今どこにいますか?
草凪美汐.
第1話 ★
「今どこにいますか?」
漂ってきた甘すぎる香水の匂いに、マスクの下で息を止めた。
(師匠!今、どこにいますか?)
私の師匠は、まあまあ有名な占い師です。顔出しNGで、時々、磨りガラス越しにテレビ番組でも鑑定をしています。
完全予約制ですが、稀にキャンセルが出た場合のみ、当日券を発行して、予約無しでも鑑定することもあります。
そうです。今日はその稀なキャンセルが出た為に、私の息の根が止まりそうです。
「ねぇ。
知らねぇよ、という心の声を呑み込んで、鑑定用シートに相手の個人情報を書くように促すと、香水オバケは素直に、魔法少女が持つような羽根ペンで、いそいそと書き込み始めた。
この羽根ペン、インターネットでも販売しているんだが、よく売れる。
原価を知ったら…………やめよう、一部は私のお給料なのだから。
ありがとう購入者様、インクが出なくなったら、また買ってくださいませ。
はあぁ、しかし苦しいな。
下を向いて香水オバケの死角に入ってから、マスクをずらし深呼吸した。
少しの間、鼻呼吸は諦めよう。
師匠は勘が良い。
占い師だから当然なんだろう。
この面倒くさそうな客が来る前に、「煙草買って来るから、戻ってくるまで影武者よろしくねぇ~」と出て行ったきり、帰ってこない。携帯も繋がらない。
またやられた、逃げられた。
何回目かの禁煙宣言を、この前、受け流したばかりだったのに。
チッ、私も学習しろよ。
師匠は対面鑑定の時はマスクをつける。
仮面舞踏会で使うようなドレッシーな模様で、目元しか開いていない。口の周りは多少レース類である程度、話しやすいようにデザインされている。
何種類かあるのだが、今日のはやけに毒々しい。
物凄く怪しい、そして胡散臭い。でもその怪しい人が師匠で、現在、その毒々しい仮面をつけて椅子に座り、私はその影武者をしています。
「書きました」
鑑定用シートをこっちに滑らせる。
ひらがなの多い丸い文字は可愛らしいが、読みづらいな。
えっと。
「これは、警察に連」
「警察には知らせないでって、置き手紙があったんです!」
話を遮られた相手は、もう半べそをかいている。
(……占い案件じゃねぇな、だから師匠、逃げたんだ)
頭の中の師匠が、舌を出して笑った。
「置き手紙の内容は?」
「これ」
しわくちゃのメモのような物を取り出す。
殴り書きの……追い詰められた文字が、強引にちぎった紙切れに書かれていた。
【しくじった。しばらく行方をくらますから、警察には知らせるな。愛している、
はぁ……
バレないように溜め息を、薄く吐き出す。
(なんで、ウチに来るかなぁ)
「萌さん、私は、占い師ですよ」
子供に言い聞かせるように、話しかけるが、
「知ってます。でも、海外では、警察に捜査協力している占い師もいるって」
子供のように、真っ直ぐ見つめ返してきた。
「いやいや、ここは日本ですよ」
(それで見つけたら、もれなく容疑者にされるから)
「助けてください。……もう、どうしていいのか……」
「だから、警察に」
「それはダメ」
頑なに拒まれる。
嫌な思いでもしたのかな。
机に額を擦りつけて、何度も「お願いします、お願いします」と繰り返す。容量が少ないはずの、私の良心が、ピクピク反応し出した。
「菅沼さんの、ご職業は?」
「占い師でしょ、わからないの?」
わかるかっ、という心の声をまた呑み込んで、ちょっと間を置いてから、机の隅に置いてあった占い用カードを、目の前で円を描くようにシャッフルする。
師匠のを見様見真似、これが始まると相談者は、大体が黙る。
「あなたも、質問に集中してくれる、目をつぶってカードに、語りかけるように」
「はい」
仰々しい物言いで、香水オバケ、もとい萌さんを黙らせた。
かなり若そうだけど、よく見ると目の下にクマが出来ている。髪も少し脂ぎってる、寝てないし、お風呂も入ってないのか。……だから、香水で誤魔化しているんだ……えっ、トイレも開けっ放しで!、いつ帰って来ても、気づくようにって――――。
そう。
ああ…………そうなの。
「目を開けてください」
今度は、仰々しくカードをめくって見せた。
萌さんが、食い入るようにカードをを見つめる。
「鑑定結果が、出ました」
「どこにいるの?」
「菅沼さんの居場所なんですけど……北の……東北の方角に、でも、一人じゃないようです、金曜日の」
「えっ」
想像とは違う結果に、戸惑いの声を上げる。
「金曜日、たまに遅く帰って来たり、しませんでしたか?」
「たまに、ですけど……えっ?」
「金曜日に会っていた方と、一緒にいるようですね」
「うそっ」
萌さんの指が、小刻みに震えている。
「そう、菅沼さんは噓つきなんですよ」
「そんな……」
「残念ですが、もう、あなたの元へは、帰らないでしょう」
「でも、愛してるって」
振り絞った声が、私の良心に重く圧し掛かる。
「……そう書いてあったから、あなたは警察には行かずに、ここに来たんでしょう?」
「…………でも」
聞き取れない程、弱々しい声に、胸が痛くなるが、
「早く、忘れたほうが、いいんです」
と、はっきり言わせてもらった。
萌さんは黙ったまま、カードをじっと見ている。いくら見ても、結果は変わらない。
それにまだ、カード占いは教えてもらっていない。
葛藤して苦しんでいる表情が、ますます曇っていく。
「信じられない、ですよね」
こくんと頷く。
「じゃあ、信じられそうな話をしましょうか。菅沼さん、耳にピアス穴、6コありますよね」
また、こくんと頷く。
「6コ目は、あなたと付き合い出してから、開けましたよね、一緒に」
こくん、こくんと頷く。
「金曜日の方とも、一緒に7コ目を開けたようですよ。萌さんなら、この意味、わかりますよね?」
「っ……」
はっと息を呑んで、それでも、何か言おうとしたが、口を噤んで、止まってしまった萌さん。
(ごめんね……)
「私の鑑定は以上です。今回は料金は頂きませんので、この話は他言無用に願います」
最後は事務的な喋り方で、ほぼ強制的に終わらせた。
まさか、あなたの
なんて言えないわー。
肩を落とした後ろ姿が、玄関から見えなくなる瞬間、
私にしか見えないものに、頭を下げられた。
7コ目の穴は、頭に開いている。
(悲しませるより、憎まれたほうが先に進めるから…………そんなこと考えられるなら、しくじってんじゃないよ、噓つき)
携帯電話が思い出したように、鳴り出した。
「師匠ー、ちょっと!今、どこにいますか?」
今どこにいますか? 草凪美汐. @mykmyk
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