第39話「典酒官の仕事」

 六月二十七日。

 ラント率いる外征軍は神聖ロセス王国を征服し、意気揚々と帝都フィンクランに凱旋した。


 地上軍である駆逐兵団、轟雷兵団、支援部隊が晴れ晴れとした表情で帝都に入ってきた。

 その後、飛翔部隊である天翔兵団がエンシェントドラゴンを先頭にきれいな編隊を組んで帝都上空に入り、数回旋回した後、宮殿前広場に着陸する。


 そんな中、ラントは騎龍である蒼龍、ローズに乗り、ロバートら護衛のアークグリフォンを従えて、ドラゴンたちの間に着陸した。

 その瞬間、広場を囲んでいた帝都市民が一斉に歓声を上げる。


「魔帝陛下、万歳!」


「ラント陛下、お帰りなさい!」


 そんな声にラントは手を振って応え、用意されていた演台に上っていく。

 拡声の魔法が掛かったことを確認すると、ラントは居並ぶ戦士たちに向け、演説を始めた。


「我が親愛なる戦士諸君! 諸君らの活躍により、神聖ロセス王国は我がグラント帝国の軍門に下った! 僅か二ヶ月半で一国を征服できたことは諸君らの奮闘の賜物である!」


 そして、広場の周囲にいる市民たちに視線を向ける。


「市民諸君もよく耐えてくれた! 愛する家族を戦場に送り出すことは苦しかったと思う。また、我が軍にも多くの犠牲が出ている。愛する者を失った悲しみは容易には消えない。家族を失った者たちに私は哀悼の意と共に感謝を捧げたい」


 その言葉に市民たちからすすり泣く声が聞こえてくる。


「今回は尊い犠牲を出しながらも勝利した! だが、まだ油断はできない! トファース教の聖王マグダレーンはカダム連合に逃げ込み、復権を諦めていない。まだ報告は上がってきていないが、各国を巻き込んで我が国に攻め込むことは間違いない。恐らく数十万の兵士が我が国に攻め込んでくるはずだ……」


 数十万と聞き、戦士たちの表情が引き締まる。また、広場の周囲で聞いている市民たちに不安な表情が浮かぶ。

 彼らとは逆にラントは笑みを浮かべた。


「しかし、私に不安はない! ここにいる戦士諸君がいるからだ! 百万の敵が攻めてこようと、我が精鋭たちの前には無力だ! 神龍王よ! 私の考えは間違っているか!」


 その問いかけに神龍王アルビンが不敵な笑みを浮かべながら即座に答える。


「否! 我らの前に膝を屈するだろう!」


「よろしい! 鬼神王よ! そなたはどうだ!」


 鬼神王ゴインは大きく胸を張ってアルビンに負けない声で答える。


「否! 陛下のお考えは間違っちゃいねぇ!」


 その答えにラントは満足げに頷く。


「巨神王よ! 何か不安はあるか!」


「否! 陛下と共にあれば不安など感じぬ!」


 巨神王タレットが野太い声で答えた。


「我が三軍の長がそれぞれ自信をもって答えてくれた。だから次も我々の勝利は約束されているのだ!」


 そこで戦士たちが「「オオ!」」と歓声を上げる。


「次の戦いまでどの程度の時間があるかは分からないが、今は此度の勝利を祝おう! 明日は皆と共に勝利の美酒を味わうつもりだが、今宵は家族や愛する者とゆっくりと過ごして疲れを癒してほしい」


「「ラント陛下、万歳!」」


 戦士たちの声が響く。


「では、明日の午後の祝宴で再び会おう!」


 それだけ言うと、演台を下りていった。


 ラントはアルビンらと別れた後、宮殿に入った。そこで、宰相である聖獣王ダラン、護樹女王エスク、匠神王モールの出迎えを受ける。


「此度の勝利に対し、心よりお祝い申し上げる」


 ダランがそう言って頭を下げる。


「ご無事でお帰り下さり、これほど嬉しいことはございません」


 エスクが目に涙を浮かべている。


「無事で何よりじゃ」


 モールはそう言って満足げに頷く。


「三人には苦労を掛けた。だが、旧王国のことがある。これからも苦労を掛けるが、よろしく頼む」


「「「御意」」」と三人が同時に答える。


 その後、ラントはダランから不在中の報告を受けるが、一ヶ月ほど前に一度帰還しており、報告はすぐに終わった。

 ダランとエスクが退出したため、私室に戻ろうとしたところで、モールが呼び止める。


「少しだけ話をしたいんじゃが」


 ラントが答える前に、彼の後ろにいたローズが厳しい口調で咎める。


「急ぎじゃないんなら、明日でもいいはずよ。ラントが倒れたらどうするの!」


「そ、そうじゃな」とモールはその勢いに押されながらもまだ何か言いたそうにしていた。


「疲れていると言っても話ができないほどでもない。前回の帰還の時にあまり時間が取れなかったし、話を聞こう」


「大丈夫なの? 昨日まで結構飛んでいたわ」


 ローズは不安そうにラントに確認する。彼女が言う通り、ストウロセスを出発後、十日間で三千キロメートル以上移動しており、移動中に居眠りをするなど疲労の兆候があった。


「大丈夫だ。それに当分ゆっくりできるんだ。匠神王よ、それで話は何だ? 帝国工廠で問題でもあったのか?」


「工廠の方は全く問題ない。話をしたいのは典酒官としてじゃ」


 典酒官は帝国内の酒の品質向上を図る責任者だ。


「典酒官?」とラントが首を傾げる。


「新たに領土になったところの酒について話がしたいんじゃ。できればそれを飲ませてもらおうかと……」


「そんなことで呼び止めたの!」とローズが怒りを見せる。


「い、いや、じゃが、聖都は聖職者どもが美味い酒を独占しておったと聞いたし、その酒を回収したとも……それに明日の祝勝会でも出すかもしれんと……」


 モールはローズの憤慨にたじたじだが、酒の情報を素早く得ている彼の姿を見て、ラントに笑みが浮かぶ。


 モールの言う通り、枢機卿や大司教たちの屋敷からワインやブランデーを没収し、その一部を持ち帰っている。


 トファース教では各地に修道院があり、そこでワインやブランデーを作っている。そして、その最上級の物は枢機卿らが独占していたのだ。


「確かに酒を没収してきたが、まだ味を見ていないから美味いかどうかは……」


 そこまで言ったところで、モールの目が光る。


「ならば、儂が確認しよう。明日の祝勝会だけではなく、今後の酒の、いや、特産品の生産計画にも関わるしの」


 モールの飲みたそうな表情にラントは思わず噴き出す。


「ぷっ! 分かったよ。天魔女王の部下が運んでいたから、彼女に言ってくれ。私が試飲を許可したと言ってくれれば、飲ませてくれるだろう」


「おお! それは助かる! では早速アギーのところに行ってみるぞ!」


 そう言ってスキップでもしそうな足取りで執務室から出ていった。


「何なのあれは!」とローズは腹を立てているが、他の護衛たちは唖然とするだけで何も言えずに見送るだけだった。


「典酒官の仕事だし、目くじらを立てることはないよ。私のことを心配してくれたことには感謝するけど」


「し、心配なんてしていないわ! ちょっと気になっただけよ!」


 そのやりとりをローズ以外の護衛が微笑ましく思いながら見ていた。


 その後、モールはアギーのところに行き、その話をした。


「お疲れの陛下にそのような頼みをしたのですか!」


 アギーにも叱られるが、モールは「陛下の許しは得ておるんじゃ」と引き下がらない。


「はぁぁ」とアギーは大きな溜息を吐くと、部下に運んできた酒の保管場所へ案内するよう命じた。


 翌日、モールは朝食を摂っているラントの下にやってきた。


「昨日はすまんかった」と頭を下げるが、すぐに怒りの表情を見せる。


「一応すべての酒の味は見たが、全くなっとらん! 我が国の酒とは比べ物にならん品質じゃ! 儂が行って直接指導せねばならん! その許可をくれ!」


 憤慨するモールに対し、ラントは呆れる。


「確かワインだけでも百種類以上あったはずだが、それを昨夜だけで……」


 しかし、すぐに我に返った。


「匠神王を旧王国に行かせるわけにはいかない。創技長として遠距離通信装置を魔導王と共に開発してもらわねばならないんだ」


 創技長は帝国の武具や魔導具などを開発・製造する帝国工廠の責任者だ。


「オードがおれば充分じゃ」とモールは取り合わない。


「基本設計は魔導王と魔導研究所だが、今回のシステムは大規模だ。帝国工廠が本腰を入れて作ってくれなければ完成しないんだ」


「では酒の方はどうするんじゃ?」と不満顔のモールが聞く。


「酒造りはエンシェントエルフたちの仕事だ。彼らに指導させるから、その結果を見て、それでも不満なら指導に行ってくれても構わない。だが、まずはエンシェントエルフたちに任せよう」


 ラントの説得にモールも「仕方なかろう」と言って渋々ながらも納得した。

 モールが立ち去った後、ラントは「ハァァァ」と大きく溜息を吐く。


「これは本格的に取り組まないと大変なことになるな。まあ、旧王国の産業振興のために酒造りは役に立ちそうだからいいだけど……」


 ラントは独り言を呟くと、式典の準備に向かった。

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