第53話「決戦:その七」

 ポートカダム盟約軍の主力であるギリー連合王国のロングモーン騎兵と司令官であるケアン王子を倒したグラント帝国軍であったが、それを喜ぶ余裕はなかった。

 彼らの西、約一キロメートルの場所に突如として現れた炎の巨人が迫ってきたからだ。


 炎の巨人は身長五十メートルほど。全身から噴き出す炎を撒き散らし、平原の草を焼きながら前進してくる。その周囲にはグラッサ王国軍の兵士がいたが、その高温の炎によって次々と命を落としていた。


 前線では鬼神王ゴインが指揮する駆逐兵団がロングモーン騎兵と戦っているが、ラントは危険を感じ、全軍に退避を命じた。


 命令を受けたゴインも炎の巨人が近づいてくることに脅威を感じており、すぐに部下たちに命令を発する。


「戦闘中止! 直ちに東へ退避せよ! 急げ!」


 ロングモーン騎兵と斬り結んでいた鬼人族戦士たちはその命令に即座に反応する。彼らも目の前の敵より、炎の巨人の膨大な魔力に脅威を感じていたのだ。


 しかし、ロングモーン騎兵はその状況に歓喜し、攻撃を続行する。


「敵が背中を見せたぞ! この機を逃がすな!」


 騎兵たちは走り出した鬼人族戦士たちに向かって騎馬突撃を掛ける。

 それまでは互角以上に戦っていた鬼人族戦士だったが、無防備な背中への攻撃にその多くが傷つく。


「反撃するより距離を取れ! 轟雷兵団の妖魔族部隊に支援を要請しろ!」


 ゴインは自ら殿につき、味方の撤退を支援しながら大声で命令する。

 その時、大きな影が彼を覆った。


 ロングモーン騎兵が何本ものブレスによって吹き飛ばされ、悲鳴が上がる。

 炎の巨人から逃げてきた天翔兵団が攻撃を加えたのだ。


「助かったぜ」とゴインは独り言を呟くが、すぐに我に返って命令を繰り返した。


「負傷者を助けながら全力で走れ! 敵の騎兵は天翔兵団が相手をしてくれるぞ!」


 上空から繰り出される、エンシェントドラゴンたちの強力なブレスと、アークグリフォンらの魔法攻撃によってロングモーン騎兵はパニックに陥った。指揮官たちが必死にそれを鎮めようとしたが、パニックが収まる前に次の危機が迫る。


“ドーン!”という音と共に巨大な炎の塊が騎兵たちの間に落ちた。それは帝国軍ではなく、友軍であるはずのグラッサ王国軍がいた方角からだった。


「何が起きている! 我々は味方だぞ!」


 指揮官が叫んでいるが、炎の塊が落ちたところは悲惨な状況だった。

 炎の塊は粘度があるかのように騎兵や馬たちにまとわりつき、転げまわっても消えることがない。


「熱い! 助けてくれ!」


 騎兵の助けを呼ぶ声と同じように炎に焼かれる馬の嘶きが草原に響く。


「殿下を探して、命令を聞いてこい!」


 指揮官は本能に従って逃げ出したいと思ったが、一部隊長に過ぎない彼が勝手に全軍撤退の命令を出すわけにもいかず、総司令官であるケアン王子を探すよう命じた。

 この判断がロングモーン騎兵の運命を決めた。


 炎の巨人はゆっくりと進んでいるように見えたが、その大きな歩幅で一分ほどの僅かな時間で約三百メートルにまで接近していた。

 無差別に撒き散らす炎の塊がロングモーン騎兵たちの間に次々と落ちてくる。


 馬たちは本能に従い、一斉に駆け出した。

 パニックに陥った馬は騎兵の命令を聞くことなく、まちまちの方向に逃げようとしたため、馬同士がぶつかって大混乱に陥っていく。


「南に向かって進め!」


 王子の命令を待っていられないと判断した指揮官が命令を発したが、その大混乱によって命令が実行されることはなかった。


 そこに炎の巨人がゆっくりと足を踏み入れる。


「助けてくれ!」と騎兵の一人が叫ぶが、彼はその直後、愛馬と共に干乾びるように萎れ、炎を上げて巨人に吸収される。


 同じような光景がそこかしこで起き、それによって巨人の炎の輝きは更に増していった。



 グラッサ王国軍の司令官、ジョナサン・モートラックは炎の巨人から離れたところで、その光景を見ていた。

 その顔は蒼ざめており、普段の冷静さが見られない。


炎魔神イフリートを解放するしかなかったが、これほどまでに制御できないとは……百年前の大惨事である程度予想は付いていたが、目の当たりにすると解放したことが正しかったのか自信がなくなる……)


 古代遺物三号と呼ばれた“炎魔神イフリート召喚装置”は、百年ほど前に古代遺跡から発見されたものだ。


 当時、説明が書かれた説明書はあったものの、どの程度の威力を持つものか分からず、王都近くの演習場で起動実験が行われた。


 その際、明確な命令を与えなかったことから炎魔神が暴走し、実験を行っていた宮廷魔術師約五十名とその護衛である兵士約千名が命を落としている。


 幸いなことに、その時の炎魔神の活動時間は三十分程度と短く、王都や周辺の町や村に影響が出ることはなかった。しかし、グラッサ王国の王宮はその事実を知り、一時は王都を捨てる覚悟をするほど、大混乱に陥っている。


 エルフであるモートラックは、当時少壮の魔術師として事後処理に当たっており、その衝撃的な現場を目の当たりにしていた。


 事件は民衆や他国に不安を与えるとして秘匿され、漏れることはなかったが、あまりに危険な存在ということで、魔帝が指揮する魔族に対してのみ使用するとされた。


(一応魔族軍を標的とするという命令は聞いているようだが、敵も味方もなく殺戮を行っている。魔族軍を蹴散らすことができたとしても、我が国は各国から非難されるだろう。特にギリー連合王国からは……)


 そんなことを考えているが、勝利は疑っていなかった。


(今回はギリー連合王国軍のお陰で二万人以上の生贄が与えられた。当時の研究が正しいとすれば、十時間近くは行動できる……)


 炎魔神を召喚するためには大量の魔力が必要で、迷宮で得られた魔力結晶を“燃料”として大量に使う。


 また、召喚後に活動するためにも魔力が必要だが、人の持つ魔力も魔力結晶と同様の効果を持つ。


 本来であれば召喚後に、接近してきた帝国軍の戦士にぶつけ、生贄とする予定であったが、その前にギリー連合王国軍の兵士とぶつかってしまった。


(……龍に乗る魔帝や飛翔型の魔物たちはともかく、地上軍の主力であるオーガに大きな損害を与えることができる。それに慎重だと言われている魔帝ラントなら、炎魔神の存在を知れば侵略の手を緩めるはずだ……)


 グラント帝国軍はロングモーン騎兵を無視して撤退に移っているが、巨大な炎魔神の移動は見た目以上に速く、鬼人族戦士たちが追いつかれるのは時間の問題だった。


「負傷者の手当てを行え! だが、あれには近づきすぎるな! 私は聖王陛下に事情を説明してくる」


 モートラックは戦後処理を有利に進めるため、聖王マグダレーンを取り込もうと行動を開始した。



 聖王マグダレーンはバイアンリーの町に最も近い場所に布陣する神聖ロセス王国軍の本陣にいた。


 当初聖王は出陣を見送るだけのつもりだった。そのため、鎧などは身に着けず、豪華な法衣を身に纏って町の外に出てきたが、帝国軍が突然現れたと聞き、パニックに陥った。


 しかし、すぐに二十八万もの軍勢の姿を見て気を取り直し、用意された椅子に座って戦場を見つめていた。


 もっとも神聖ロセス王国軍の陣から最前線までは一・五キロメートルほど離れており、全体が見えているわけではない。ただ、グラッサ王国軍を攻撃する天翔兵団は見えており、グラッサ王国軍が龍たちの攻撃を凌いでいる様子を見て満足していた。


 そんな状況の中、突然炎の柱が上がり、炎の巨人が現れたことで慌てふためく。しかし、すぐに帝国軍に向かったため、落ち着きを取り戻していた。


 そこにモートラックがやってきた。


「陛下にお話がございます」


 そしてすぐに本題を切り出す。


「魔族は我々の予想より遥かに強力でございました。そのため、やむを得ず我が国の至宝、古代遺跡アーティファクトを用いました」


「あれが噂のアーティファクトか。初めて見たが、素晴らしいものだな」


 聖王のいた場所からはグラッサ王国軍がいた丘が邪魔になり、ギリー連合王国軍が炎魔神に殺されている状況は見えていない。


「ですが、急ぎ封印を解除したため、敵を蹴散らすことに成功したものの、ギリー連合王国軍に少なからぬ犠牲を出してしまいました。もっとも封印を解除しなければ、勢いづいた魔族たちにギリー連合王国軍は蹂躙されたでしょうが」


 聖王は敵を蹴散らしたという言葉に反応し、笑みを浮かべたが、すぐに聖職者らしい謹厳な表情に戻す。


「戦ゆえ仕方なかろう。人族の勝利のための尊い犠牲と考えるしかあるまい」


 モートラックはその言葉に安堵するが、それを表情に出すことなかった。


「魔族どもは撤退を開始しましたが、あのアーティファクトだけでは全滅させることは難しいと考えます。戦場が落ち着いたところで、追撃の命令を我が軍に出していただければ幸いでございます」


 追撃という言葉で勝利を確信した聖王は大きく頷いた。


「よろしい。貴公に追撃軍の指揮を執ってもらう。何といってもあのアーティファクトのことを最も知っておるのは貴軍なのだからな」


「ありがたき幸せ」とモートラックは答え、大きく頷いた。


(これで魔族軍を追い払ったのは我が軍の功績となった。ギリー連合王国軍から抗議が来ても聖王陛下が何とかしてくださるだろう)


 モートラックはそんなことを考えながら陣に戻っていった。

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