとも、これより先の未来で国王陛下の寝室に、常備される事は間違いない代物だ。」


「っ!!何と?!それほどの・・。」

「ふっ、ふふふ。それほどの酒を、奴は一人で月に10樽用意してみせると抜かしたのだ。本当にこれだけの酒をそれだけ用意できれば、簡単に貴族階級へ新たな嗜好品を流行させることができると言うものだ。どちらを支援すべきかは、明白であろう?」

「・・閣下の仰せの通りかと。」


 あとは、あの男にブルガを超える力があるのか。どんなに商売上手であろうと、出る杭は打たれるもの。最後にものを言うのは力だ。それがなければ、大切なものを守れない。


「力ないものに、新世界は任せられない。」


 お手並み拝見させて貰おう。平民街の新たな王となるか、はたまた海の底へ沈むか。


 強烈な西日が、馬車の中に差し込むのであった。


 場所は、歓楽街の側にある娼館街に移る。


 アクアリンデルは、海の男どもの巣窟でもある。娼館の需要は王国随一といっても良い。海に一度出れば、一月二月は海の上にいる男たち。彼らの女旱は深刻な欲求不満だ。そのため、娼婦がこの街で明日の飯に困る事はない。この街で最もハイグレードな、娼館<赤い唇>は娼婦の年齢層平均が、16歳(15歳で成人)と最高の水準を保っていた。


 貿易の街アクアリンデルに、娼婦として各地、いや各国から売り飛ばされてきた上玉が、軒並み在籍する超高級娼館。顧客の、満足度は大変高い、何故なら自分好みの女性が必ず見つけられる、世界の美女見本市なのだから。


 そこを利用できるのは、この街で何かしらの頂点に上り詰めた成功者、もしくは性欲のために、全財産を叩く大馬鹿者である。その娼館で最も人気で、太客を引くことのできる娼婦は、娼館の最上階に個室を与えられ、そこで客に一夜の夢を見させるのだ。


 そして今日も、その甘い香りに誘われた蛾が、ショウゴも見覚えのある娼婦の元へ訪れていた。


「また来てくれたんだね。ブルガの親分♪」


 今日は随分と、機嫌が悪そうじゃないか。やだねぇ、機嫌悪いとこいつ乱暴してくるから。


「酒だ。酒をくれ。」


 はぁ、イライラしちゃって、よっぽど仕事がうまくいってないんだねぇ。酒の旦那も大したもんだよ。あの、青牙と呼ばれたブルガの親分をここまで苦しめるなんて。


「あいよ。・・はい、お酒。」

「お、おう。・・くっそ!!何だこの酒は!!!」


 あんたみたいな客のために、グラスは金属製なのよ。そうぽんぽん壁に投げられちゃ、困るのに。


「どうしたんだい、私何か親分の気に触る事しちゃった?」


 こう言う時は、背中から胸を押し付けて、鬱陶しく無い程度に首から腕を回して、顎をやさしく撫でてあげる。これが同情を引き出すのに、一番効くのよねぇ。


「ちっ!!いや、お前は悪くねぇよ。ただな、この酒だけは飲みたく無いんだ。」


 知ってるわよ。いつも私を乱暴に扱う、お返し。酒の旦那の酒は、この街の流行だからね。うちの店も手に入れてんのよ。


「あぁ、御免なさい。私ったら、親分にやな思いさせたね。今、葡萄酒持ってこさせるから。」


 部屋の外で待ってるぼったちに、酒を持ってこさせた。


「はい、お酒。」

「あぁ、ありがとう。グビッ、グビッ、グビッ、アァー!!アーネットの野郎、人の足元ばかり見やがって。」


 子爵と何かあったのね、これは聞いておいた方が良さそうじゃない。


「親分、お上と何かあったのかい?」

「あぁ、実はな・・」


 本当に私に惚れてんのね。ベラベラとまぁ、全部喋ってくれちゃってもう。


「まぁ、それは大変だったのね。この娼館街がこうやって無事に、店開けられるのも全部親分のおかげだって言うのに。」

「そうだろ。俺は、あいつの犬じゃねぇんだぞ!!くそ!いつも偉ぶってるくせしやがって、あの酒は合法だから手出しできないなどと抜かしやがって!!誰のおかげで、この街が成り立ってると思ってるんだ?!」


 ふぅ、抱かれるまでのお膳立ても一苦労よ。こうでもして機嫌なおさないと、何されるか分かったもんじゃないわ。あらら、もう突っ込む気?もっと優しく押し倒せないものかな、そんな強く胸を押されたら苦しくて仕方ないじゃない。


「やっぱり、お前だけが俺の事を分かってくれるんだな。」

「だって、私は親分の女だもの。」


 か弱くて、あんたが居なきゃ何もできない女の顔。これを身につけるまでよく、姐さんに飯抜きにされたっけ。男を懇願する女の顔は、飯を欲しがる野良犬と一緒だとか言われてね。


 そのおかげで、ほらこの通り。男は、私を征服したくなる。


「あぁ、そうだお前は俺の女だ。俺にしか、お前を喜ばせることができないことを教えてやる。」

「あぁ!親分、手加減して!」


 あぁ、馬鹿みたい。そんなガシガシされたって何にも感じないっての。あぁー我慢我慢、これも酒の旦那の為だもの。そう、旦那のためと思えば、辛く無いねぇ。ほんと、どうしちまったのかなぁ。名前も知らない、一人の男のことばかり考えてるよ。


 終わったあとは、演技で息も絶え絶えになりながら、しばらく寝ている。男は抱いたあと、素っ気なくなっちまうから、休める時に休んでまたあっちがそばに来るのを待つ。・・そういえば、旦那は終わった後も本気で優しく抱きしめてくれたね。ふふふ。


「お前、酒屋の男の事知ってるか?」


 ドキッ。


「さ、さぁねぇ。ウチの娼館に来たことがあっても、うちを買うとは限らないからね。顔も知らないから・・・。」


 不意をつかれて、余計なことをベラベラと喋っちまったよ。


「そうか、もし見かけたらお前の客にして、俺に情報を流せ。分かったな。」

「あぁ、もちろんだよ。私には親分しか頼る人いないんだから。」


 どこまでも、おめでたい男だよ。むしろあんたの情報を、旦那に流してるって言うのに。


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