迷探偵カイバと忘却されし疑団

双六トウジ

chapter1 

「次のニュースです。テロリスト集団『忘却されし疑団』の所有するビルとみられる場所から、火の手が上がりました」

 そんなニュースが流れて、それからしばらく経って。

 誰も彼もが、そんなものを忘却したころ。



「患者が記憶喪失ぅ?」

「そう。過去の記憶、いわゆるエピソード記憶ね。全部無くしてる」

 都内でも名高いカナモリ病院から、少し離れた喫茶店。そこで二人の男が不思議な患者について話をしていた。

 一人はカナモリ病院創立者、カナモリ院長。メガネと白衣を常に着用している(医者だとわかりやすいと評判)先日七十歳になったばかりのナイスガイ。

 もう一人はくたびれたグレーのスーツをまとった胡散臭そうな顔つきの探偵、カイバ。人の奢りだからといってココアを三杯も頼んだ甘党の三十三歳。自堕落な性格で、金をすぐに使っては昔馴染みの院長に泣きつく情けない男。


「カイバちゃん、魔苦羅まくら駅って知ってる?」

「ああ、若者の間で流行ってる奴でしょ? 確か、まくら駅に着くと自分の願いが叶うとかなんとか。都市伝説って数十年前のものかと思ったけど、今でも流行るんですねそういうの」

流行りゅうこうってのはさ、ぐるぐる回ってるんだって。昔使い古して忘れ去られたものが、今の若者が新鮮だとかレトロだとかの文句でもてはやしてさ。遠くの国で流行ってたもんが数年経ってこっちでも流行ることもあるし。

 んで本題だけど、その記憶無くした患者さんがまくら駅に行ったらしいのよ。半年前にウチに来たんだけどね、入院してからずっとそう主張すんの」

「えぇ、うっそだぁ~。院長化かされてますよ」

 カイバはおどけてそう言うと、院長はその反応を想定していたようで白衣の胸ポケットから一枚の紙を出した。

 切手を少し伸ばしたようなサイズ、黒い裏面、半年前の日付に「まくら駅」と記載された表面。

 すなわち、まくら駅のきっぷだ。

「これ、患者さんの鞄から見つけたの」

 カイバはきっぷを受け取って観察した。裏返したり日に当ててみたり、はたまた噛んでみたり。

「こーら、噛まないの」怒られた。

 とりあえず色々やってみたが、しかし何も分からない。お手上げだ。

 だが負けず嫌いのカイバはくやしそうな顔をしてはこう言う。

「……手の込んだイタズラでは? 素人じゃ見分けはつけられない」

「でもねぇ、その人財布とかスマホとか持ってなくて、唯一そのきっぷと黒い箱だけが鞄にあったの」

「……個人情報に繋がるものがなくて、きっぷと黒い箱だけがある、ねぇ。記憶喪失というより当人のをなくしたいっていう感じだ」

「ほほう。その発想はなかったね。他に思い付いたことは?」

「ん~、他はないですかね。なにせ情報が少なすぎる」

「ま、そりゃそうか」

 院長はコーヒーを飲み干した。

 カイバもココアを飲む。この店のは美味い。

「けど、院長も優しいですね。病院の前に倒れてた怪しい記憶喪失の人間を、探偵使って家に帰してあげようなんて。警察もろくに情報が出ないんで諦めたんしょ?」

「昔からそういうたちなんだよ、君のこともそうだし。それに彼女、体のあちこちが折れてた。なんか可哀想じゃない? 世話してやらなきゃ」

 ……体のあちこちが折れていた? 

 カイバはその言葉に怪しさを感じ、顔をしかめる。

「……院長、なーんかその子、訳アリじゃないですか? 今回のはマジでやめたほうがいいです。なんかヤバい匂いがします、裏社会の匂いみたいなのが」

 しかし院長は顔を変えない。

「そういやカイバちゃんの事務所、家賃滞納してるんだって?」

「え、なぜそのことを」

「僕に隠し事はできないよ。可愛い密偵がいるからね」

「……うっす」

 汗を垂らすカイバを前に、院長は懐から札束を取り出しテーブルにぽんと置く。ざっと50万はあるだろう。

「今回の依頼受けてくれたら、お金出すよ」

「マジすか!! やったー!!!!」

 カナモリ院長は、スパダリである。


***


 そして翌日。

 カイバは埃臭い事務所の窓を久々に全開にした。なにせ久々のお客だ、丁重に扱わなくては。

 外は曇り一つない良い天気で、いい風が吹いている。メチャクチャ気分が清々しいぜ。

 それから、院長からもらった報酬のこともある。家賃の分はもう出て行ってしまったが、まだまだ残りがある。他に何に使おうか考えると、喜びが沸き上がってきた。

 カイバはスキップしそうな足とニヤニヤしてしまう顔をどうにか抑え、彼女が座っているソファのほうに振り返った。


「コーヒーと紅茶、どっち好き?」

「じゃあ、コーヒーで」

「ミルクと砂糖はいる?」

「いいえ、大丈夫です」


 探偵は小さなキッチンに向かう。しばらくして、コーヒーとココアを持ってきた。もちろんココアは自分の。

 カイバはコーヒーを彼女に渡してから、机を挟んで反対のソファに座る。そしてココアを飲みつつ目の前の女性を観察した。

 すなわち、謎多き記憶喪失の女。

 真っ黒なリクルートスーツが一番に目に入る。彼女の顔は若く見えるから、学生か卒業したてか。

 いや、それよりも気になるのが黒いネクタイ。葬式用じゃねーか。普通のを買ってこいや。

「えっと、あの……何か可笑しいですか、あたしの格好」

 いけないいけない、観察が過ぎたな。

「いやそんなことない。ああと、そんで、お嬢ちゃんのお名前は?」

「あ、分かんない、です。駅からふらふら歩いていた記憶しか、それしかなくて」

「ああそうか、記憶喪失だったな。困ったな、なんて呼ぼうか」

 初っぱなからバッドコミュニケーション。本当に困った。

 とりあえず事務所中に目を動かす。何か良い呼び名が思い付かないだろうか……。あ、本棚。

 探偵は目に付いた本棚に向かって歩き出すと、そこに仕舞われた本達を見回した。

『鈴木一郎の反射神経を検証!』

『花崎霧子の夢日記』

 その二つの本がピンとくる。どちらも親の形見だ。

 一郎……霧子……。よし!

「お嬢さん! 今から君は一子だ!」

 カイバは客に人差し指を向けながら叫んだ。

 要は、アホの探偵はどこぞの少年探偵よろしく本に書かれた文字で名付けをしたのだ。

 しかし彼女は嫌がるそぶりを見せず、むしろ感心した顔でうなづく。

「なるほど、一子。いいですね」

「だろ?」

 斯くして記憶がない女性は、一子という名前になった。


「さぁて仕切り直しだ一子さん!」

 カイバはソファから立ち上がった。ついでにかっこいいポーズとして腕組みをする。

「あ、はい」

「ここは探偵事務所シーホース、俺は世紀の名探偵カイバ・ホームズ(嘘)! あんたは記憶喪失の乙女一子(仮)、そして手かがりはまくら駅のきっぷと黒い箱!」

 カイバはココアで糖分補給された天才的頭脳で次々と啖呵を切りまくる。

「は、はぁ」

 一子はそれに圧倒されるしかない。

「そして、次俺たちがすることといったら……」

「することといったら?」

「………」

 カイバは溜める。溜めに溜めまくる。

 長い沈黙が続く。実際15秒ほどだが、しかし体感時間は一分。そろそろ飽きがくるだろう頃。

 ――そして彼はとうとう口を開ける……!


「思い付かないね」




 とりあえず、彼女にマトモな服でも買ってあげよう。

 カイバはココアで回転する脳みそで、そんなことをビビッとひらめいた。

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