江戸の警察岡っ引き!
山岡咲美
江戸の警察岡っ引き!
江戸の世は太平の世と呼ばれますが、そこには様々な人々が生きていて、悲喜こもごもが沢山あります。
「アンタ大丈夫かい?」
かっぷくの良い男が細身の男に声をかける、細身の男はよれよれのボロの着物、元来の資質で痩せてる風ではなく、食うに食われず痩せたという印象、声をかけたかっぷくのよい男は豪華絢爛とはいかないものの身綺麗な着物姿と人なつっこい笑顔を見せて話しかける。
「あの……アンタさんは?」
細身の男は少し怯え警戒しその身綺麗な男に言葉を返す。
「オレっちはこう言う者さ」
身綺麗な男は相手の警戒心を察してかそれとも職業柄の本能かある一定の間合いを取り、藍色の
「ああ、岡っ引きさんかい?」
細身の男はそれを見て身綺麗な男の素性が直ぐにわかった、十手とはお上が捜査の権限を与えた明かしで今で言う警察手帳のような役割を果たすものであり、その身綺麗な男が岡っ引きと解るのはその男が帯刀しておらず、さらにその十手に房が付いてないことで身分が役人ではなく町人と分かるからだ。
「まあな」
岡っ引きの男は十手をしっかり見せるためにそれを帯から抜きそのあと軽く肩で「トントン」と叩いて見せた。
岡っ引きの持つ十手は持ち手を含め肘から手首まで程度の長さで一尺(約30cm)ほど、八角の黒い打撃部に持ち手には黒の紐巻き、刀を引っかけるという
「しかしアンタ、どうしたんだこんなところで」
岡っ引きが言うこんな所とはどんな所だろうか?
「俺は……ちょいと川を眺めていただけで」
細身の男は大雨のあと「ゴウゴウ」と言う川を木製で
「死んじゃあ駄目だぜアンタ」
岡っ引きは呟く様にそう言った。
「…………」
細身の男は言葉を失う。
「解るさ、オレっちも十手授かって長いからよ」
岡っ引きは十手が細身の男の威圧にならないようにそっと帯に戻し袢纏で隠す。
「…………………………ぁ、」
細身の男『あの……』と何かを伝えようとするがそんなこと言ってもしょうがないとばかりに口ごもってしまう。
「なんだい? 何でも良いから話してみてくれよ」
岡っ引きはそう言ったあとで細身の男の言葉を静かに、静かに待った。
「………………俺は駄目な奴なんでさあ、俺は……ついこのあいだまで狩野派の絵師をしてたんですが……師匠の怒りを買ってしまって……おんだされて……行く所もなくて……俺は……絵しか描いたことも無くて、仕事も探したんですが……そんな男、雇ってくれる所もなくて……どうしようも無くて……師匠にいただいた金も、まあ、絵しか描かん男でしたから……貯めてはいたんですが……どうやらスリにあったらしくて……お役所にも相談もしたんですが、戻らんだろうと言われて……そう言われちまって…………」
おそらくスリに会う前から食うや食わずの有り様だったであろう痩せた男はため息が混ざる様に少しづつ少しづつ岡っ引きに事情を話した。
「……そうかい、そいつはツレーな、でもよ、アンタが橋から身を投げたらオレっちもツレーぜ、悲しいぜ、なっ、アンタ、少し前を見ねーか? もう少し、もう少しだけ生きてみてくれねーか?」
岡っ引きの声は心底から心配しいてると分かる程、静かではあるが重たい声だった、本当の気持ちを伝えようとしていると、その目の前にいる痩せた男にも伝わっていた。
「…………そうですね、」
痩せた男はそう言って言葉を切る、そうは言っても先は無い……その事はその痩せた男が一番分かっていた。
「そうかい、じゃ、寺に行ってみな!」
岡っ引きは訳知り顔で笑って見せた。
「…………?」
痩せた男は岡っ引きの笑い顔を見て何かすがる様な光を感じる。
「大雨があったろう? そんで家やら何やら流された奴もいっぱい居てな、今近くのお寺でよ炊き出しやってんだよ、アンタも食わせてもらいな、腹一杯になったら少しは元気が出るぜ」
岡っ引きは寺のある方を指差し希望が何にも無い訳じゃあ無いぜと笑った。
「…………でも」
細身の男は自分は大雨の被災者じゃないと思い当たる。
「気にするなよ、生きなきゃ終わりなんだぜ、死んじまったら取り返しが付かないんぜ」
岡っ引きは生きる事が何より大事だと痩せた男を諭す。
「ありがとう……ございます…………」
痩せた男は小さな希望を見た、これから男がどうなるかは分からない、でも今日を生きる飯がある、それだけで希望も見える、それが人間だ。
***
「はあ、暖まるや……」
痩せた男は寺の門前で炊き出しを食べていた、武士階級の家から出た残り物や洪水の寄付として集めた米などを寺で集め味噌と出し汁を入れ炊き出しにしたものだった、そこには多くの洪水の被災者に混ざって痩せた男と同じく食うや食わずの人々もたくさん集まり大盛況だった、痩せた男は久方ぶりの飯を大事に大事に食べた。
「よっ、日本橋の!」
一刻程前、日本橋の橋の上で会った岡っ引きが手を上げて話しかけて来た。
「ああ、橋の上で会った岡っ引きの」
日本橋の男は最後一粒残った米をすすり食べ、それを飲むと「とぼとぼ」と、しかし少し胸を上げて岡っ引きの元へ近づいて行った。
「お前さんの事が気になってな、ちゃんと寺に来てるか見に来たんだ」
岡っ引きはあのあと見回りで日本橋の男を寺までは案内出来ず心配だったといった風だった。
「あ、いえ、助かりました、やっぱり腹あ減ってちゃいけないですね、弱気になってしまう」
日本橋の男は少し血色の良くなった顔を岡っ引きに見せた。
「そうかいそうかい、そいつは良かった、顔もさっきとは見違えるぜ」
岡っ引きはそう言うとかっぷくの良い腹を両の手で「ポン」と叩いた、まるでタヌキの様におどけて見せた、回り人々もそれを見て少し気づかれる様にし笑うが岡っ引きは気にも止めない。
「ありがとうございます!」
そう言った日本橋の男は素直な笑顔が出ていた。
「いや良いんだ、所でよ日本橋の、アンタ確かスリに会ったって話しをしてたろう?」
岡っ引きが唐突に話を変える、コソコソとだが真剣な話し方だ。
「ええ、あのスリが無けりゃ俺はもう少し頑張れたって話しで、大雨のあとあんな所へ立つ事も無かったって話でさあ」
少し腹の膨れた日本橋の男はスリに対する怒りが込み上げて来た、腹が減って疲弊し疲れ果てると人間って奴は怒る気力も無くなるって話だった。
「そのスリだがどんな奴だった? あの時はアンタあまりの顔をしてたんで飯が先だって思ったんだが……この近くでまたスリが出てな、アンタが会った奴とは別の奴かも知れねーが少しだけ話を聞かせては貰えねーか?」
そう言うと岡っ引きは十手の柄の後ろを「ギュッ」と握りしめた、それは日本橋の男の様にスリたった一つで命が奪われ兼ねないという事を知る岡っ引きの信念と責任を表していた。
「ええ! ちょっ! ちょっと待ってて下さい!!」
そう言うと日本橋の男は炊き出しにたむろする人々をかき分け、炊き出しで使う薪を一本貰って来た。
「ん?」
岡っ引きは棒切れで何を? と思ったが周りの「オー!」と言う反応に直ぐに気づく、日本橋の男は門前の地面に「さらさら」と似顔絵を描き始めたのだ。
「目はにこやか、頭は
岡っ引きの目の前の地面に描かれたそれは、そこに居るもの皆にまるでそのスリの男が思い浮かぶ程に特徴を掴んだ絵だった。
「……その男知ってるぜ」
「ああ、昼頃ここに来てた!」
「ああ、オラも見ただぞ!」
「アタシ、家の近所で見たことあるよ!」
「アタシもだ、確か何てったっけ?」
「大工やってんだよ、えー、えー、えー、」
「そうそう日雇いの!」
「確かーーーー、た、た、た、た、」
「
「そう、太助!!」
「大工の太助! 太助だよ!!」
「そうそう、あいつ、手入れが楽だからって何時も
日本橋の男と岡っ引きは目を会わせた。
***
「おう、すまねい
「ああ、岡っ引きの旦那、太助が何か?」
岡っ引きは寺の近くの長屋に来ていた、そこは
「そちらの方は?」
「おうすまねー、少し
「…………」
身なり良い着物を着た長屋の大家が見慣れぬ日本橋の男とそのよれた着物を見て怪しんだが、岡っ引きは日本橋の男に気を遣い直ぐ様用件を話した、日本橋の男は既に他で長屋を追い出され家無しだったので惨めな気持ちになって沈んだ顔をし
『どうしようもない』
と思った。
「じゃ、じゃあ、岡っ引きの旦那、太助の所へ案内します」
「おう、すまねーな長屋の!」
三人の男達は共用の井戸や
「こちらです岡っ引きの旦那、先ほど見かけたので居ると思いますよ」
「おう、すまねーな」
大家の言葉に岡っ引きはそう返すと帯から十手を直ぐに見える様にと取り出し、長屋の扉越しに声をかける。
「おうすまねーな、オレっちは岡っ引きの
岡っ引きの名前、寛永通宝さんだった、なんか銭とか投げそうな
「寛永通宝って!」
「寛永通宝って!」
「寛永通宝って!」
長屋の扉の内と外で二人と一人の男がツッコミをいれた。
「はいはい何ですかい?」
岡っ引きは中から出て来た男に一瞬眉をひそめそうになるが笑顔を作り話を聞く。
「すまねーな大工の、この辺りでスリがあってな、少しだけ話を聞かせては貰えねーだろうか?」
目はにこやか、頭は
「この男です! この野郎俺の金を返しやがれ!!」
日本橋の男は思わず感情的になり大工の太助に掴みかかろうとするが直ぐ様、岡っ引きに止められる。
「すっ、すまねーな大工の、こいつも金をスラれた口でな気が立ってんだ、許してやってくれ」
岡っ引きとてこの大工は怪しいと思って居た、しかし「スラれた」「スってねー」って話は堂々巡りになりかねない。
「ふん、何だ? このボロ着た貧相な野郎は? 岡っ引きの旦那は真面目に大工やって働いてるオレよりこんな薄汚れた奴を信じるんですかい?」
日本橋の男は拳を握りしめ悔し涙を浮かべた、今にも殴りかかりそうだ、当然だこの男のせいで自分は川に身を投げる所まで追い詰められたのだ。
「まあまあ、そいつは話を聞いてからだ」
岡っ引きは十手を持つ手と反対の手で日本橋の男を制止しながら話を続ける。
「アンタ先刻どこに居なさった」
先程起きた別件のスリの話で岡っ引きはウラをとりたかった。
「さあな~~、オレは仕事した帰りでしこたま飲んでたから何処で何してたか何て覚えてねーぜ」
『覚えてねーから証言はとれねーぜ』とばかり大工は「ニヤリ」と笑う。
「…………すまねーが大工の、財布なんて物を見せてもらえはしねーか?」
大工の「ニヤリ」と笑う姿を見て岡っ引きは確信する、こいつだ!
「別に構やしませんが、金に色は付いてませんぜ?」
大工はスった財布をそのまま持ち歩く馬鹿が居るもんかとばかりに着物の袖から自信満々に自分の財布を取り出そうとする。
「六文銭だ……」
「俺はもう死んじまうって思ったから三途の川の渡し賃六文に六体の仏様を描いた……」
そこに居たが全員が袖元から取り出そうとした大工の財布を「ばっと」凝視した、大工は一瞬にして手を止め動けなくなる。
「どうしたんだい大工の?」
岡っ引きが大工を目を見つめ十手を構え直す、大工の目が泳ぎ始める。
「……………………………」
日本橋の男は「じっ」と大工が袖の中で握りしめる財布を見続ける、その大工の額に汗が
大家の喉が「ゴクリ」と鳴った刹那、大工は岡っ引きを突飛ばし逃げようとする、それに驚いた大家は後退りし
「離しやがれ!! お上の犬が!!!!」
背中の痛みにうずくまる日本橋の男の横で襟の崩れた大家が顔を上げるとそこには岡っ引きに手を後ろに回された大工が完全に押さえ込まれ首元に十手を突き付けられていた。
「犬で悪いか!! オレっちは正義の味方だ!!!!」
岡っ引きは決して悪を許さない。
***
「……ありがとよ、岡っ引きの」
日本橋の男は痛めた背を気にしながら利き手である右手の動きを確かめる。
「でもすまねーな日本橋の、どれがアンタの金か解らなくて……」
岡っ引きは話を聞き付けやって来た南町奉行所の同心に大工を引き渡すと申し訳なさそうにそう言った、誰の金かが解らなければ引き渡すことは出来ない……。
「気にすんなよ、これだけでも助かった」
日本橋の男の手には仏様の絵描かれた六文銭。
「死んじゃあ駄目だぜ日本橋の」
「…………」
「アンタが死んじゃあオレっちも悲しいからよ」
「……ああ」
「何でもいいから希望を持って生きててくれよ、大事な事だぜ」
「ああ……わかったよ」
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