うたたね綺譚

相宮にか

たぬ木祭り

 コスモスの間を風が通り抜けた。そろそろ日が傾き始める。私は近所の川沿いの道を歩いていた。土手を見ると、一本の木が目に入る。枯れたような木だ。あんなところに木があったかしら。

 私は何気なくそっと木の幹を撫でてみる。その木は突然、狸に姿を変えた。狸は随分と驚いた様子で仰向けになって腰を抜かしている。私も仰天として一瞬思考が止まったが、狸のあまりにも慌てた姿を見て思わず笑ってしまった。手を差し伸べてうつ伏せにしてやると、狸は恥ずかしそうに私の顔を見た。そして頭をペコリと下げる。

「お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません」

 狸は丁寧な口調で言った。

 私は驚かせてしまった事を詫びてから、どうしてこんなところで枯れ木になっていたのか尋ねた。すると狸はこう答えた。

「木に化ける練習をしていたのです」


 狸の話によると、来月行われる狸たちの祭りに向けて特訓をしているというのだ。「たぬ木祭り」というらしい。日本各地、名のある化け狸が一堂に集まり名木紅葉に化け、その美を競い合う。その晴れ舞台に出場することになったのだという。

「わたしの一族は有名な化け狸の家系でしてね。先祖代々からずっと由緒正しい化け術を伝えてきました。しかし、それがうまくいかなくて……。他の化け狸たちはみんな、どんどん新しい技を身につけていくんですけど、わたしだけいつまで経っても下手くそのままで……出来の悪い爪弾き者扱いですよ」

 そう言って狸は自分の前足をじっと見つめた。なるほど、この狸は劣等感を感じているらしい。自分の一族への誇りがあるだけに、余計に辛いのかもしれない。私は同情を込めて言った。

「それは大変ですね…。でもあなたはまだ若いんでしょう?これからじゃないですか」

 狸は首を振った。

 それから私はしばらく狸と一緒に歩いた。やがて空には夕暮れが訪れてきた。遠くの山々はすでに濃い紫色に染まり始めている。

「明日もここで練習をしますか?もし良かったら私、応援にきます」

 私が言うと、狸は申し訳なさそうであるが嬉しそうな顔をした。


 翌日、仕事が終わるとすぐに私は例の川沿いに向かった。途中で焼き芋を買った。

 昨日と同じ場所に行くとすでに狸の姿があり、早速彼は練習を始めた。まず枯れた木に化けるところから始まった。何度も繰り返すうちに枯れ木に二、三枚の紅葉した葉がつき始めた。だがそこで疲れが出たらしく、また元の木に戻ってしまった。なかなかうまくいかないようで、せっかく赤く染まった葉ははらはらと落ちてしまう。私は疲れが見える狸に声をかけた。

「少し休憩しましょう。焼き芋を持ってきましたよ」

 狸は喜んでそれを受け取り、おいしそうに頬張った。それから私たちは色々な話をした。祭りのこと、彼の家族や仲間たちの事など。狸はとても楽しげだった。しかし、心の底では寂しいと感じていたに違いない。人間である私にはどうしたら立派な美しい木に化けることが出来るのか分からない。ただ見守るしかないのだ。

「頑張ってくださいね」

 私が励ますようにそう言うと、狸は元気よく返事をした。

 それから私は毎日のように通った。狸の練習風景を見ながら時々焼き芋を買ってあげた。そして彼がうまく化けられるよう、心の中で祈った。


 秋も深まり、肌寒さを感じるようになった頃、狸は一通の封書を私に差し出した。祭りの招待状だった。

「いよいよ本番です。ここまで頑張れたのはあなたのおかげだと思っています」

 狸は頭を下げて礼を述べた。そして続けて言った。

「当日は是非とも会場に来てください」

 私は迷わず承諾した。


 当日は快晴だった。絶好のお出かけ日和だ。私は朝早く起き、身支度を整えて家を出た。

 電車に乗り、バスに乗って山に向かう。車窓から見える景色は秋色に色づいている。バスを降りて歩くこと三十分あまり。ようやく目的地に到着した。

 そこは立派な山寺で、門の中は森閑として、祭りを開催している様子がない。場所を誤ったかと招待状を確認するが、ここで間違いはないようだ。

 意を決して門に足を踏み入れると、先程の静けさとはうってかわって境内は人と狸に溢れて賑わっていた。世界が変わったようだった。青空の下、紅葉の木々に提灯が飾られ参道を鮮やかに彩る。団子を売る屋台や、なにやら蛙や雀を串焼きにした怪しげな店が並んでいる。目の前で狸がぽんっとサラリーマン風の人に変身した時は驚いた。

 集まっている狸が人や動物や木、さまざまに化けるので、どれが本物でどれが偽物なのかまったく区別がつかない。

 祭囃子を聞きながら参道を歩いて行くと、大きな土俵のような舞台が見えた。その周りでたくさんの狸たちが太鼓や篠笛を奏で、その音に合わせて踊っている。太鼓に合わせて腹鼓を鳴らして愉快な舞を披露している。

 しばらくすると舞台に一匹の大きな狸が威厳ある様子で上がってきた。恰幅の良い紋付羽織袴姿の男性に一瞬で化け、全日本化狸組合の組合長だとマイクを通して挨拶した。組合長は大会の説明を終えると客席に向かって呼びかけた。まもなく狸たちの技が披露されるそうだ。私もどきどきしながら舞台を見つめる。

 狸たちは一匹ずつ舞台に上がり、名乗りをしてさまざまな木に化けていく。ある狸は見事な楓に姿を変え、観客から拍手喝采を浴びた。別の狸は立派な銀杏の木になり、これもまた盛大に歓声が上がった。

 狸たちが次々と舞台に上がる。しかし、中には途中で失敗して元の狸の姿に戻ってしまうものもいる。その度に悔しそうな表情を浮かべた。

 ついにあの狸の番になった。彼は緊張している様子で、手足を震わせている。私は手に汗を握った。狸と目が合う。私は頷き、精一杯の応援を送った。大丈夫だから落ち着いてやってごらんなさい――そんな思いを込めて。

 彼は大きく息を吸い込むと、一呼吸おいてゆっくりと目を閉じた。全身の毛が逆立ち、体が徐々に大きくなっていく。木が成長するように枝が伸び、幹が太くなる。枝先には柔らかな新芽が芽吹き、青々とした葉が繁る。葉の間からは眩いばかりの金色の光が漏れ出す。徐々に艶やかな緑色は黄緑、黄色、橙色、赤と鮮やかに変化していった。それはまさに見たことのないようなの美しい木だった。ひらひらと色づいた葉が空に舞う。彼は見事に成功させたのだ。

 割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。狸は誇らしげに胸を張っている。私も惜しみない拍手を送り続けた。狸は仲間たちと一緒に舞台裏に戻っていった。皆で健闘を称え合い、笑い合っている。その様子を見てほっとした。きっとこの子はもう劣等感を抱くことも孤独になることもないだろう。


 私は大盛り上がりの祭り会場をそっと後にした。この祭りは狸よる狸の為の祭りだ。彼の成長を見られただけで満足だった。

 私は足元にある鮮やかな葉を拾い上げ、青空にかざした。秋の陽光を浴びて輝いて見える。まるで狸の瞳のように澄んだ色をしていた。

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