第19話 魔女、猪突猛進

 突き付けられた指が目の前に迫り、金縛りのように体の自由を奪う。

 なんで、どうしてこの人はあたしのことを知ってるの?


「皆さん覚えておいででしょう、あの忌まわしき殺人鬼、ジル・ドゥ・レを! 肉体は滅びてもその怨念は生き続け、実の娘の体を使い再び呪いを引き起こした。あまつさえ善良公ル・ボンの命さえも含まれていたかもしれない!」


 呪い⁉︎ ジル・ドゥ・レの?

 どうして⁉︎ あたしが⁉︎


 急に心臓がガンガン打ち始めて息が苦しくなり、何も言えない。腕利き占い師の舌を遮るものは何も無く、すぐに衛兵がマリーを囲んだ。


「呪いだなんて…!」

「その娘を許さないで! わたくしの主人を返してよ!」

「この魔女め! 呪われた存在が!」 


 あんなに華やかで楽しげだった人たちが一転して、顔をしかめて罵りの言葉を投げつけてくる。あちらでは老婦人が顔を真っ赤にして泣きながら叫んでいる。

 何がなんだかついていけない。どうしてこんなことになったの? なんであたしが犯人にされてるの?


「マリーーッ!」

 ジェルメの声だ! 姿を探すけれど、衛兵たちにもみくちゃにされる。


「やだっ! やめて、離して! あたしは何にもしてないよ!」

 ジェルメが見えない。たくさんの人にぎゅうぎゅう押さえつけられて、目の前がチカチカする。


 痛いよ。どうして? 呪われた存在って? あたしがジル・ドゥ・レの娘だからって何をしたの?

 背面で手首を縛られて、痛さとどうしようもない不安で涙が溢れて来た。拭うこともできずにボロボロ流れていく。


「地下牢に連れて行って」

 両脇をつかまれると、フィリップの命令で抵抗する間も与えられず連行される。

「マリー!」

 もう一度ジェルメの声が聞こえたけれど、振り返る事すら許されなかった。



◇◇


「待って! マリーを離して!」

「君も動かないでよね」

 ジェルメを止めたのはフィリップだ。冷たい刃のように言葉を向けられ、隣でジェルメの体が臨戦態勢に入り固くなるのをポールは感じた。


「ジェルメ、待て。”声”は使うな」

「でもっ…!」


「よくも僕の大事な客人たちを傷つけてくれたね」

 会場の全員に聞かせるようにフィリップは声を張る。


「お言葉ですがフィリップ陛下、マリーにそんなことができるはずありません! すぐに解放を願います」

「悪いけど君の言葉だけじゃ解放できないよ」

「呪いなんてありえません!」


「マリーを連れてきたのは他でもない君だ。ジル・ドゥ・レを継ぐ者だから助けたんでしょ?」

 フィリップがちょっと首を傾げる。


 場内には事の顛末を見届けようというもの好きたちが、幾分残っている。好奇と怖いもの見たさと嘲り。そんな目線にポールは唾でも吐きかけてやりたい気分になる。


「さすがフィリップ陛下、ご明察であります。何を隠そう、その女は地獄の業火より蘇りし魔女。皆さんも覚えておいででしょう、異端者ジャンヌ・ダルクの名を!」

 ここぞとばかりに占い師の声が朗々と響く。ポールはジェルメへと一歩寄った。


「救世主ジャンヌ・ダルクだと⁉ そんなはずはない! でたらめだ」

「処刑されたはずだぞ、俺は見た!」


「そうです、あの時ルーアンで火あぶりに処されたのは偽物なのです。この魔女めが仕立てた傀儡だったのです! 処刑を逃れ、十年に渡る月日を密かに生き長らえながら、ジル・ドゥ・レという悪魔を作り上げた。そして今度は悪魔の娘と共に、再びこのフランスに混沌をもたらそうとしているのです」


「黙りなさい! 勝手なことばかり! マリーを悪魔の娘と言ったこと、今すぐに取り消しなさい!」


「黙るのはお前だ、魔女よ。皆さん、この女は人の皮を纏っていますが、中身は穢れに満ちています。ジル・ドゥ・レを狂気に走らせ、奥底に眠る残虐性を揺り起こした張本人であり、人の心を弄ぶまさに罪業そのものなのです。神がお許しになるはずがありません。今すぐに裁きを与えよと、占いは私に告げています。少女の命と共に」


 ニタリと笑った黄色い歯は、汚らしい口から出された言葉と共に生理的な嫌悪感を感じさせる。


「取り消しなさい! マリーは悪魔の娘なんかじゃない!」

 ポールは今にも飛び出す勢いのジェルメの腕を取り押さえた。

「あいつの細い吊り目…、それにジル・ドゥ・レを持ち出しやがって、プレラーティか?」

「たぶんね。髭を剃って髪型変えたらまるで別人、あなたと同じだわ。絶対ぶん殴ってやるんだから」

 

 鼻息荒い元聖女をこのまま猪突猛進させるわけにはいかない。しかしこの状態で一体どうする?

 プレラーティの狙いは、この混乱に乗じてマリーとジェルメを連行することだろう。マリーを引き離されてしまった今、一刻の猶予もない。


 しかし焦れば焦るほど何も思い浮かばず、その間にも状況はどんどん不利になっていく。

「フィリップ陛下! どうか今すぐに魔女の処刑を!」

「神の裁きを待つまでもありませぬぞ!」

「呪いをこの地に広めてはなりません!」

 唾を飛ばして、人々がフィリップに詰め寄り始めたのだ。


「うんうん、パーティーを台無しにして僕の顔に泥を塗ったくってくれたんだから、許すわけにいかないよね」

 全員が頷いている。帝王にそう言われてしまえば、ポールは立ち尽くすしかなかった。

 

 次の瞬間、ジェルメの手がポールのチュニックの下に侵入してきて、革帯に挟んでいた短剣を手に走り出す。

「あ、おいっ! 駄目だ!」

 

「ついに本性を現したな、魔女よ!」

 刃物と共に向かってくるジェルメに手を広げ、迎えるような仕草でプレラーティが唇を横に伸ばす。


 だが、あと三歩のところで届かず膝を折り、ジェルメは転倒した。ヒールが折れて靴が脱げてしまったのだ。

「ジェルメッッ!」


 床を蹴る。一歩、二歩、プレラーティも近づいて来る。間に合うか、奴より先に———!

 突如、目の前の空気がぜた。乾いた音ともの凄い熱が肌を覆い、とっさにポールはジェルメに覆いかぶさる。


「ウワアアアアアッ!!」

「早く出口へ!」

「火が! 早く消せ! 燃えてるぞ!」

「お下がりくださいフィリップ様! 危険です!」

 背後で叫ぶ声がするが、シュウシュウと煙が湧いて何も見えない。しかも至近距離で煙をもろに吸い込んでしまい、喉がヒリついて呼吸ができなくなる。


「ポー、ルッ…」

 激しく咳き込みながら、ジェルメが助け起こそうとしてくれる。苦しさと痛みでポールは動けなかった。尋常でない手足の痺れに、体を引きずることすらできない。煙に毒が含まれているのだろう。


 そんなポールが目の前で見たのは、プレラーティがジェルメの側腹を殴り気絶させて、連れ去る姿だった。


「ジェ…ル…ッ…」

 手を伸ばす事もできなかった。脱げたヒール靴が片方だけ残される。

 ガシャーン! とガラスが割れる音がし、風が生まれたことで煙が外へ流れていく。


「ポール⁉ うえっ、背中が丸焦げじゃんか」

 視界が戻ると、いの一番に駆け寄って来たのはなんと帝王で、申し訳なさでいっぱいになる。


「ジェ…メは犯人じゃ…ません。信じ…」

「あのさ、僕がそんなことも分かってないと思ったわけ? 言っとくけど僕はマリーとジェルメが犯人とか一文字も口にしてないからね。おしゃべりなあいつをこれから誘導して本性を炙り出してやろうと思ってたのに、君たちが勝手に飛び出しちゃうんだもん。まったく、僕の計画を台無しにしてくれてさ」

 ブツクサブチブチ、文句を垂れながらのフィリップ。


 『許すわけにいかないよね』と言ってたくせに…。

 しかしハッとする。わざと大声で言ったあれは自分たちにではなく、全部プレラーティに向けた言葉だったわけか。そんなの分かるわけないし!


「そんなの分かんないって? んふふ、敵を欺くにはまず何ちゃらって言うじゃない。ほら、手当が先だよ」

「申しわ…ありません。俺た…のせいで…」

「謝んないで。毒を盛られた人も君たちも、僕の大事な客人はみんな助けてみせるよ」


 すると、一組の男女が背後から近づいて来る。

「あの占い師が全部仕込んでたってわけね。女性を二人も狙うなんて外道だなぁ」

「ああ、気に入らないな。アタシが追いましょうか、フィリップ様」


 鮮やかなグリーンのドレス姿の貴婦人に、男性は何と形容していいのか分からない柄のシャツに柄物ジャケットを重ねた伊達男だ。

 

「君のパートナーがいいって言ってくれるなら、頼めるかな」 

「…はいはいはい、ダメって言っても行くんだろ?」

 ていうかそもそもダメとか言わせてくれないじゃん、と小声で付け足しながら伊達男が溜息をつく。グリーンの女性は既に割れた窓を乗り越えようとしていた。


 あの動き、あっちももしかして魔女なのか? 声を出せないポールの疑問に、フィリップが瞳をキラリとさせる。

「彼女はヴァイオラで、こっちはブラッドサッカー。僕の頼りになる友だちだよ。んふふふふふふふふふふふふっ」

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