有栖川茶房 四季

タカツキユウト

第1話 いろいろ七草

 物音が聞こえて、厨房にいた弥生は顔を上げた。

 ドンドンドンドン。

 聞き間違いではない。誰かが施錠してある店のドアをグーで叩いている。

 丁度ケーキを仕込んでいたのが終わり、洗い物をしていたところだった。音を聞くために水は止めたが、洗い物はまだある。手は泡だらけ。

「誰だよもう」

 文句を言うと、すぐに、

「おーい! 弥生! あーけーろー」

 聞き覚えのある犯人の声が聞こえてきた。扉は一枚板で向こうを見通せないが、この声は聞き間違えようもない。誰だかわかってしまったので、このまま放置していいことがないこともわかってしまった。

「はぁ」

 仕方なく洗い物を諦め、手の泡だけ落としてタオルで拭くと、小走りにドアに駆け寄った。足音を聞きつけたからか、外の不躾な輩は少し静かになった。とはいえ、ここで踵を返すわけにも行かず、弥生はドアの施錠を解いた。

 ドアを開け、ドアベルが鳴り、最初に目に入ったのは何故か巨大な大根だった。

「弥生ー! これ、おじやにして!」

 大根の後ろから、犯人――龍臣がひょこりと顔を出した。彼が持っているのは大根だけではなく、土の付いたよくわからない草をこれでもかと抱えている。

「てかこれ、なんなんだよ」

「え? 七草」

「それならおじやじゃなくてお粥だろ」

「どっちでもいいじゃん。とろとろのご飯には違いねぇだろ」

「だとして、この草は何だよ」

「え? 雑草」

「おまえな。七草は雑草じゃねぇの」

「元々その辺に生えてる草じゃん。雑草じゃん」

「じゃあ、七草言ってみろよ」

 妙な間が空いた。

 正体不明の草の向こうで暫し考えた龍臣は、

「なんとなかんとか、はこべのざ」

「全然言えてないし、ハコベラとホトケノザが混じっちゃってるじゃん」

「でもこれ、スズシロは大根だろ?」

「さっきおまえ、スズシロって一言でも言ったか?」

「細かいことはいいじゃん。おーじーや!」

「そもそも、雑草はそこら辺で毟ってきたんだろうけど、この立派な葉つき大根はどこから持ってきたんだよ」

「え? 生えてた」

「待て。それは立派な窃盗だからな!」

「嘘だよ。早起きの八百屋があったから買った。百円!」

「もー……。なんでもいいけど――」

「税込み!」

「税金はどうでもいいって! これ、毟ってきた雑草、食えるんだろうな」

「え? 知らね。食っても死なねぇよ」

「たーつーおーみー!」

 まだ開店の準備があるというのに、龍臣と会話していると永久に終わらない。そもそも何故、七草粥などまるで興味がなさそうな龍臣がこんな頓狂なことをして開店前の店に来ているのか。理解に苦しむ。苦しむと同時に、色々な状況をシミュレーションした結果、

「……もういいや。入れよ」

 そういう選択をすることにした。

「チッスチッス」

 力技で鍵を開けさせやってきた客ではない知り合いを迎え入れ、溜息交じりに弥生は改めて施錠した。

 もう一度溜息をつきながら振り返ると、暴君がカウンターに雑草を広げているところだった。土が付いた雑草を、種類毎になのかなんなのか、とにかくお店を広げるように並べていた。

 向こうとこちらの温度感の違いが酷い。施錠までしてしまったが、今からでも蹴り出して作業に戻りたい。けれど、そんなことをしようものなら、営業妨害よろしく扉を殴り続けることだろう。

 ――あー、でも、それで警察呼んだ方が早いかな……。

 一瞬そんなことが頭を過るくらいには相手にしたくない。

「なあ、有紗は?」

「は? 来てるわけないじゃん、今何時だと思ってんだよ。七時だよ。開店前なんだよ!」

「あ、いや、大学って冬休みもう終わってんのかな」

「そういう意味なら昨日来たよ」

「来てんじゃーん! どう? 元気だった?」

「元気だったけど、……って、おまえは一体何しに来たんだよ!」

「おじや!」

「お粥! 食いたいなら少し静かにしろよ」

「ほーい」

 恐らく一時的なものだろうが、一旦静かになった。

 ジェスチャーでカウンターの前から龍臣をどかし、彼が並べた草を眺める。

 野草に詳しいわけではないので、一瞥して何が何かを判断するのは難しい。七草と思って摘んできている割には、大根を含めて十種類以上ある。もうめちゃくちゃだ。確かにセリのようなものもあるし、ハコベのようなものもある。違ったとして食べて死ぬ量でもないだろう。ただ、本能が言っている。

 食うな、と。

「龍臣」

「んー?」

「これさ、大根以外、捨てていいか」

「なんでだよ! 折角採ってきたのに」

「ほうれん草とか、なんかそういう、ちゃんと食えるやつに置き換えてお粥作ってやるから」

「それ、七草じゃないじゃん」

「じゃあ龍臣、トイレと友達になるのとどっちがいい?」

「友達は多い方がいいかなぁ」

「じゃあおまえは生で食え。俺は嫌だ」

 両手を思い切り突き出すくらいに言い放たれて、龍臣は口を尖らせた。表情から察するに、雑草の調理をそこまで拒まれる理由がよくわかっていないらしい。

 拒む理由は山ほどある。そのうちの尤もらしい一つを弥生は取り出した。

「野生児の腹は丈夫かもしれないけどさ、なんかあったら俺の責任になるんだからな? ここどこかわかるか? 飲・食・店」

「わかった。弥生の作るおじやでいい」

「ホントにわかったんだろうな」

「それでいいから食わせて」

 以前から食べることには強欲な龍臣だが、なんだかおかしい。ただ要求するのではなく、乞うような顔は、見たことがない。

 嫌な予感が、した。

「……おまえまさか、飢えてんのか」

 その予感をぶつけると、龍臣の表情がぱっと明るくなった。

「そーなんだよ! 三日前からなんも食ってなくて!」

「飽食の時代に金持ってるおまえが何で飢えてるんだよ!」

「なんかいろいろあって食いっぱぐれちゃってさ」

「その〝なんかいろいろ〟ってなんだよ、説明しろって」

「いいからおじや食わせろよぉ」

 開店準備に戻るには、まだまだ時間がかかりそうだ。   



2022/01/07『いろいろ七草』

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