だからヴィトライユ

文丸くじら

メモリーダッシュ

奪取ダッシュ――

01#だから記憶喪失

 それは小さなフラスコから始まった話。

 温かい丸がらの中で、今にも消えそうな小人のささやき。

 

「世界を変えようか」

 

 永遠を夢想したれんきんじゅつは、かれに名前をあたえました。

 いとしい友人、世界の敵、歴史のまっしょう者、文明をもどあくじき

 ――ピコ。硝子の中で生まれた創造主。全てをこわした大おう

 

 錬金術師が夢見た理想はかなわなかったけれど、かのじょは神様を造ったのです。

 最後の人間となった彼女は、彼にられました。

 そして古い人間は消えたのです。

 

 星は小人のひとめになるはずでした。

 しかし星が許しませんでした。

 小人も錬金術師がいない世界にえられません。

 

 だから小人は最後に神様として、丸い硝子に多くの命を残していきました。

 神話と呼ぶには、あまりにも小さい物語。だからもうだれも本気にしません。

 けれど不思議なことにこよみができると、自然とこう呼ばれるようになりました。

 

 硝子れき

 

 これで昔話は終わり。

 残念だけれど、小人の話はもう続かない。

 それが彼の望みで、ばつだから。

 

 ここからは硝子暦二千二十年の話を始めようか。

 

 

 

 まあ、そんなそうだいにしておいて悪いが、留年の危機である。

 桜も散って、新入生あいさつも終わってそこそこの四月半ば。

 高いビルに囲まれて細くなってしまったうすぐらい路地で、けんが派手にぼっぱつ

 

 真っ赤なとうも見下ろしていて、かんカメラやけいたい電話にもばっちりしょうが残っている。

 ちをかけるように、赤い塔から望遠鏡で喧嘩を見てしまった女子中学生が興奮して警察に電話。

 現行犯たいあざやかに行われ、塔都の警察も捨てたものではないとかなんとか。

 

 けれど逮捕された少年は無罪を主張。

 その言動のあやしさから、余罪も追求される羽目に。

 

「だから! おくがないんだって!」

 

 始終この一点張りで、取り調べの警官も「やりすぎちゃった子かな」とあわれんでいた。

 しかし所持品の学生証から、警察のデータベースで個人情報のけんさくが可能となった。

 デジタルと紙の調書には次のこうもくが並べられていく。

 

 氏名:シドウ・イノリ

 ヒューマンタイプ:スタンダード

 ねんれい:十五さい

 身長:百七十センチ

 学歴・能力:高校一年生・開発記録なし

 家族構成:両親なし。五年前に塔都に都民登録

 犯罪歴:特になし

 

 他にも多くの項目が並んだが、これといったとくちょうはなし。

 取り調べの警官は少し怪しんだが、上司がひょっこりやってきた。

 

「まあ今日は帰してやりなよ」

もんと採血は?」

「もちろん忘れずに。初犯だし、写真も必要だな」

 

 やる気のない上司の警部は、身長線がえがかれた白いかべに少年を連れていく。

 手作りの名前プレートを持たされて、少年は不思議そうな様子でくしていた。

 フラッシュが数回、目をげきする。少年も一回だけ強くまぶたを閉じて、黒い目をかくしてしまった。

 

「そんじゃあ後よろしくー」

 

 カメラのフィルム現像へと向かう上司は、適当な言葉を置いて部屋を去っていく。

 残された警官は机下から機材を取り出し、少年の指に粉をつけてからとうめいプレートにくっつけるように指示する。

 

「指紋を採りながら、血をくから暴れるなよ」

「いや、だから……」

「言い訳は専門部署に」

 

 なにかを言いかけている少年を制し、学生服のそでをめくるように告げる。

 黒い学ランは新品同様だが、喧嘩した後のせいで少しだけほこりがついていた。

 注射針を慣れたように受け入れ、少年は口の中で文句を言い続けている。

 

「はい、しゅうりょう。帰りは家に直行するように」

「だから……」

「ほら、早く。警官もいそがしいんだから」

 

 なおもつのろうとする少年の背中をし、取調室から出してしまう。

 学生かばんかかえた少年は心細そうにろうを歩いていき、そのまま警察署のロビーへと辿たどく。

 それを見届けた警官は、採血サンプルと指紋プレートを机のたなへとしまう。

 

「それにしても記憶そうしつなんてちんな言い訳をする子だったな」

 

 記憶がないの一点張りだった少年の言動につかれ、こったかたをほぐすように動かす。

 現場写真を広げれば、へこんだゴミ箱やひび割れたビルのへきめんが写っていた。

 がいしゃじょうきょうは一時間前の情報が最新だ。十人弱が骨折から顔面かんぼつなど、ひどい有様とおよんでいる。

 

「よぉ」

「あ、警部……少しかくにんしたいことが」

 

 写真の現像を終えたであろう上司にかえり、言葉が止まる。

 ひげづらのいかつい顔だが、人付き合いのいい男だ。けれどこんで、しんせきの子を預かっていると聞いたこともない。

 だから彼の体にきついている幼女は、事件の参考人かと考えた矢先。

 

 がよく見えるみをかべて、幼女がけんじゅうを構えていた。

 にたり、とねばつく笑い方は外見年齢と外れていた。視線は頭の角へと向かう。

 山羊やぎの角のようにうずいたものが二つ。それをかざりとするように、きんぱつのツインテールがれていた。

 

 はっぽうおんは消されていた。ぐらり、と警官の体がかたむく。

 背中からたおれた部下を見下ろしながら、警部は両手を合わせる。

 

「すまねぇな。オメェをむわけにはいかないからな」

「あははっ、こんな雑魚ざこいのるだけでしょ?」

 

 笑いすぎて目元がゆがむ少女は、ももいろひとみを悪意で染めていく。

 

「ざぁこ、ざぁこ」

 

 歌うようにとうし、幼女が警官の体をろうとした矢先。

 警部が倒れた体を壁まで引きずっていく。かすれた血のあとよごれたゆかいろどる。

 

「これに構ってるひまはないでしょう?」

「まあ、ね。これからお楽しみは増えるわけだし」

 

 八重歯が見える笑みのまま、幼女はほおを染めていく。

 

「なにせ魔王コレクションだもん。百年のこいよりもげきてきじゃん」

 

 

 

 警察署から出て、十歩の位置。

 白いタイルで道路と区切られた歩道の上。

 シドウ・イノリは困っていた。鞄を抱えた姿勢のまま、左右を見回す。

 

 塔都警察署前、という青い看板が信号機の横に設置されている。

 それを見上げながら、ほうに暮れる。先ほどの反応からして、誰にも信じてもらえないという絶望感。

 

 彼はしょうしんしょうめいの記憶喪失だった。

 

 気づけば十数名が路地裏で倒れていて、その中心に自分が立っていたことだけ。

 まず街の名前を見ても思い当たるものがないどころが、常識すらもけつじょしている状態だ。

 耳がうさぎのようにとがった美形も、頭に角が生えた女の子も、全く特徴のないサラリーマンも――ちがいがわからないのだ。

 

 警察署の近くに建っているビル、その一階にてんを構えているレストランの前に立つ。

 食品サンプルが並んでいるが、彼の視線は大きな窓硝子に注がれる。

 

 適度に短いくろかみに、少しけそうな印象の黒い瞳。

 はだは健康的な黄色で、横を通り過ぎた青い肌の青年とは印象が違う。

 耳は尖っていない。角やしっが生えていることもなく、頭の中に浮かんだのは標準的という単語だ。

 

 着ている服はえりの黒い学ラン。ズボンも同色で、シューズは黒に赤のラインが入っている。

 抱えている鞄は茶色で四角い。ためしに開けてみるが、中身は空だった。

 

 返された学生証には写真がってあり、窓硝子に映っている姿と同じ少年。

 塔都学園の高校一年生、シドウ・イノリという情報は得られた。

 しかし帰る家の場所がわからない。住所が書かれていても、今の彼には読み解ける自信がなかった。

 

「どうしよう」

 

 思わず声に出すが、背後で通り過ぎていく人々はいっさい反応しない。

 どうして人をなぐったのかすら、思い出せない状態だ。家族さえ、わからない。

 知識すらもかたよっていて、なにが正しいのかの自問自答へと思考がめいそうしかけた。

 

「イノリ、ここにいたのかい」

 

 声をかけられて、わらにもすがる気持ちでく。

 くすんだ赤色のじょぼうをかぶった子供。背中で揺れる長い三つ編みは金髪だった。

 帽子のつば下からのぞえる瞳ははくいろどうこうの形がちゅうるいに似ている。

 

 身長は百五十センチくらいのため、見下ろす形となっていた。

 服装も魔女帽子と合わせているらしく、旅慣れたほう使つかいのような姿だ。

 口元を隠す古ぼけたマフラーの位置を直しながら、子供は肩をすくめる。

 

「学校に通い始めたからって、買い物当番をサボるのは……」

「ちょ、ちょっと待って」

「まさか学力テストでれいてんでも取ったのかい?」

おれってそんなに!? じゃなくて……」

「君は昔から物覚えが悪かったからね」

 

 どこかあきらめたように息をく子供を、イノリはまっすぐ見つめる。

 

「俺のこと知っているの?」

 

 その言葉に子供ははじかれたように顔を上げ、不安そうな表情を浮かべた。

 

「お、思い出したの?」

 

 子供の声はふるえていた。顔も青ざめている。

 しかしイノリは気まずそうにつぶやく。

 

「その逆」

「……は?」

「忘れたんだよ」

 

 心底あんしたが、あきれて声が出せない子供はたましいが抜けそうなほどの息を吐いた。

 

 

 

 自然公園のベンチに並んですわる。おたがいの手に炭酸飲料のかん

 炭酸飲料を一気飲みする子供をながめ、イノリはごこの悪さを感じていた。

 

「っぷはぁ! あー、もう……」

「あ、俺はシドウ・イノリらしいんだけど」

「知ってるよ! ぼくが名付けたんだからね!」

 

 ベンチの背もたれに、缶の底をぶつける音がひびいた。

 そのひょうで子供が持っていた缶が、べきょっとへこんだ。

 

「そんなにおこるなよ。一番不安なのは俺なんだぞ?」

「五年前に聞きたかったよ……はぁ」

 

 はんの横に置かれたゴミ箱に向けて、缶が放り投げられた。

 それはふよふよとゆうし、二十メートルのきょをものともせずにきっちり捨てられた。

 

「僕はクロート・ジェコ。クロートでいいよ、今はね」

「わかった。で、俺との関係は?」

「保護者」

 

 げんそうに答えるクロートは、いつまでも缶のプルタブに手こずっているイノリを見つめる。

 つまさきでかりかりと缶をく少年は、会話の続きを待っていた。

 

「君は昔から不器用で、物覚えが悪くて……大変だったよ」

 

 そう言ってほほんだクロートの表情はやわらかく、ようやく肩から力を抜いた。

 視線が自然公園の時計へと移動する。琥珀色の瞳に、長針が三を指しているのが映った。

 

「まずは君の記憶をもどすのが先かな」

「そういえば」

「なにか思い出したのかい?」

 

 期待を宿したクロートに、中身が空の鞄が差し出された。

 逆さまにしても、落ちてきたのプリントのはしかみくずになったものだけ。

 

「学生鞄って空なのがつうだっけ?」

「そんなわけないだろう! さいは!? 今日の食費が入ってたはずだけど!?」

「記憶喪失といっしょに消えた!」

「その頭を壊れたラジオみたいに治せたらよかったのに!」

 

 つまさきちで必死に背をばしたクロートは、イノリのえりつかもうとした。

 しかし帽子の位置がずれたしゅんかん、動きを止めてしまった。

 シワができるほど強く帽子のつばを掴み、深くかぶり直す。

 

「とにかく、君が記憶喪失した場所はどこだい?」

「どっかの路地裏」

「他は?」

「あの赤い塔が見えた」

 

 イノリが指さした先に、まっすぐ伸びる塔が建っている。

 それは街の中心部であり、三百メートル以上の高さは圧巻の一言だ。

 

「トートタワーは街のどこからでも見えるよ」

「そうなのか?」

「この都のしょうちょうだからね。塔が最初、街は後付けなのさ」

「……へー」

 

 全くわからないことだけ、理解してしまう。

 プルタブをかりかりと引っ掻きながら、真っ赤な塔を見上げる。

 あの高い場所から街を一望できたら、なにかを思い出すだろうか。

 

 けれど記憶をもどしたところで、変わることなどあるのだろうか。

 かりかり――いつまでも開かないプルタブを見つめる。もしもこの中身が記憶だとしたら、あまりにももどかしい。

 もっとたんらくてきで、簡潔に、楽な方法を選んでしまえば……。

 

 めぎょり。

 

 へこんでねじれた。すきからあわが流れ落ち、中身が地面へとこぼれていく。

 小さなばくはつが起きたかのように、全身が炭酸飲料まみれになってしまった。

 あっに取られた少年が横へと視線を移動させれば、クロートが飛沫しぶきのかからない場所まで遠ざかっている。

 

「なにやっているのさ?」

「ご、ごめん! この缶が柔らかくて……」

鹿ぢから基準で言われてもなぁ。仕方ないね」

 

 クロートが指を鳴らすと、硝子玉が四つ現れた。

 それは指でつまめるくらい小さく、にじいろかがやきを宿している。

 彼の指が空中に円を描くと、それに従うようにくるくる回りながら、イノリの周囲を浮遊する。

 

「これは?」

じゅつだよ。そんなことまで忘れたなんて、これから大変だなぁ」

 

 一つの硝子玉に青い波線が浮かぶ。服や肌に付着した炭酸飲料が、シャボン玉になってはなれていく。

 次は赤い三角形が散らばった硝子玉が、春の陽気に負けない熱波を発した。

 緑色の曲線でふちられたものは、熱波を全身に広げるように風をかす。

 最後に黄色の四角形が規則的に並んだ硝子玉が、地面にあしあとの模様を表示させた。

 

 足跡はイノリのシューズのくつ跡と同じで、半径三メートルほどの行動経路をなぞっている。

 

「君の発言がたよりにならないことはわかったし、地道に探すしかないかな」

 

 三つの硝子玉を手のひらに集め、にぎこぶしを作る。

 指が開いた時には、硝子のかけすら残っていなかった。

 

「よし! たのむぜ、クロート」

「もちろん」

 

 黄色の四角が規則的に並んだ硝子玉が、地面近くへと移動する。

 一センチ上で浮いたまま、足跡を辿たどって動いていく。動物というよりは機械的だという印象だ。

 イノリの目にはに映ったが、通り過ぎていく人々には当たり前のように見向きすらもしなかった。

 

 大きな魔女帽子を見下ろしながら、消えないかんを口に出す。

 

「なあ、耳が尖ってたり角が生えてたり……なんか意味あるのか?」

 

 金髪の三つ編みが、背中で大きく揺れた。予想外の質問に、クロートの体が傾いたのである。

 

「それすらも忘れたの!?」

 

 琥珀色の瞳がきょうがくと呆れに染まっている。蜥蜴とかげげきしたら、彼のような瞳の動き方をするかもしれない。

 大きな動作付きでおどろかれたイノリとしては、肩を竦めてうなずくしかない。

 

「記憶喪失と言っても、明らかにはんがおかしいよ」

「まじ?」

「君は思い出の全忘却だけでなく、知識の欠如も酷い! 僕の五年間の努力が……」

 

 相当な精神的ショックだったのか、歩道と車道を区切るガードレールに寄りかかるクロート。

 ひざをつかなかったのは彼なりのきょうかもしれないが、注目は多少集まった。

 少し騒ついたのが気になったのか、クロートは新しい硝子玉を呼び出す。

 

 今度はすいしょうだまのような大きさで、中で流れ星のような光が乱反射している。

 それを頭上に浮かべると、周囲の通行人たちはあっさりと日常へと戻っていった。

 

「今のは?」

「視線らしの魔術。光景的に違和感はないけど、なんとなくけてしまうようにしたのさ」

「へー。俺とかでもできるの?」

「君のりょくは平均値以下だから、難しいと思うよ」

 

 夢のような技術に胸を高鳴らせたのもつかで、よくわからないことだけが増えてしまった。

 

「でもこれで君の質問に堂々と答えられるよ」

「どういうこと?」

「普通は人に指さすのはマナーはんだし、ヒューマンタイプという常識を改めて確認するのは変だからさ」

「ヒューマンタイプ……人種?」

 

 わずかに引っかかった単語を、別の言葉にえる。

 するとクロートは安心したように息を吐き、満足そうに微笑む。

 

「それは覚えていてよかったよ。じゃあ歩きながら話そう」

 

 そう言ってようようと足を動かすクロートは、外見相応の子供みたいにじゃだった。

 通りがかったおしゃなカフェテリアのテラス席。パソコンに向かって小難しい会話をひろげる男性は、兎のような尖った耳を持っていた。

 色素のうすい髪に、とうめいの高い瞳。不健康そうな色白さは、まるで色素がちて美しさだけが残ったようだ。

 

「あれはエルフ。硝子の六種の一つで、四番目に数が多いヒューマンタイプだ」

「硝子の六種?」

「最初の人種と言っていいよ。まあ人種数は変動してるけど、その中でも原初に近いってことだね」

「もしかして耳が長いのが特徴?」

「その通り! うんうん、いい感じだよ」

 

 正解を言い当てた子供をめるように、それでいてかつやくしたことを喜ぶ親の如く。

 クロートはようやく打てば響く会話に、無邪気な様子で笑った。

 

「外見的特徴の中で、特にいつだつしているもの。それが人種を区別する役割なのさ」

「じゃあ俺は?」

 

 少し楽しくなってきたイノリは、クロートの耳を見つめる。

 金髪の隙間から見える耳は丸い。少なくとも彼はエルフではない証。

 そして先ほどショーウィンドウで自分の姿を見た時、イノリは耳が尖っていないことも確認している。

 

「君はスタンダード。特徴は……」

「うんうん!」

「ない」

 

 晴れやかな顔の返答に、イノリはあくが少しおくれた。

 

「言葉通り、基準なんだよ。スタンダードと比べてどれだけ違うか、人種の増減を評価するために一番大切なんだ」

「……えー」

「そんなに不満がらなくても。人口は一番多いし、発想力と発展スピードが君達のりょくなんだから」

 

 明らかにむイノリに対し、数々のフォローが入れられるが耳をどおりしていく。

 硝子の六種の一つで、携帯電話の開発や人工衛星に月へのとうたつなど語られたが、それがどれだけぎょうかすら不明な知識量だ。

 もう少し目に見えてわかりやすいものがあればよかったのに、とじゃっかんねる。

 

「ほ、ほら次だよ」

 

 空気を変えようとしたクロートが指さしたのは、大型百貨店の壁だ。

 白い壁に屋上まで届くすいそうまれた、独特な外観。青い水の中をゆうに泳ぐひとかげを見上げる。

 上半身はイノリ達と変わらないが、下半身は魚の形をしていた。

 

 緑色の長い髪が揺れて、水の中で波打っている。天へと泳ぐ美しい魚人は、眼下で手をる子供へ微笑んだ。

 手首からひじの間にヒレが生えており、それがドレスのすそのようにふわりと動く。

 優美な魚人の女性にれていると、クロートが慣れたように説明する。

 

「マークア。硝子の六種で、三番目に数が多い。けれど体の構造上から水中都市に住んでいるのがほとんどさ」

「特徴は下半身? えら呼吸?」

「ヒレだよ。地上で生活する二足歩行のマークアもいるし、彼女のように水陸両用の姿を持っている者も見かけるね」

 

 話の最中に美しい魚人は水槽のてっぺんまで泳ぎ、水中から空中へと飛び立った。

 そのいっしゅんで用意していた白のワンピースにえ、ビルの間をつなぐロープの上にれいな着地をやりげた。

 白魚のような、けれど確かな人の二本足。五本の指がなわの編み目を掴んでいる。

 

 両手を振ってかっさいを受け止める彼女のうでには、確かにヒレが生えたままだった。

 白いワンピースドレスに、宝石のように美しい緑色の肌。ウェーブがきいた髪からは、すいてきが地面へと向かって落ちている。

 

「おおー、すげー」

「彼女は雑技団のスターだからね。屋上でショーもやっているらしいよ」

「観に行こうぜ!」

「君の記憶が先。ほら、行くよ」

 

 半ば引きずられるように移動させられ、うしがみを引かれながらも百貨店を後にする。

 次に通りかかったのは、警察署の前だった。内部で誰かが暴れたのか、救急車がサイレンを鳴らし、人が集まっている。

 うまを見つめながら、クロートはいきを吐いた。

 

「硝子の六種の中で、特異なのがラグーンとアンジェラなんだけど……ここにはいないみたい」

「そうなのか?」

「まあアンジェラはじん変人が多くて、空中都市以外では見かけないと言うしね」

「特徴とかはないのかよ?」

「光輪があるんだ。形や色、部位とかは個人差らしいけどね。数は五番目くらいかな」

 

 そう言われては意地でも探したくなってしまう。

 少しだけ爪先を伸ばし、不安そうな群衆を観察していく。

 しかし言われた通りの外見にがっするものはおらず、びで足が痛くなった。

 

「じゃあラグーンは?」

「……ぜつめつしゅあつかいさ。あまり意味ないね」

 

 それ以上の言葉は続かなかった。歯切れの悪い説明に違和感を覚えながらも、イノリは今までのヒューマンタイプを数える。

 スタンダード、エルフ、マークア、アンジェラ、ラグーン。硝子の六種に対して、一つ足りない。

 そして一番の違和感は、周囲の光景だ。角が生えた人種についての説明がない。

 

 もちろんけものの尻尾が動いている存在や、エルフと呼ぶにはずんぐりむっくとした体型のおじさんも気になる。

 だが角の数があっとうてきに多い。今もがおで近寄ってきた幼女は、山羊の角を生やしていた。

 

「じゃあさ、この女の子みたいな」

「人を指さしてんじゃねぇぞ、雑魚が」

 

 右手の人差し指が曲がった。間接どう区域の、反対側に。

 ぐにゃりとのけ反ったおかげか、骨は折れなかった。けれど強い痛みに、腕を反射的に上げてしまう。

 幼女の手をはらけた罪悪感よりも、不気味な気配に背筋が冷えた。

 

「今の馬鹿力すごいじゃん。スタンダードのくせに生意気」

「え?」

 

 視線逸らしの魔術。その具体的な内容は知らない。

 しかし誰かと目線が合うことはなかった。水槽から歩道を見下ろしていた魚人の女性さえ、気づいていない様子だった。

 悪意が渦巻く桃色の瞳。それがしっかりとイノリ達を映し出している。

 

 背後からクロートの冷たい声が聞こえた。

 

「角つきはデイモン。この世で二番目に数が多く、そして――」

 

 魔王をはいしゅつした人種。

 その意味を理解する前に、少女のひざりが腹めがけてせまってきた。

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