魔王転生冒記
吉皮
プロローグ
「童貞卒業しなきゃ!」
鬼気迫った自分の叫び声とともに、俺は目を覚ました。
額の汗を腕でぬぐいながら時計を見ると、時刻はちょうど16時を回ったところだった。
まずい。もう時間がない。
俺は急いで外に出た。
激しい日差しと肌に張り付くような嫌な熱気が、クーラーでなまった俺の体に容赦なく襲いかかる。
だがこれしきのことで、へこたれるわけにはいかない。
何故なら俺の息子が緊急事態だからだ。
俺の名前は
引きこもりでニートで童貞の19歳だ。
だが明日の8月19日、俺は20歳の誕生日を迎えることとなる。
これは非常にまずい事態だ。
だって、20歳にして引きニートの童貞よりは、20歳にして引きニートの非童貞の方が、明らかに印象はいいからだ。
残された時間は8時間。
それまでに俺は童貞を卒業し、非童貞へと進化しなければならない。
目的地は、地元の駅周辺の繁華街に店舗を構える「クワトロピース」。
そこが俺を非童貞へと導いてくれる場所だ。
「クワトロピース」
なんて卑猥な名前だ。ダブルだけでも卑猥なのに、クワトロなんて、一体どういうことなんだ。
この日のために、映像媒体による予習、模擬訓練を何度も行った。
その結果、俺はあらゆるテクニックを取得することに成功した。計算では、10分間で推定3回は相手を絶頂へと導くことが可能である。
もちろん、体だって死ぬほどきれいにしてきた。
特に息子に関しては、真っ赤になるまで磨いた。今もヒリヒリしている。
準備は万端だ。
しかし、道中あるささいな問題が浮かび上がった。
清潔感を出すために白いシャツを着てきたが、これでよかったんだろうか。乳首とか透けてないか気になる。
「ちょっと、胸を張ると透けてるような……? いや、大丈夫か……いやでもちょっと、やっぱり透けてるよな……? あれ? なんかちょっと、黒っ……」
ゴォン。
鈍い音がした。
体に強烈な衝撃が加わり、目の前の景色がひっくり返った。
頭にバチッと、電撃のようなものが走り、気づくと俺の体は地面に叩きつけられていた。
ブォォォ、という車の遠ざかるような音がする。
どうやら、俺はひき逃げにあったようだ。
体の節々が、死ぬほど痛い。指一本すら動かせない。
ーーああ、だめだこれ。もう死んだ。
俺の心はすでに諦めに入っていた。セルフ走馬灯で今までの人生を振り返ろうとするが、ほとんど引きこもりだったのでまともな素材が出てこない。
それだけしょうもない人生だった。
誇れる点は、一つのネタで何回も興奮できることと、義母が美人だったこと。それだけだ。
……本当に、このまま死んでいいのか?
俺は自分に問う。
まだ、俺は童貞を卒業していない。チェリーボーイのままだ。
それなのに、本当にこのまま死んでいいのか?
俺はもう一度自分に、そして自分の息子に問う。
すると、俺の息子が少し震えた。
フルフル、フルフル、と。
まるで俺の言葉を否定するように、運命に抗うかのように、その矮小な体を精一杯、横に揺らした。
……いいわけがない。
このまま死んで、いいわけがない。
暗い部屋の中で、無力感に打ちひしがれながら、俺は誓ったんだ。
ニートでもいい。引きこもりでもいい。
国民年金も払わなくていい。
でも童貞だけは卒業するって。
だから、こんな所でくたばるわけにはいかない。
諦めるわけにはいかない!
「おぉ、おお……。うおおおおおおおおお!」
痛みで体中が悲鳴を上げる。
それでも、俺は立ち上がる。
性なる力が心の奥底から湧き出て、俺に立ち上がる力を与えてくれる……!
ゴスン。
鈍い音がした。
後ろからの強い衝撃とともに、俺の体は再び吹き飛ばされた。
「あちゃ〜。やっちまったよ〜。んダイジョブすかぁ〜?」
若い男が自転車から降りて話しかけてきた。
大丈夫じゃねぇ……。
「あー、すいません。ちょっと今急いでるんで。救急車とか、自分で呼んであれしてください。さーせんした〜」
俺はうつ伏せに倒れながらも頭を持ち上げ、自転車で走りゆく男の後ろ姿を見た。
男は、背中にデカくて黒くて四角いバッグを背負っている。
バッグの真ん中には文字が書かれていた。
「Ubeeeeeeaaaaaaaaaa Eaaaaaaaaaaaa……」
「ぐうぅ……。おぉ……!」
ちくしょう……。
あの野郎、死んだらぜったい呪ってやる……。
俺はそう心に誓いながらもう一度立ち上がり、たどり着くべき理想郷へと歩みを進める。
ズキズキと痛む体を引きずりながら、一歩、また一歩と、少しずつ。
どれだけ歩いただろうか。目の前に横断歩道が現れた。
大通りを車がものすごい速度で走っている。
そして、その先には古臭いコンクリートでできた建物。
看板には4つのピースの指でできた歪な四角形のイラスト。その中には「4P」という文字。なんて卑猥なんだ。
あと少し……あともう少しで、童貞を卒業できる。
あの信号が青に変われば、俺は非童貞になれる!
そう思った瞬間、また俺の体に衝撃が走った。
ちょうど背中を手で押されたような、軽い衝撃。
しかしそれは、嵐のように車が行き交う道路に俺を放り込むには、十分な力だった。
そこから先は、目も当てられないような地獄。
圧倒的なひき逃げ大会。
まず、俺は右から来た車に吹き飛ばされた。そして、地面へと叩きつけられる前に、左から来た車にも吹き飛ばされ、また右、左。右右左、↑↓。前から、後ろからと、めちゃくちゃにされた。
そうしてなすすべもなく吹き飛ばされた俺の体は、見るも無残な姿になっていた。
手足はぐにゃぐにゃに折れ曲がり、着ていた白シャツは真っ赤に染まり、乳首がどこにあるかももうわからない。
もはやただの肉塊と化していた。
それでも俺は、「クワトロピース」を目指した。
もはや死んでいるのか生きているのかもわからない、なんで動くのかも不思議な体で、必死に目指した。
おそらく、童貞を卒業することへの執念が、俺の体を動かしていたのだ。
そして俺は、遂に「クワトロピース」にたどり着いた。
「アァ……アァァ……」
ゾンビのように這いずりながら、建物の入口に張り付く。
自動ドアが開かない。
おかしい。
ふと、ドアに貼られた張り紙が目に入った。
「本日休業」
「んなバカな……」
そう口にしたところで、俺は童貞のまま力尽きた。
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