第一夜 美鬼

よくある異世界ストーリーの始まりは、『目覚めたら知らない世界でした』なんてのがお決まりだが、それを今、俺は身をもって体験してしまっている。

いつものように会社に泊まり込み、いくらさばいても終わらない鬼畜タスクを延々とこなしていたはずなのだが、今日はいつの間にか意識を失っていたらしい。


『目覚めたら知らない世界にいた』

本当にこう言わざるを得ない状況に俺はいる。

いや、連勤の疲れのせいでいまだに夢を見ているのかもしれない。ー切実にそう思いたい。

だが無情にも、頬をつねったり叩いたりすると痛いと言う感覚を嫌と言うほど理解できてしまう。

夢ならば早く覚めて欲しいー。そんな思いを残したまま俺はとりあえず深呼吸する。

まず自分の状況を理解したい。

俺は覚悟を決め、さっきから目の端に捉えていたある建物に目を移した。

数メートル先にはとてつもなく大きく重厚な門と、さっきからあえて見ないようにしていた『閻魔堂えんまどう』との看板がでかでかと掲げられている。


「ここは地獄、なのか?」

俺はやっぱりこれは夢であって欲しいと思いながら力無く呟いた。



生まれて28年。思い返せばそんなに悪いおこないはしてこなかったはずだ。

小さい頃はクラスの人気者と言うよりかは中堅的な立ち位置で、目立ちも埋もれもせず「普通」の生活を歩んできた。

社会人になってからは約6年、会社のために滅私、貢献、奉仕の限りを尽くしてきた。

入社した初日に家に帰れないことが分かり、すぐにここはブラック企業だと気付かされたが、田舎の両親に啖呵を切って上京してきた手前、すぐ辞めることもできずズルズルと現在に至った。

残業で何日も会社に泊まり込むのはもはや日常であり、家に帰れるのは月数回あれば良い方。毎日のように理不尽な上司からの圧力に耐えながら仕事を回していたことで会社への忠誠を示していたはずだが、俺のこの人生において、地獄行きの切符なんていつ渡されたのだ。


考えれば考えるほど頭痛が止まらない中、俺はようやく重い腰を上げた。

恐る恐る門の前まで来る。

すると門は、俺がここまで来るのを待っていたかのようにひとりでに開き始めた。

突然の出来事に内心、動悸と冷や汗が止まらない。

これから俺はどんな罪を突きつけられ、どんな罰を与えられるのだろうか。

恐怖が頭の中を支配する中、一歩また一歩と力ない足取りで前進んでいく。

俺は祈った。とにかく祈った。誰へ届ける祈りかは自分自身でもわからないが『これから閻魔の裁きにあう』という史上最悪の一大イベントに向け、祈る外なかった。



閻魔堂の中はとても広く暖かかった。

豪華な装飾が所狭しと施され、金に塗られた柱がいくつもある。

が、恐怖の感情が勝る今、俺の中に細かい装飾に目を向けている余裕は一切ない。


今のところ人の気配は無、、

「おや?」


背後から急に声をかけられ、思わずビクリと身体がこわばる。

恐る恐る振り返ると、そこには美男子が立っていた。

漆黒のロングヘアに180センチはゆうに超えるであろう身長。切れ長の目は彼の凛とした雰囲気にぴったりだ。

とりあえずすぐに危害を起こさない様子に俺は胸を撫で下ろした。

「どちらへ?」

そんな俺の様子を察してか、男の口調は柔らかだった。

しかし、どちらへも何もない。

俺は目の前の男を信じ、今までの経緯を説明した。

気がついたら門の前にいたこと。そして門がひとりでに開き勝手に入ってしまったことを説明すると、男は「ほぅ」と数秒考え込んだ。

しかしすぐに「ではこちらへ」と身を翻した。

男は俺の声に少し驚きながら、すぐに笑みを浮かべ「はい」とだけ答えた。

「もしかしてあなたは鬼?」

こんな質問を初対面の者にするのも失礼な話だが、俺はつい冗談半分でそう聞いてしまった。

ーだがこれがいけなかった。


俺の問いに男は振り返りさっきよりも優しい笑顔で「はい」と答えた。

「えっ?」

またまた〜、なんて笑顔で流そうとしたが男はいたって真面目な顔を続けている。

その様子に俺は本当にまずいことを言ってしまったということを理解した。

さて、これで俺の人生は地獄行きという事実にさらなる重みが加わった。

すぐにでも膝から崩れ落ちたかったがこの人、いや鬼が先を進むので、さっきから恐怖で震えが止まらない足を頑張って引きずりながら後を追いかけた。



しばらく進むと鬼はひとつの扉の前で立ち止まった。

扉を開いた先は応接室のようで一層豪華な造りになっていた。

「ここへ」

俺は鬼に促されるままソファへ腰を下ろす。

と同時にいつの間に用意したのか鬼がお茶を差し出す。

(これ、、毒なんて入ってないよな、、?)

のどが乾いていたが手を付ける勇気がない。

そんな俺を見かね、

「突然こんな所へ来てさぞや不安でしょう。私は閻魔えんま補佐ほさを務めております、リャンとお呼びください。」

うやうやしく頭を下げる。

(コイツは本当に鬼、なんだよな…?)

柔い物腰に俺は余計に戸惑う。

さっきからのこいつの様子は俺の『鬼』というイメージには一ミリたりとも合わない。真逆ともいえる。

(まぁ、どうせやっぱり夢なんだろこんなの。)

なかばやけくそで出されたお茶を飲み干す。

「うまい、、。」

思わず声が漏れる。

「それはお口に合って何よりです」

鬼の方も俺の様子に安心したのかさっきより楽しそうに目を細める。

「それでは、もう一度ここへ来た経緯をお伺いしても?」

この問いに俺は視線を落とす。

「わ、分かりません。目を開けたら門の前にいたんです。あの、これは夢ですよね?」

夢と言ってくれと願いながら目の前の鬼に縋る。

鬼は困ったような顔をして息を吐き、俺の目をまっすぐ見つめる。

「残念ですがこれは夢ではありません」

あぁ、この流れも異世界モノの常套じょうとうパターンだ…。

どうしていいか分からず俺はとりあえず絶望した。

にしてもだ。異世界転生ならなぜ舞台が地獄なんだ。

普通に働いていた時も十分地獄だったのに、今度は本物の地獄に、って最悪の選地すぎないか?

絶望やら怒りやら、色んな感情がぐるぐると湧き上がる。

「ちょっと失礼」

混乱していたせいかいつの間にか鬼の顔がすぐ近くにあった。

「少し覗きますね」

そして抵抗する間もなく、鬼の声とともにいきなり視界が真っ暗になった。








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